世界一周06 パキスタン・イラン東部篇 「バロチスタン砂漠の黄昏」

第6章 パキスタン、イラン東部篇
(2000年5月9日~5月17日)

●クエッタの摩訶不思議
●砂漠の黄昏
●竜巻にのみこまれる
●国境の村は関所の村
●イランのツッパリマン
●愉快痛快韓国女

パキスタン
通貨1ルピー= 2円(2000.05)  ・ガソリン 55円  ・宿代はインドと同じぐらい
定食:マトンカレーとナン、サラダの定食(おもにパキスタン西部) 80円
・手作り風ハンバーガー&ポテト(ラホールにて) 106円
・チャイ(ヤギの乳入りミルクティー) 6円   ・ホットケーキ 20円
・さくらんぼうかんずめ(イラン製) 48円

※西アジアでは、チャイ(茶)がよく出され、文化のひとつになっている。パキスタン西部のバ
ロチスタン砂漠を境に、インドやパキスタン中央のミルクティーのチャイから、 パキスタンの
西端、イランやトルコの氷砂糖を入れるストレートティー式のチャイに変わる。

イラン
通貨100レアル=1.38円  ・ガソリン 5円  ・宿 300円から
定食チェロケバブ:ライス、マトンのハンバーグ、サラダ、生たまねぎ、コーラ124円

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・イラン名物、ザムザムコーラ300ml 7円
(とても安く、食事すると水代わりに必ず出てくる)
・ハンバーガー 22円から  ・屋台の焼き羊肉、1串 28円
・ケーキ 10円(日本じゃ「うまい棒」しか買えん。)・シュークリーム 7円
・マトンの挽肉とたまねぎの牛丼風炒めと、ナン、(おもにイラン西部) 56円
・タイヤパンク修理 138円  ・白黒TV 5250円 ・ズボン 690円
・散髪(言葉がわからんから丸刈りにされた) 42円


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クエッタの摩訶不思議

パキスタン西部のバロチスタン州都クエッタ。標高1600mの高原都市。

辿りついた時は朝から夜まで何も食べず走りに夢中で1日754kmも走りずめだったので、それゆえ翌日は疲労と到着した安堵のため1日寝るだけだった。

ムスリムホテルの部屋。部屋についていたペンキの臭いが、今でもあの日を思い出す

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長い眠りから覚めて、泊まっているムスリムホテルの部屋を出る。クエッタの高原の空はとても青く、まるで秋の空だ。

パキスタン西部のバロチスタン砂漠越えとイラン入国のために、この町で準備を整える。
まずはオイル交換。マシン自体は特にトラブルがないので砂漠越えでも問題はなかろう。

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そして次は闇両替。闇イコールやばいというイメージがあるが、日本でも戦後の闇市を見れば判るように、イラン国内の公定レートと実勢レートでは差が大きいので隣国パキスタンでイランの金を手に入れたほうが得なのだ。このホテルで知り合った日本人旅行者と一緒に行くことに。

彼は東欧や中東を横断してきたのだが、ユニークなのはいつもパンダのぬいぐるみを抱えて旅しているのだ。幼い少女みたいにパンダを抱きながら歩く姿はとても個性的で印象に残った。彼のいとしのパンダ、バンブーも長旅でだいぶ黒ずんでいた。

おかげで一緒に歩くと、注目の的!なんか人気者になった気分だった。闇両替では50ドルをイランの札に換えた。

クエッタではアフガニスタンのゲートシティだけあってアフガンの札も扱う。当時はまだタリバン政権下でアフガンの経済が破綻同然ゆえにお札の価値がないのか、闇両替のくせに道ばたで堂々と眩しいばかりにアフガンの札束を豪快に並べていた。

アイスクリーム屋に入ると、中はおっさんやじいさんだらけだった。客層がまるで焼き鳥屋や赤ちょうちんみたいだが、ここではアイスクリームは女子供の食べるものというより男の食べ物、といったかんじか。

