バングラデシュ入国!3時間で見たバングラの様子と、両軍の退陣式を見る

インド2019
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5月1日の「令和最初の日」に、「バングラデシュ初入国」という、たびいちの「令和作戦」が待っている。

インド出国・バングラ入国などの手続きについての詳細は、こちらを見ていただくとして

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バングラ最北端の様子をお送りします

5月1日

昨夜のカウントダウンの余韻を残しつつ起床。室温29℃で天井ファンを回すとやや肌寒いぐらい。

ホテルには連泊し、バングラ国境へは身軽な荷物だけで行く。

バイクで国境近くにある空き地にバイクを停め、ヘルメットはシートを外して、ヘルメットフックに着けて、歩いてイミグレーションの建物へ出国手続き。そしてバングラ入国。

イミグレで知り合ったバングラ人の若い女子が中々の美形だった。インドに行った目的は、シリグリやジャルパルグリあたりの家族旅行だといっていた。

いよいよバングラへ!点線が国境。

 

バングラから振り返ったインド。

インド軍の送迎カートも、バングラ側の敷居をまたがないよう、ぴったり点線の前で止まる。

ようこそバングラデシュ

 

バングラを歩く

バングラ入国手続きが終わると、早速、入国記念・ならびに令和記念に向かいの茶屋でチャイをしばく。

売っているお菓子なども、見事にインド製は見当たらず、すべてバングラ製になる。同じ発展途上国のネパールやブータンは、商品などをインドからの輸入に頼ってるのを見ると、バングラは自国生産・自国完結ならびに輸出もできる規模の国である。

人口が1億6000万人以上もいて、ロシアや日本を凌ぎ、ブラジルやインドネシアに近いとなれば、自国生産できるのは当然と言えば当然か。

レート的には1タカ=1.2インドルピーとなるようで、わざわざ価値の低いバングラタカを両替しなくてもそのまま使うことができた。5タカの商品は5インドルピーで買うことができた。

このチャイは1杯5ルピーでOKだった。実質的にはタカ払いなら4ルピー程度か。

国境から歩き続けると、砕石砂利加工場が延々と続いて、建物にしても、人々も、インドとまったく変わらない。看板の文字もベンガル文字だし。
「ここはまだインドですよ」と言われても信じてしまうほどだ

ただ、バイクの種類が変わる。インドでは100%インド製のバイクだったが、ここではインド製のバイクがメインながらも、中国製のバイクもよく目に着いた

そして車だと、トヨタや日産などの日本の中古車も目立つ。バングラは日本やインドと同じ左側通行の右ハンドル。しかし工業大国でもあるインドではバイクだけでなく車もすべて自国生産と供給ができるから、日本の中古車は全く見かけなかった。

ほかにインド西ベンガルと違う点と言えば

ルンギーをまく男が増えた
インドに比べて喫煙者が格段に多くなった
話しかける人が3割増し(とはいっても、噂してたほどしつこくはなかった)

といったところ。

軽トラに何十人も乗るシーンは、さすがはバングラだな・・と思ってたら、インドでもありふれた光景だ。

国境から2キロほど歩いたところにバングラバンダの村に着いた。ここはきっと稚内やタイのメーサイのようにバングラデシュ最北の村だろう。

村の風景や雑踏じたいは、インド西ベンガルの田舎の村と基本的には同じだけど、より生々しくなった感じがする。

バングラデシュ版「カトちゃんぺ」

人々の顔立ちも、掘っ立て小屋の食堂の風景も、出してるものもインドの屋台と全然変わらない。おばさんはサリーを着てるし。

しかし、並べたコップにあらかじめ水を入れておくのがバングラ独特かも。

割と英語のできる人も何人かいて、そのうちの村人の一人に「インドに行ったことがあるか?」と聞くと、

「普段は行かない。3年前に行ったきりだ」と言われた。

インドは目と鼻の先なのに、バングラ人の場合、パスポートを取らないとインドに入国できないらしい。

ネパールやブータン国民なら、インドに自由に行き来ができるが、バングラの場合だとそれができず、そこがなんとも歯がゆいと思う。パスポートすら取れない人だっているだろうに。

