四国遍路は旅なのか?修行なのか?

日本の旅・みどころ
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突然ですが、四国遍路はこの世で「究極の旅」では無いか。

いま、友人が子供を連れてお遍路旅をしています

その友人は以前にも遍路されてるせいか、般若心経の唱え方もプロ並みに抜群にうまいです。

あくまで個人の考えだが、遍路旅はこれまでやってきた「バイクで世界一周」などよりも究極の旅だ。

なぜ究極の旅か?

本来お遍路とは「死と隣り合わせの旅」だという
まぎれもない、魂の旅だ。

https://ohenro-88.com/ohenro/henro.html

同じ巡礼の旅と言えば、スペインのエルカミーノ(Santiago de Compostela)があるが、ラテンのスペインよりも、四国遍路の場合はずっと「重い」気がする

考え方はもちろんひとそれぞれだけど、自分としては、同じ歩き旅でも、みちのく潮風トレールなどとちがって、浮かれた観光気分で、あるいは健康増進などの軽々しい理由で遍路をやるものではないと思う

(写真:ブッダガヤの日本寺)

接待と喜捨と

それは遍路旅は現地の人からの「お接待」があるが、これはタイやミャンマーの仏教でいう「喜捨」に相当するものだ。

タイなどで托鉢の喜捨を何度も見てきている者としては、
厳しい戒律の毎日を送るタイの坊さんとちがって、たかが浮かれた観光気分のくせに行く先々で現地の人からお金や食べ物をタダでもらい続けるのは申し訳ないからだ

その衣装は死装束を意味します。過酷なお遍路の途中で息絶えたとしても、そのまま成仏できるようにという意味や、俗世を一度離れて修行するという意味が込められています。

お遍路さんは立場的には、タイの坊さんや、インドのサドゥーと同じ。

なのでたびいちは、たぶん、四国遍路をやることはないだろう。

そこそこ満ち足りた生活をしているおかげで興味すらわかない。本当の遍路なら欲も断たないといけないし。

いわんや遍路先からのブログ収入で〇〇〇円稼げたなんて言ってたら、修行ではなくただのビジネスになるので、決して自分が納得しないだろう

ところが、もし自分にどうしようもない重大な不幸が降りかかり、お金が完全に無くなって何年も苦しみつづけるぐらいのウツになったり、死のうと思ったり生死をさまようぐらいの気持ちになったときに、死に装束を着てやろうと思う。

いろんな物語を見てると、遍路の旅は、死の入り口かもしれない。

そういうとドン引きするぐらいストイックでシリアスかもしれないが、そんなお遍路旅に対する概念は、旅心のついた10代のころから現在までまったく変わっちゃいない。

それだけ遍路旅は人生を変えるためのもの、そして人生を清算するぐらいの、気高く尊いものだと勝手に思ってます

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もし私が遍路をすることになったら、

その時には身も心もボロボロの状態になり、世捨て人同然の破綻状態だと思うので、江戸時代以前の原始的な遍路と同じく、ほとんどお金を持たず、野宿と接待だけで旅をし、乞食遍路を極めたい。

現地でお世話になった時は、そのお返しとして、自分の人生から醸造されたエキスである、心からほとばしる魂の言葉を皆の衆に注いでいくでしょう

お遍路は単なる観光スポットではない

お接待を受けたとき、整備された遍路道を歩くとき、遍路墓を通り過ぎるときは、誰しも深く考えさせられます。そのため、お遍路は見て終わりの観光スポットとはレベルが全く異なります

https://ohenro-88.com/ohenro/henrobaka.html

まあ普段普通に旅するときは、そんな魂だなんだのという気負いはこれっぽっちもないけど、お遍路に対しては、生半可な気分で旅をしてはいけない、とひとりで勝手に思ってます

 

さて、GW前ぐらいから日本一周の続き、四国九州北海道へと旅立つ予定ですが、UberEatsの出かせぎ旅になるので、あまり旅先は見て回れないけど、お遍路さんを見かけたら、陰ながらその頑張ってる姿を励みにしたいと思います

 

 

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