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そんなヒゲ面の男達がまるで学校帰りの女子高生のようにアイスやジュースを飲んでいた。
またも印象に残るシーンであった。
なお、カーテンで区切られた奥の部屋は、女性専用となっており、酒や女に厳しいイスラムの掟をこの国で見せつけられた。

ここのアイスクリームはとろろいもみたいな外観で、もちもちっとした舌ざわりも最高だ。日本でも売れば間違いなく大フィーバーするだろう、と思っていたが、
帰国後に案の定「トルコアイス」とか言う名前でコンビニとかですでに売られていた。

店の前でアイスをこねて売ってるあんちゃんはアフガン人らしいが、顔立ちが日本人に似ているので親近感があった。そのまま原宿とかで売れば収入が何十倍にもなりそうだ。

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夕方、町なかで男に、日本人か?と尋ねられた。
話によると男は車の取引の為、これからUAEのドバイ、大阪と飛んで、愛知県で3ヶ月滞在するのだと言う。

そういえばクエッタはHILUXとか PAJEROなどの四駆をたくさん見かけた。しかもどれもきれいで新しく、まだ何百万円もする価値のものばかり。国民所得もインド並かそれ以下だというのに、なぜこんなに日本の高級四輪駆動車がたくさんあるのか不思議でならない。
四駆の中古でもパキスタン人の何十年分の年収になるわけだし。

「こんなパキスタンなんてもういやだ。早く日本へ行きたい。イランのほうがここよりも美しくてきれいだぞ」

と、色気も自由もない生活に不満があるかのように男はぼやいていた。イスラム原理主義的ゆえに町では女の姿が全く見かけない。町を歩いているのは男、男だらけ。女はどこへ消えたのか?やはり家の中で「ひきこもり」を余儀なくされるのだろう。

こんな男だらけの国はこことアフガンくらいだろうか。イランに入れば黒チャドル着用とはいえ女はたくさん歩いている。男だけのキビシイ国だと、性欲を満たす事ができずホモに走る者も多い。

イスラムの戒律ゆえにホモに走るのはなんとも哀れな性だが、日本から来た旅行者はやはりホモに付きまとわれるものも多く、中にはレイプされた旅行者までいて、もっと哀れだ。

街全体がハッテン場のようなホモエリアでも、私の場合は一度も寄ってこなかった。
それはホモよけとして、口ひげをはやしていたからだ。イスラムの国ではヒゲがないとおかまとみなされて?ホモにもてまくり最悪の場合貞操の危機を迎える。

とはいっても口ひげはすぐに生えるものではないので、ヒゲが伸びきらない数泊程度の短期旅行者はやはりホモの洗礼を受けざるをえないのである(笑)

(※この2ヵ月後の2000年7月にクエッタ市内の市場で爆弾テロが発生、10人が死亡。その翌年911の米国同時テロが発生し対タリバン戦の為、アフガンへの中継基地としてクエッタも有名になった)

砂漠の黄昏

クエッタで4泊したので、好調なペースで砂漠越えができそうだ。

これより先の、クエッタからパキスタンイラン間の国境までの600kmは全行程がバロチスタン砂漠である。

過酷でもありロマンのある、ユーラシア大陸でもハイライトのコースである。

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いよいよ砂漠だ、と出発したはいいが、途中で道を間違えて3時間もムダになってしまう。食堂で肉入りカレーとナーン、サラダの昼食。砂漠に入ると、標高も下がり猛烈に暑くなる。気温はなんと47℃。当然意識が朦朧としてきて、動きもジャイアント馬場のようにスローになる。

出発前の2000年1月、ジェベルを船便で送る前に真冬の赤城山で走行訓練をしたことがある。

標高1450mの山頂の雪と氷の道路を、気温-14℃の中で走った。

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朝になって太陽が出て寒さも和らぎ、雪を溶かして沸かしてカップラーメンを食べた時のうまさは世界一おいしいと思ったほどだ。

気温差60度以上。死の世界とも言える激暑の砂漠にて朦朧とした頭の中で、そんな白い極寒の記憶がよみがえる。

16時、クエッタから145km走ってようやくヌシキというオアシス集落に着く。茶屋でコーラなどを飲む。それでも足りないので水をもらうが、少ししょっぱいのだ。だが砂漠ではどんな水でも貴重だ。そして暑さのためもうひっくり返ってア~とかウ~ぐらいしか声が出ない。気温はまだ43度もある。

