2002年3月15日
二時間遅れの9時30分那覇新港(安謝新港)入港。曇っていて生暖かい潮風がふく。沖縄初上陸!
ターミナルには今度は西牟田靖さんがやってきた。彼はタリバン占領下のアフガンにも潜入した為、朝のワイドショウにも出演できた、すごすぎる人なのだ。
正午に新港に近い彼のアパートに入る。とはいっても彼の友人(留守中)のアパートなので私は居候のさらに居候という身分になる。それでもずーずーしく8日間も泊めさせていただいたのである。感謝。
そのアパートは1DKで、家賃3万円。ベランダには囲いの中にシャワーがあった。真冬でも気温が10度を下回らない那覇ならではだが、本土だと凍えてしまうわい。沖縄には文化的にも、冬は寒い本土と違ってあまりバスタブ、風呂がない家が多いように思える
夕方にしむたさんの案内で、二人のりして北谷(ちゃたん)町にあるイラン風喫茶店に行く。このあたりは嘉手納基地が近いのでショッピングセンターなどもデカイ。アメリカそのものだ。
そのなかにあるイランの喫茶店は、夫がイラン人、妻がウチナンチュ。イスラム教の国イランでは偶像崇拝を禁ずる分、幾何学な模様のデザインが発達しており、名物のカーペットを見たりして西牟田氏とイランを懐かしむ。
昼 シーチキンパン マーボなす すがきやラーメン
夜 ゴーヤチャンプルー しゅうまい
走行28km
3月16日 国際通りなど
14時、那覇の国際通りを歩く。旅の若者が露天で自作の詩集など売っていた。まるでアジアの風情だ。
公衆電話。
なんかどこかで見かけたような形だと思ったら
サンパウロ州サンビセンテ市の姉妹都市でした
沖縄二世がサンビセンテ市長になり、提携を申し出たとの事
沖縄とサンパウロは緯度的に近く、気候が似ている。
マチグワァー(市場)にはいると、おばぁたちが野菜やら衣料品やら売っているのだが、その商品配置のレイアウトといいおばぁの彫り深い表情といい古びた風情といい、ボリビアの首都ラパスのメルカド(市場)そっくりほうふつさせる。ラパスの場合でも富士山と同じ標高の厳しい環境の下で彫り深い重厚なセニョーラ(おばさん)が同じように売っていたので、またラパスに行きたくなってしまった!
15年前の車やバイクは、ずいぶんレトロに見える。
昼 やきそば 夜 さんまかばやき
3月17日 ひめゆりの塔
今日は観光。本島南部の喜屋武岬、ひめゆりの塔、斎場御獄を回った。
レトロな民芸品店。
コンクリートの煤け具合が、海の近さを感じる。
夜は西牟田氏とともに大型スーパー・マックスバリュの隣の居酒屋でSさんに会う。西アフリカをバイク(ホンダ250バハ)で回ったSさんは現在中学校の技術科の先生をしている。
思春期の難しい年頃の生徒を相手にするのだからとても忙しく大変な仕事だが、中村雅俊に似ているカッコいい先生なので生徒にモテるんじゃないですか?とアフロらしい事聞いたら、そんなにもてませんよと言われた。口ではそういっているけど、バレンタインの時も女生徒から結構チョコもらっていたりしている。
Sさんの場合、アフリカを旅したことを生徒に話したりするので海外ツーリングも役立っているが、やはり教師と言うものは大学卒業してすぐになるべきではないと思った。いろんな経験したほうが生徒に対する教え方や接し方とかも全然変わって来ると思う。
昼 チキンステーキ ボンカレー
夜 居酒屋にて:
さいころステーキ ラスク入りサラダ 石焼ピピンパプ オリオンビール
走行88km
3月18日
ついにわれらのカソリさんが
沖縄本島や周辺の島巡り「島編日本一周」を終え、那覇に戻るので新港のターミナルで待ち伏せる。その船の出港が18時なので16~17時ぐらいに来ると思ったが、港に来たのがなんとギリギリの17時30分!だけど運良く出港が19時なのでほっとしたようすだった。
かねてからむたさんと計画していた「アフロユニット計画」に実行じゃ!この日のために私はアフロズラ3人分持ってきたのだ(ばか) さあ、あきらのほうは、どちらでしょうか?
カソリ氏はカブのような原付2種で離島をめぐっていた。ほかの旅行者もカソリサンのところにやってくる
カソリサンは時間がなくあせっていたので乗り気でなかったが、なんとかあのジャクソン5にも匹敵するアフロ三人衆が撮れてよかったわい。
3月19日
夜、にしむたさんとドリフ大爆笑を見ていると(笑)、携帯電話が鳴った。貧乏自由人(以下貧さん)から電話だ!貧さんもGN125を乗り続けており、アフロあきらのライバルとも言える人物だ。明日には到着するようだ。
昼 ソーキそば350円 夜 ゴーヤもやし豆腐チャンプル 餃子6ケ 大根みそ汁
走行53km