だれにでも「ご苦労様」と言える自由があってもいいじゃないか 

日常生活
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何もかもが、はちゃめちゃなインドで思ったこと。

それは「正しい日本語とは何なのか?」と思った出来事がありました

苦労をされた方に「ご苦労様」と労ったところ

日本でとある報告会の司会をされた方に対して、

その報告内容は「苦難と苦労の末に目標を達成できた」というテーマの話のため、

私はインドからこのようなメッセージを送りました

非常に言葉を選ぶような、とても重いテーマなので苦手に感じたかと思いますが、その中でのご進行、大変にご苦労様でした。

と書いたところ、

老婆心ながら。たびいちくん、先輩にご苦労様でした、は、失礼だよ。

そこで。

このような返信をしました

〇〇〇さん。たしかにビジネスマナーとしてはそれは承知です。
でも日本語の原点として考えた場合、「お疲れさまでした=疲れる」というよりかは、今回のテーマだと苦労のある内容で、自分としては「ご苦労様でした」のほうが的確だと思ったから、僕はあえて「ご苦労様」を使いました。なので状況に応じて日本語をもっと使い分けられる自由があっていいと思います
https://liginc.co.jp/272362

以上のやりとり、

あなたはどう感じたでしょうか?

もともとは正しい日本語だった?

たしかに「よお、ご苦労だな!」と言うと失礼だけど、

この「苦労」の末に目標を果たせたという司会進行のシチュエーションで

「大変にご苦労様でした」

のいったいどこが失礼なのか、自分で考えてみても、まったく見当がつかない。

本来「ご苦労様」は、目下のものが目上の者に対して使っていた。正しい日本語でもある。

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3つの日本語の難しさ

そもそも「失礼」な言い回しとはなんなのか。

いろいろ考えたうえで、日本語を学ぶ上での障壁があったので、まずはそれを書いてみます

漢字

何千文字もある漢字。日本だと小中学と、何年もかけて漢字ドリルの書き取りなどで覚えさせられたが、外国人が大人になってから一から覚えるとなると手間と時間がかかりすぎて無理ゲー。

そもそも英語なら26文字しかない。それだけでも意思伝達ができるどころか世界で通じる言語となってるのに、その漢字を覚えるのに学校で何年も膨大な時間をかける。それを損失だと思うのは私だけだろうか。

敬語

英語でも敬語的な表現はあるけど、日本(あるいは韓国とか)ほど敬語の使い方にうるさい国はないと思う

ちょっとでも使い方を間違うと失礼だといわれる。

受動態(いわゆる「てにをは」)

わかりやすくいえば

先生が怒る
先生に怒る

たったこれだけで、意味が全く異なってしまう。

そこをちょっとでも間違えて相手に伝わると、とんでもない大損失にさえなりうる。

もうこれはひたすら日本語環境で慣れるしかない。

タイで出会った、とあるタイ人の女性は、タイの地元の大学で日本語を学んでいたけど、彼女はそんな「てにをは」のあまりの難しさゆえに、それ以上の日本語学習を挫折したとすら言っていた。

絶対的に「正しい日本語」は存在するか?

そんな世界的に見ても、同じ漢字を使う中国語以上に複雑怪奇な言語である日本語は、極めて記号的で機能的でシンプルな英語などの言語とちがい、非常に情緒的な言語である代わりに、その使い方や使われ方が複雑がゆえに、無駄でストレスフルになることが多い。

そして、正しいとみなされる日本語は、時代とともに変化している。

そもそも日本語は、日本人だけのものじゃない。日本でも海外でも外国人が日本語を使っている。

極めつけは、なぜかインド人同士ですら日本語であいさつしているのをインドのブッダガヤで見かけた。そんな時代なのだ。

自分の使っている日本語が、どこまで正しいのか。

逆に、自分の使ってる英語は、どこまで間違ってどこまで正しいのか。

正しい日本語の基準は誰がどう決めるのか。それゆえに、あなたの日本語は失礼だとかなってないとか。言葉で縛り付けたり、言葉狩りになっていないか。

絶対的に正しい日本語。

その答えは、突き詰めてしまうと、死んでも見つからないでしょう。

 

それだったら、

生きてるうちに、その表現に愛と想い、心や魂があれば、いろんな表現を使ってみてもいいのではないか。

想いや魂、愛が無ければ、たとえどんな丁寧な表現でも、氷のように冷たく、結果的には失礼になるかもしれないのだからだ。

 

どうでもいいけど、バングラデシュ版「カトちゃんぺ」

この人なら「ご苦労様でした」と言っても、全然許してくれそうな気がする

まとめ

だから私は、これからも文字通りの苦労をされた方にはどなたであろうと

「大変にご苦労様でした」

と言います。

そのほうが自然だからだ。

先輩だのなんだのと気にして「無難だけど不自然な表現」にするよりも、その場に適した自然で的確な日本語を使うことのほうが大事だと思う。

特に私はトラベルブロガーと言う表現者の一人なので、的確な日本語を使うファクターは特に重要だ。

そして最後に・・・

件のやり取りの後、

このような返事が返ってきました

あえて使ったというのなら、何も言わない。司会の〇〇さんも、気にしない気がするし でも今の文化に突っ張るなら、それなりの覚悟でね 厳しい人、多いよ^_^

あなたは、

どう感じましたか。