ヌシキから、クエッタと国境との中間にある町、ダルバンディンに向かう。途中砂漠のど真ん中で止まってみると、聞えるのはかすかな風の音だけだった。まさに無の世界を身体で感じる。

ダルバンディンに近づくと、砂丘が多くなり、いよいよ砂漠らしくなる。だが道路まで砂があふれてこけそうになる。

日も沈む・・・砂漠の黄昏・・・

オートバイを止める。砂丘に登って、沈んだ夕日に向かってウオヲー!!と叫ぶ。生命の証明と喜びを身体で表現してやった。
超自然力が支配する大自然の前に、理由はない。雄叫びも本能のおもむくまま故なのだ。

クエッタから328km。クエッタと国境との中間にあるオアシスの町、ダルバンディンに到着した。暗くなり始め、周りを砂漠に囲まれて、砂で覆われ、荒涼とした町並みは、まるで北斗の拳に出てくるような街だった

町のホテルに泊まり、1階のレストランで食事。すると昼食時と同じカレー汁とナーン、サラダが出てきた。この組み合わせこそがバロチスタンの定番メニューのようだ。ここのカレーはインドのと違ってうまい。

部屋は安くてきれいだが、室温は37度もあり、停電で扇風機が止まると地獄だった。今思うと砂漠の真ん中で野宿したほうがよかったかもしれない。

翌朝、この砂漠の町を歩く。パキスタンの中央やクエッタでは日本の小型バイクしか走っていなかったが、この町で見かけたのはロシア製の350ccバイクだった。ロシアのバイクはここでははじめて見たが、でかいわりに黒煙をドバドバはきながら走っていた。

10時30分ダルバンディンを出発。町外れの空き地でたくさんのドラム缶が並べられていて給油できる。ガソリンはイランからのものなので、イラン本国よりは高いがパキスタン中央よりかなり安い。ダルバンディンはさしずめイラン圏内といったかんじだ。

ダルバンディンから70kmの、砂漠の真ん中の小屋でチャイを飲む。ここのチャイはストレートチャイで氷砂糖をいれるのだが、ここのストレートスタイルは、これから行くイランやトルコなどのスタイルで、今までのインドやパキスタン中央のミルク入りスタイルとは違う。

つまり、このあたりがチャイ文化の境界線だったのだ。

竜巻にのみこまれる

このバロチスタン砂漠は、超自然力が支配している。
竜巻や蜃気楼が何度も出現する。走っていると遠くに何個も竜巻が視野に入るくらいだ。

そして、その竜巻が砂を吹上ながらこっちに接近してきた
「む、いかん!」
あっという間に竜巻にヒットしてしまった。

 

竜巻に巻き込まれると、ブワーと単車もろとも反対車線に吹き寄せられた。小型の竜巻なので転倒もせず無傷ですんだ。超自然力というものを身体で覚えさせられたわけだが、命を失わずに済んだだけでも幸いだ。

さらに走ると、エアーズロックに似た、砂漠の中の巨大な一枚岩を発見した!

ここにいけばオーストラリアに行かなくてもエア-ズロックが見れる!

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・・・といっても、ここよりも本場のエアーズロックに行った方がはるかに楽なのだが。

ダルバンディンから167kmの、ノックンディという集落に着いた。クエッタから495km、国境まであと113km。
ここでおしるこを薄くしたような味の、肌色の甘い飲料を飲んだ。これぞ砂漠の味といったところで、乾ききった五臓六腑に沁みわたった。

ノックンディからさらに無人地帯を走る。
朝までは東からの追い風で、80~90km/hで走れて絶好調だったが、風向きが変わり向かい風になると60km/h以下しか出なくなる。

そんな中をイランナンバーのTIR(国際トラック便。西アジアや欧州などの国を越えて走る)のトラックに追い越される。あと、まれにドイツナンバーのキャンピングカーも見かけた。
アジアハイウェーという至極重要な国際的な一本の道なのである。

