映画・植村直己物語(1986)を見て思った事 冒険とは何か?

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きのうは植村直己物語を見ましたが、
そのきっかけは、たまたま街で偶然目にした市の施設での上映会の案内ポスター。
もしそこに行かず目にしなかったら、この映画を見ることはなかったろう。

昨年は植村直己記念館に行ってきたし、
彼が子供の頃遊んだであろう川でキャンプもしたし、

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友人知人に植村直己冒険賞者が何人かいるし
ある知人が実際にリアル植村直己と話したことがある

なので何気なくスルーする予定が
「植村直己物語?これは見ておかないと」という責務な気分になってしまう

当日、上映会会場に行くと会場は平日の朝なので、来場者はみなじいさんばあさん。なので私はこれまでで一番若い来場者だと言われた。

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映画の感想

内容は、西田敏行演じる植村直己は、東京でのシーンだとやっぱり西田敏行にしか見えないけど、エベレストやとくに犬ぞりのシーンでは見事に植村直己に変身している。

いまでこそ冒険のコモディティ化が進んでるが、
彼こそは日本の冒険界のパイオニアだ。
レジェンドだからこそ壮大な海外ロケを企画、敢行できたのだろう。1986年はバブルのあたりでお金もあった時代だったし。今ではCGも使わずリアルな命がけの大掛かりな熱意にまみれた泥臭い作品なんて、もう作れないだろう。

グリーンランド縦断のために、いまでいうクラファンもしていたのも初めて知った。メディアを使っての「募金」だった

冒険では天才的な生命力を発揮しながら、かたや日本では社会不適格でどこかダメな自分自身に悩むシーンが自分的にも沁みた。

ドラマや映画にありがちな、過剰な脚色や大袈裟感もあまりないので違和感なく自然に楽しめた。最初から最後までくぎづけになって見てしまった。

冒険に興味のある人は見て損は無い作品。

 

 

彼の夢は冒険学校を作る事だった
それはかなわぬ夢になったが、彼の意を忠実に受け継いだかのように冒険学校を作った冒険家もいるので、植村直己の威光は本当にすごいと思う

大冒険家も、
年をとって、体力気力が衰えると、後進に向けた活動を考える。

たびいちも、そこまで命がけではないし、凡人なりに世界を冒険的なことをしてきたので
それなりの貴重な経験があると、やはりその経験や知恵を教えたくなるものだと思う

とはいえ私は非社交的だし、若い頃はコミュ障で職を転々ひきこもりニートだったし、人に対してマンツーマンで教えるのは向いてないと思ってるし

そもそもなまけものであまのじゃく人間なので、人様に教えるほど偉くはない
いや、年をとっても現役で夢とロマンにあふれる冒険的な旅を続けたい。

でも、命を張った経験を無駄にしたくはないという思いがある。教えたい意欲はある。

それが、たびいちドットコムなのだ。

冒険学校に比べれば、私のやってることは塾というか、カルチャーセンターの通信教育のようなものだと思う

植村直己以後、たくさんの冒険家が前例を作ってきて、その結果、現在のエベレスト登山のように冒険もコモディティ化して英雄視されず、昭和の頃とちがってライフスタイルや生きる指針も多様化してる以上、昭和のように弟子入りのように人に一から教えるというのが時代的に見合うのかはわからない。

そのてん、たびいちドットコムは万人に見てもらえるし、
本人にとって役立たないと思ったら、無視すればいいし
役に立つことは自分で汲み取っていけばいい。

さて、

エックス断ちをして1日が経ったが
こういった執筆や記事づくりが驚くほど効率的に進む。たびいちドットコムを始めた当初の全盛時代に戻った気分だ。

もはやスパムコメントやえげつない海外ジャンクツイートまみれの劣化甚だしいエックスのために、いかにくっだらない時間を費やしてきたかを実感。

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