村を散策した後は、再び2キロ歩いて戻って、国境に戻る。しかしあれもこれもとみてるうちに、どんどん時間が過ぎて、ギリギリの出入国になって焦った。

たかが3時間ほどしか見ずにバングラデシュをかたるのは間違ってるのだろうけど、
バングラはただ人口密度の異様に高い平原が続く、めしが格段に旨そうなわけでもないし、自分的には、一日いれば十分かなと思った。

こうして何とか出国し、インド再入国手続きを終えたときはホッとした。

今夜の夕食は、初のバングラ入国成功と令和最初の晩餐ということで、シリグリの町から北西にあるショッピングモールで、インドではとても贅沢なKFC。takeawayでホテルの一室で食した。

朝 Pazzta
昼 チャイ5 パン5
夜 Super Charger(チキンバーガー)1個。チキン1pc。ポテトregular。計269ルピー。ドリンクのチャイは、宿の近くで買ってきた。10ルピー。
宿 Siliguri Damodar Residency304号室 500.
走行 33km

 

5月2日

8時半ごろ起床。
夜中までずっと雨が降っていたが、朝は天気がいい。

しかし、体と心が動かない。くやしい。

翌日なので、ラジオのパーソナリティからは、さすがに令和がどうだとうはなってない。宿題が残ってるとか、祝日とかの話題が主だった

このところ、インドにいながら令和祭りのため、きのうまではずっと目まぐるしく忙しかった。

本日は何日かぶりにまったり休息。

カウントダウン以降、すっかりネットラジオにはまってる自分がいる。ラジオなら聴くだけなので聴きながらほかのこともできるし、インドの騒音を忘れることもできる

ラジオでは10連休の話でもちきり。しかし自分は10連休どころか何百連休になるが、会社勤めの時のほうがある意味何にも考えなくていい部分があり、逆にその点では悩むこともなく楽だった。

なので、「どこへなにするのもあんたの自由だよ」という現在のほうが、ある意味大変だ

昼過ぎから曇ってきた。

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インドとバングラの退陣式 Retreat Ceremonyを見に行く

本当なら、シッキム方面に行こうと思ってたが、もう疲れたので、午後から再び国境に行き、

インドとバングラの両軍の退陣式 Retreat Ceremonyを見に行くことにした。

きのうもやってたのだが、出国時に慌ただしく見そびれたので、本日改めて見に行くことにした。

国境に到着し、最初は門から覗いていたのだが、門のいかつい軍人から「そっからのぞいちゃいかん」と言われる

見ることはできないんかなと思ってたら、しばらくして、パスポートを出せと言われる

パスポートを預ける代わりに、トークン(段ボール製の札)をわたされて、国境間近の観覧席まで行くことができる。つまり退陣式を観覧席から見ることができたのだ

点線が国境になっており、その手前がインド軍、点線の国境を超えた部分がバングラ軍。兵士たちのポジションや行進も、ちょうど対称的・対局的になっている。

 

儀式はずっと前からやっていたが、やがて徐々に盛り上がりを見せる。といっても観客は数十人ぐらいだけど。豪勢で燃える闘魂のようなパキスタンとのセレモニーに比べれば、実に牧歌的でのどかである。

対角線上に交えるように各々の旗を降ろす

そして、このセレモニーの目玉である、国境越しに握手をする瞬間。

このほかにもすべての兵士がそれぞれと握手をしていたが、すぐに握手するものもいればにこやかに握手するものもいて、まるで少年ジャンプのような青春ぶりに、なんとも人間味があふれるではないか。

こうしてインド時間の17時20分ごろセレモニーが終わり、見終えてホテルに戻ったのだった。

朝 フライドチキンのこり コーヒー
昼 チキンラーメン10
夜 チーズスナック10 チキンラーメン10
宿 Siliguri Damodar Residency304号室 500.
走行 31km

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