ダルバンディンから280km。ついに国境の町タフタンに着いた!
今夜はここで泊まり、明日イランに入国する。

国境の村は関所の村

パキスタン側の国境の村、タフタンの町の中の路地は細く、舗装されていない。商店では食料品は100%イランからのものだ。雑貨類も中国製ばかりだった。ここまではパキスタンとは言えど砂漠を隔てたパキスタンよりイランのほうがずっと近いのである。

インドで買った靴が粗悪品で、10日で底が抜けてしまった。だが、路上で靴磨き屋が簡単に縫って直してくれた。

その後は食事。さくらんぼ缶詰と串焼き。電気が供給できる時間が限られているので、ぬるくならぬうちに冷蔵庫の中で売っていた缶詰を食べる。

そして串焼き。道ばたで炭火を使って、鉄串に羊の皮の部分を焼く。日本の焼き鳥と同じで、実にうまい。1本8円。

この町には離れたところに政府直営のホテルがあるが、高いので町中の掘っ立て小屋のような宿に泊まる。壁はなんと土でできており、電気水道ナシ!中庭のドラム缶の水で身体を洗い、用をたしたあとその水で流したりしりを洗ったりした。

灯りのほうは石油ランプを貸してくれたが、その熱でだんだん部屋が暑くなる。だから中庭にベッドを出して星空を見ながら寝る客もいた。

20時になると暗くなるので、砂まみれの汚いベッドの中で寝る。電気もないので、もう寝るしかない。だから案外早く眠れた。
電気もないので自然の法則に従い、あたりも静まり返ったようだ。昔の中世や江戸時代などの旅人になった気分だった。

イランのツッパリマン

5/14の翌朝、土の宿を出て、すぐにイラン入国。
厳格なイスラム国家ゆえ、普通なら荷物を調べられてエロ本はおろか、何の変哲もない水着姿の女性の写真といったソフトなものさえ没収されると聞いていた。

しかし意外なことに荷物検査がなかったから実にラッキーだった。
パキスタンもイランも全く色気のない国だが、やはり自分も環境に順応しているのか、欲求不満になったりむらむらすることはなかった。

酒と女が大好きな人は、こういう国だと気が狂ってしまうだろうが、自分は全然気にならなかったからさらにラッキーだった。

イランからは、右側通行になる。これから先、欧州(英国など除く)、南、中、北米に至るずっと先のゴールまで右側通行なのだが、日本からずっと左側通行だったので、生まれて初めて走る右側通行に冷や汗をかく。

ずっと伸びる一本道を走る分にはいいが、国境から88kmのザヒダンの町に着き、アジアハイウェーを外れ右折して町に入ろうとすると、ウオーと対向車に正面衝突しそうになった。うっかり走行車線を混乱して間違えてしまい、もう冷や汗まみれだった。

そのため免許取りたて若葉マークのようにオドオドしながらザヒダンの町を走る。そして給油したのだが、石油大国だけあって、1リットルたったの5円!11.3リットル給油したのだが、それでも60円ぐらいだった。このジェベルなら60円分で400km近く走れるから、大阪から山口県岩国までの距離になる

そしてコーラも安い。ザムザムコーラというイラン独自のブランドで、一瓶284ccと半端だが(しかもビンによって入ってる量が違っていたりする)これもなんと7円。
タダ同様に安いガソリン代で輸送コストに連動しているからかコーラもとても安くなるのだろう。

イランは反米主義を貫いているが、それとは裏腹に「アメリカの水」とも言われるコーラがアメリカのように食事と一緒に出されるのだ。しかもパキスタンやイランには当然マクドナルドのようなチェーン店はないが、小さなハンバーガー屋はいくらでもあり、とても安い。

イスラム革命後、戦中の日本のようにアメリカの物を禁止してきたが、コーラまで禁止されてはかなわん、それならなんとして抵抗してでもイラン人の我々の手でコーラをつくりつづけよう、と生まれたのがザムザムコーラなのだ。

