2024日本一周36 和歌山>静岡清水 最終日はまたも思い出の地巡り

日本一周2024
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6/06 Day201(36)
令和6年6月6日。666のオーメンな日である
平成6年6月6日は30年前。その日は高校生だった当時PCエンジンのゲームをやっていたどうでもいい記憶があるが、そんな日本一周西日本編もいよいよ最後!

天気:はれ 夜中一時雨
8時起床

この日は、和歌山県北部にある某バイク店で働いてる知人・Bさんに会いに行く
Bさんとは20年前、賀曽利隆氏の集まりや、海外ツーリングの集まりなどでお会いしていたが、それ以来ご無沙汰していた。
最後の日本一周ということで、その時もらった名刺の住所を頼りに突撃訪問することにした。

と言ってもきのうの姫路のまさやんと同じで、突然のアポなしなので、店自体もまだ存続してるかもわからなかったし、本人がいなきゃいないでいいと思ってた。

かつらぎ町の道の駅で水を汲んだ後は、携帯電波基地局前で朝食づくり。こういうところは人が来ないから気楽だ。昔何年か携帯業界で働いていたので、あの日の仕事がふとよぎる。そんなハイテク大好き電脳寅さんなのだ。

Bさんの働く某店の住所に初めて到着すると、すぐそれとわかる小さなバイク店があった。店に近づくや否や、すぐに見覚えのある顔が店から出てきた。白髪が一気に増えてるが、その鋭い顔つきはまぎれもなくBさんである

とはいっても20年近くぶりに会うBさんもこちらの顔も忘れてるだろうし、Vストローム250にフルフェイスだと誰だかわかったもんじゃないので、
Bさんは「え、誰?この人?」みたいな表情をしていた

そこで私が「誰だかわかりますか?おぼえてますか?」とヘルメットを外すというと
しばらく考えて、「アフロだ」とわかってくれた。当時の通名は「アフロあきら」だったので。

ナックルガードは割れ、エンブレムなどあちこちにスリキズがついた。そのせいかブレーキランプも付きっぱなしのため直さないといけないし。

ブレーキランプのスイッチは、転倒の際だかにコードが断線したので、パーツごとの交換が必要かとおもいきや、なんとはんだ付けをして直してくれたのだ

いろいろ話して昼過ぎには出る予定だったが、いろいろこまごまとした修理や昔話をしているうちに、19時前ごろになってしまった。

この時修理してもらったのは、両輪のブレーキフルードの交換とブレーキランプSwitchの修理。素人メンテナンスのためダメだしされる中で、エンジンはきれいだとほめてくれた。時々全開走行をしてシリンダー内のカーボンを飛ばしてるからだろう。
ナックルガードは簡単なのでアマゾンで安く注文し、自分で交換。便利な世の中だ

和歌山県からは、阪奈和道と名阪国道で一気に名古屋へ。

20時、天理。23時、名古屋。毎度の名豊国道と浜名バイパスと、深夜の国道を新幹線なら新快速のように走ってきたが
浜松でけっこうな雨が降ってきたのでもうあきらめる。1時20分頃、浜松の国道高架下でテント張ろうと思ったが狭かったので国道沿いの小さな公園でテント張った。2時すぎ寝る。

朝 よもぎスパゲティ
昼 謹製豚丼 みそ汁 たくあん
夜 おにぎり からあげ
宿  浜松 公園

走行 349km

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6/07 Day202(37)

天気:はれ
7時半起床。近くの歩道は地元の中学生が通学するような平凡な朝だが、自分にとっては西日本編最後の朝だ
海も近く湿ってるのか蚊も多かった。浜松は南国的な空気かもしれない

8:43出発。
日本一周の旅では100%皆勤賞で寄っている大定番・道の駅掛川で

無芸大食のたびいち、インドアフリカ仕込みの食欲で余裕で完食。

食後はナツメロを聴きながら毎度のPC仕事。しかし廿日市以来充電できてないので、バッテリーが足りん。

清水では、山口県柳井市につづいて、思い出の地巡り
小学1年まで住んでいた柳井市新庄から、次は静岡県清水市(現・静岡市清水区)日立町を引っ越した。
ここは小学1年の夏から2年の時まで住んでたから、1984年(昭和59年)~1986年3月まで住んでいた。

