阿部雅龍の死 偉大なる冒険家へのレクイエム

日常生活
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春らんまんの気持ちのいい陽気の中には似合わない、まさかの一報が。

3月31日、我が友であり、プロ冒険家の阿部雅龍氏が私達の元を去りました。

そして4月1日。ウソだといってほしい。

しかしウソではない。もう彼は、この世にはいない。

ちくしょう!ちくしょう!!

くやしい!くやしすぎる!

聴いてはならぬ一報を!
この世を離れるのは、まだ早すぎる!

阿部雅龍・がりゅう君は南極からも読んでくださるほどのたびいちドットコムのファンでした

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そんな偉大なるたびいちファンを失った喪失は計り知れない。

なので、君への思いを、レクイエムとしてたびいちドットコムに記事にします。

天国で読んでほしい

 

脳腫瘍で倒れて

昨年夏、がりゅうは突然病気にかかった。脳腫瘍だという。それまでは異常もなく、それまで通り普通にコメントもくれたりした

脳腫瘍というと、モーレツサラリーマンがかかるようなイメージなので、思い当たる節はあった。

けっきょく南極大冒険のために、常人を越えたトレーニング。南極で何が起こっても対応できるように、着の身着のままジーパンのままで就寝。そんな24時間緊張と負荷の中での生活。

我々普通に生きる人間とは、常軌を逸した生き方をしていた。心身とも何人分もの過度の負担がかかっていたはずだ。

なので、心の準備はしていたよ。

それは、ドラゴンボールの孫悟空のように、がりゅうくんは一度死んだものだと考えてた

そしたら最悪の事態になっても心の準備ができてるからだ。

そしてエレガントなドラゴンのように復活して、再びこの世に戻るだろうと。

しかし、

奇跡は起きなかった。復活はしなかった。

過ぎたことを悔やんでも仕方がないが、僕のなまけぶりと、ゆるゆる生活ぶりを伝授すれば、もっと長生きできたろうと思うと、悔やまれるばかりだ!

 

愛される男

自分の個人的意見として、冒険家というのは好きではない。それは人間としての振れ幅が大きすぎるからだ。

植村直己のように世界的に愛される冒険家もいる反面、冒険というのは非常識な行為でもあるので、社会的常識からズレてて、我が強くえらそうで尊大で偏屈な人間が少なくない。

どっこいがりゅうは違う。腰が低く礼儀正しく常識を守り、いつも前向きで一生懸命なので、女にめちゃくちゃモテるし、男にもモテる。とくにマダムに大人気。

社会的常識やマネタイズも旨くできており、そのため元気玉のように巨額のお金を集めて南極に挑戦することができた。その孤高なる生き様は、植村直己に最も近いのではと個人的に思う。

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道を極めし者

彼は冒険の道を極めし男、極道者だった。雅龍の名の通り、腕には龍の紋が入っている。

なんとも彼の父は、伝説のバイク軍団・ケンタウルスのメンバーだった(ケンタウルスに所属していたというのはたびいちとしても驚きだった)そして傭兵だったらしい。バイク事故で若くして死んだ。かなりの過激な生き様をしていたのだろう。

そして父の背中を追うように、41歳で永眠した

 

訃報、それから・・・

本当だったら、こんな記事かきたくないよ。

ちょうど今日も春の陽気の下、ゆるゆるとタイの常夏ビーチを妄想するきらきら旅行プランを立てるとこだったのに。

そして次のタイの旅先での珍道中をたびいちドットコムでリポートして、がりゅうくんたちを楽しませてやりたかったよ。

この記事はしばらくしたら削除します。

暗くて重い記事はたびいちドットコムにふさわしくないし、いつまでも悲しみにあけくれてしまうと自分自身良くないので、削除して内容は豊岡の講演会記事へ合併させます。

そうしてありし日の阿部雅龍の心を背負って、我々は強く生きないといけない。

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