反米とは裏腹にアメリカ的なものを欲しがる。これがイラン人の本音なのかもしれない。

さて、給油が終ると、なんとリーゼントにサングラスの男がやってきた。しかも服は黒いボンタンときている。
まるで25年前の「ツッパリ」の典型的スタイルではないか!一世代前のツッパリを見ると、日本とイラン兄弟国か、と思ってしまう。

 グラサンにリーゼント、ボンタン。。

その昔、日本にの出かせぎにきていたイラン人がいわゆる「3K職場」からそのスタイルを覚えて帰った、という説もあるくらいだ。その証拠に、これから先、日本語を話す人が登場してくる。

だけどイランは、今までと違って英語を話せる人が全くいない。文字だってアラビア文字一辺倒、数字まで独特のイスラム文字だから、おかげで完全にわからず、まるで有人の宇宙惑星の町の中にいるようで、原始人のようなコミュニケーションしかできない。そのため言語ではイランが一番苦労した。

ともあれ、爆安ガソリンのおかげで、イランの旅もかなり余裕ができるし、ガンガンイランを走りまくれる。

イランの東南部は、まだバロチスタン砂漠の中になるのだが、パキスタン側より標高が高いのでいくぶんマシだが、標高が500mぐらいに下がると一気に45℃まで上昇し、またもうめく羽目になる。それでもイランでは朝の8時から夜の8時まで連日500km走るといったペースになっていく。

ある町では大変な思いをした。ホテルに泊まりたいので一晩なんぼかと、こっちは言葉わからんので必死でジェスチャーしたり紙に書いたりしてるのに、ホテルのボーイは一向に理解していない。
しまいには、「かってにセー」とホテルをとびだし、結局枯れた貯水槽の中で野宿する羽目になった。冷たい風も入ってこないし人も入ってこないだろうと思ったが、夜中に男達にのぞかれたときはやっぱり、こわかった。

イランの中都市、シラーズの手前で、塩湖があったので湖岸へ行った。そのとき、途中で急にダボット塩のぬかるみの中にバイクが入ってしまった。
アクセルふかして脱出しようとするとどんどん後輪がめり込んで、自滅していく。

泥沼にはまるとはまさにこのことで、力ずくでジェベル125を持ち上げようにも、タイヤに絡みつく極悪な塩泥と、ぐにゃぐにゃの足場なので力が入らず全く引き上げられない。

1人では無理なので、助けを求める。幸いにも男性二人が遠くにいたので、両手を高く上げて二人を呼び、私と3人で引き上げる。3人なら楽に引きあがったぞ!みんな塩泥まみれになったが、彼らはさらにホイールにくっついた泥落としまで手伝ってくれた。私は心から二人に感謝して、シーラーズにたどり着いたのだ。

愉快痛快韓国女

シラーズでは、ビザ延長の為、2泊した。イランのビザは2000年当時、最低日数の通過ビザしかもらえなかったので途中の都市で一度、または2度延長しなければトルコまでたどり着くことができない。

シラーズのビザオフィスで、申請書を書いていると、韓国女性が1人やってきた。一言二言話すと、打ち解けたのか自分のとなりに座ってきた。

それにしてもここまで旅していて「ひとり旅の韓国女性」がやたら多いことに気がついた。バラナシ、ラホール、クエッタ、そしてここで四人目。今韓国は女のひとり旅がブームなんだろうか?

その彼女、朴 善蓮さんは元旅行会社に勤めていた。30才だが、日本人や韓国人は肌や顔立ちがいいのか、チャドルで髪を覆って顔だけ出すと、まるで15才ぐらいの少女に見えてしまう。
彼女はトルコのイスタンブールからイランにきて、イランを見たらトルコに戻って帰るのだという。

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そのときの彼女はトルコの若いイスラム女性流に、頭だけスカーフで覆って、長袖のYシャツとジーンズと言う格好だったが、オフィスのおっちゃんに