とはいっても、柳井の時とちがって、清水は地元の熊谷から国道1号で静岡・名古屋方面や西日本へ行く場合、清水は必ず通り道になるため、その後も清水は何十回も通過し、日立町にも何度かちょくちょく寄っていた。
清水は柳井と同じく海あり山あり、遊ぶところも近所の裏山や駄菓子屋ゲーセンから、市民プールやら狐ヶ崎ヤングランドや日本平など、ものすごくたくさんあったので、割といい少年時代を過ごせたと思う

清水市日立町の社宅跡についた。4階建ての団地の4階に我が一家が住んでいた。記録をたどると、便所は汲み取りから水洗便所に変わったが、やはり和式。最初住み始めたときは、ペンキの臭いが印象的だった。炊飯器はガス式ではなくなったかな。テレビは14インチのダイヤル式からボタン式に変わり(と言ってもリモコンはない)その畳の上のテレビでファミコンに熱中していた
窓からは富士山が大きく見えてたのが良かった。
当時の我が家の車はダイハツの550㏄の軽ワゴンから、シャレードになっていた。その時から車自体は好きだったし、むしろ小学生の頃はバイクよりも車のほうが好きだった。そのくせすぐに車酔いしたので車に乗るのがいやだった。

そんな車・シャレードで、家族で浜松のフラワーパークやら伊豆のサイクルパークみたいなとこや、そしてまだ新しいばかりだったディズニーランドにも行ったことがある。
生まれてからずっと山口や静岡の田舎に住んでいたので、デイズニーの帰りの途中の首都高の東京の景色は、見たこともない超高層ビルが立ち並ぶのをはじめて見た時、子供ながらに異世界な未来都市に思えるぐらいの強い印象が残っている。

日立町の団地は何年か前まではあったが、いまはこわされ面影はなく、ロータリー付近は全く別の住宅街に変貌した
柳井では長屋風の住宅から団地に変わったが
清水では逆に団地から2階建ての一戸建て住宅街に変わっていた

鉄舟寺の裏山で遊んでたな。寺の裏山は、いまも墓場になっている。

最近、鳥居にぶら下がってひんしゅくを買ったインバウンド体操選手が話題になってるが、当時の昭和のワルガキ共なんざそれを凌ぐバチ当たりをやってた。

それは、小学校高学年の遊び仲間が、なんと勝手に墓石の上に踏んで飛び乗って、墓石伝いに上へ上へと裏山を登っていくという、めちゃくちゃ罰当たりなアスレチックな遊びをしていた。当然、そのうち近くにいた中高生にどなられた。

自分はといえば、さすがにちょっとやりすぎだし、こわいし、何より「たたり」がありそうだから墓石には登らなかったけど。

そんな令和では考えられない、粗削りな昭和の少年時代を鮮明に思い出した。
ほかにも思い出の地がいっぱいあるのだが、全部寄ってたらキリがないのでこれぐらいにしとく。

13:40清水出発。
14:20、2021年以降泊まった田子の浦に寄って休憩。今回は蚊がすごく多かったので、無理して泊まらなくても良かった。

yabai yabai yo!

Vストで山梨県には未踏だったので、峠付近でほんの少しだけ跡を残して、戻る。

つかのまの神奈川

静岡県に戻る

R246、R16とひた走り、八王子に来るころには疲れてきた

ここで熊谷の自宅に戻りました!!と言いたいところだが、
とある人に会うために、最後にホテルルートイン鴻巣に寄った。ここは地元の配達で来たことがある。

ゲストは客室の部屋には入れないので、ロビーで土産代わりに今回の旅の話をした。ルートインのフリーコーヒー何倍も飲みながら。

いろんな人に出会い、いろんな思い出の地を巡った帰路。
最後の最後は、ルートインを出た時、まだ帰りたくない気分だった

そして
23時過ぎ、自宅に戻ったのだった。

朝 ペヤング超大盛 ココア
昼 蒲焼さん太郎 チョコ

宿

走行 372km
西日本編総走行 5879km

西日本編でかかったガソリン代 \36984   11月 27, 2024 at 07:00

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