「きみの服装はこの国では男を誘惑する事になるから良くない。黒いチャドルはそんなに高くないから、これからチャドルを買いなさい」

と言われていた。イランでは外国人女性と言えど、非イスラム教徒でも全身を覆い隠し、顔だけのぞかせるという黒いチャドルを着用せねばならない。だから男女別に隔離される路線バスを見ると、女が乗る後ろ半分はからすの大群が乗っているみたいだった。

彼女は朴さんなので、パックとかパーク(公園?)などと呼ばれているが、パックとは実に気が合った。パックとは主に英語で話し(とはいえどお互いうまくはないが)お互い韓国、日本に行った事があるので片言の韓国語や日本語を織り交ぜて話せば、いくらでもはなせるのだ。表現しずらい時は、絵とか字を書けばいいからなおさらだ。

一緒にビザオフィスを出た。
「これからバスで、ペルセポリスに行くのよ」
「そうか。それじゃあバスターミナルまで送ってあげよう。さあ乗って乗って」

と言って、ジェベルの後ろにパックを乗せて、シラーズの町を疾走する。

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「ねえ、なんかわたしたちって、周りから奇妙に見られてるようだから、これからは『ヘンな姉弟』ってことにしとこうよ」と、うしろでパックは笑っていた。

郊外を出て、少し迷ったが無事バスターミナルに着いた。まだ時間があるのでターミナル内で食事をした。焼き鳥とナーン、生のたまねぎが出てきた。

それにしても、儒教の厳しい圧力を受ける韓国女性が、なぜ海外のひとり旅、特に難易度の高いイスラム世界を旅する女性が多いのだろうか。きっと本国では報われない女性の地位から自分を解き放とうとこれらの国に旅立たせるのだろうか。

「それにしてもこんな国を一人旅するなんて、きみはとても勇敢だよ。親は反対したんじゃないの?」
「もちろんよ。オニのようにカンカンに怒ってたわよ」

といってパックは両手指で頭から角を出す仕草をした。その鬼のジェスチャーは日本と同じであった。
「でもね、もしわたしが男だったら、たぶん問題なかったと思うよ」

お互い、言葉の通じぬイランにいるだけあって、その分いろいろしゃべりまくる。日本人同士だったらいろいろ気遣わねばならんが、この場合だと実に楽だ。

バスターミナルでパックと別れた後、バイクの整備をした。昨日こびり付いていた塩泥を落とし、小屋のような修理場でスポークを張る為に工具を借り、チェーンに塗るグリースまで貸していただいた。借りるだけでも良かったのに、わざわざ手伝ってくれて、しかもタダでいいという。またまた感謝あるのみだった。

夕方から、シラーズの街を散策する。きれいなショッピングセンターやコンビニはないが、建物の地下は大理石風で、雑居ビルとはいえ宮殿を思わせる地下室には卓球場があった。イランでは卓球が人気のスポーツのようだ 。
熱心に試合してる人を見ると、あの有名な某卓球少女のように甲高い声で「サー!」なんて聞えてきそうだ。

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その奥にはテレビとプレイステーションが置いてあって、何十種類もあるコピーソフトから好きなゲームができるコーナーになっている(といってもやっている人はだいたいサッカーや格闘ゲームだった)。
一階の八百屋では果物を包んだ新聞紙がなぜか8年前(1992年)の日本の新聞だった。

実に味わいのある地下室や街並みであった。

夜になり、街を歩いていると、なんとパックを発見!!
すぐに駆け寄ると、「ンマー」と驚いていた。ペルセポリスから戻ってきたようだ。

まず一緒にかき氷屋に入った後、ハンバーガーショップで、ハンバーガーにサラダ、そして必ず出てくるザムザムコーラ。それを肴にパックもパックマンのように(?)しゃべりまくっていた。

さあ、パックとも本当にお別れなのだーー。
名残惜しくも店を出て、「これで最後ね」と感極まり、深く握手をして別れたのだが—–

ここはイランだった。握手程度とはいえ、この誘惑女性と公衆の面前にて異性同士で体の接触をしでかしてしまったので、それを見ていた周りのイラン人は最後の最後まで異様な目で我々を見ていたのだった・・・

–第6章–
おわり

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