インドの異空間・ゴアはどんなところなのか!?
ゴアの記事は、この一本にまとめましたので、ごらんください。
(72)鬼へ行く
インドには、な、なんと!!「鬼」という村がある。そしてインドなのに日本のテレビにつっこみをいれまくる、今日もマヌケな旅でござるの巻。
記憶を呼び戻す旅
15年ぶりに訪れて泊まった、とある小さな町。
しかし、その町のことは、町の名とホテルの名以外、全く覚えていない。
そこで、15年ぶりに再訪して、どんな記憶がよみがえったのか?
2月11日
蚊にやられながらほとんど眠れずむかえる朝。夜明けがおそい。5時の気温19度。
ウランの町は朝から活気がある。フランスパンのようなパン1ケ5ルピーと、牛乳500ml20ルピーを買って朝食。今朝は晴れてはいるが、ウランのJettyから15kmほど先の対岸のムンバイを見ようとしたが、ムンバイは全然見えず。
それからはゴアへ南下する。ムンバイからゴアへの区間は、本当なら高速区間のある内陸部の国道4号でいきたかったのだが、国道17号・66号で行く。理由は、15年前のルートを辿り、そのとき泊まったチプルンという町で泊まった「ホテル・アルン」を再訪するためと、翌日向かうオニという村に行くためである。
そういえばGJ州やMH州北部ではベジタリアンの食堂しかない事が多かったが、ダマンから南へ行くと、ノンベジのレストランが増えてくる。ありがたいかわりに、なんか人々の雰囲気も劣る。人々の感じ悪い。商店でもビン入りのジュースが定価で買えなくなってきた。ビンには10とかいてあるし、店の少年に「10ルピーでいいよ」と確認をとったのにかかわらず、店の女に50ルピー札だすと、おつりを35しか出してくれないので、またコチンコチンと揉めてしまった。
ここは金は天下の回り物のインド。なのでこれ以上お互い無駄な摩擦を起こさぬよう、
「インドは地球ではない。日本などの常識が全く通用しない、銀河鉄道999にでてくる宇宙惑星だ」
と考えることにした。買う前に値段を念入りに確認して、それでもぼったくられたら柔軟な対応をしなくては。
ともあれここまで南下すると、真冬だというのにもう真夏の暑さなので、初めのころ寒さに震えながらチャイを飲んでたのがウソのようである。
チプルンに着いたのが結局暗くなった7時過ぎになった。15年前の日記を見ると、チプルン~ムンバイ間は7時間50分だったのに、今回どんなにがんばって走っても11時間もかかった。
15年前の世界一周の時はデジカメもGPSもPCもiPod touch もない、アナログ装備だったので写真を撮る事はあまりなかった。当然コンセントなんか使ったことがなかった。手持ちのフィルムも限られていたし、1まい撮るとコストが20円ぐらいかかるので、撮る価値のあるものか?と考えながら大事に撮っていた。
かたや今ではデジカメなので、撮影枚数を気にすることなく、撮るたびにいちいち止まったりUターンしたりして1日に何百枚もとったりするので昔のように進めなくなってしまった
15年ぶりに来たチプルンという町のことは全く覚えていない。しかし昔泊まった宿を探すことによって、心の奥で眠っている昔の記憶を呼び起こすのが今回の旅である。
「ホテル・アルンはどこか?」と何人かに聞いて、たどりついて、「それならあれだ」と別の名前の安宿を指されたが、そこのレセプションに入ると、
柵で仕切ってあるバイクの置ける中庭といい、古びたレセプションといい、なんか来た覚えがあるような、デジャブな気がした。
改めてほかの人に「ここはアルンか」と聞くと「そうだ」という。
だとしたらデジャヴではなく、間違いない!
15年前、自分はたしかにここにいた。この町のことやホテルの事は全く覚えてないが、記憶の奥底に沈んでいたのが、よみがえってきた。旅の醍醐味。
15年で、近代化に向けて多くのものが激変しているインドで、当時と変わらぬたたずまいの空間を探し出すことができて、感無量だった。
この空間。この空気。卒業アルバムなどを眺める以上の思いである。
今夜はコモンルーム(ドミトリー)なら空いているということで泊まる事が出来た。
値段表とかを見ても英語が一切書かれていないので、インド人むけであろう。1泊112ルピー(ロッカー使用代10、コピー代2)と今回の最安値。15年前の時はシングルルームで100だったので、そんなに値段は上がっていない気がする。
共用バストイレにいくと、汚いインド式で、たしかにここに入った覚えあるかな、と思った。インド音楽をかけながら誰か水浴びをしている。自分も昨日は野宿してかなり汚いので気合を入れて水シャワーした。さっぱり。相部屋には私のほかにインド人が3人いたが、疲れたので23時に寝てしまう
走行318km
2月12日
8時20分起床。15年ぶりの宿。狭い部屋にぎっしりのドミとはいえ、二日連続の寝不足とあって、快適に眠れた。はっきりいって野宿より全然快適。蚊だらけの救世軍のドミよりもいい。
足首を見ると、野宿した時に蚊にかまれたおびただしい数の痕があった。
蚊にやられる野宿はしたくないので、今日は走れるところまで走って日がくれたら宿に泊まる。
夜道は危険だし、遅くなればなるほど空き室が無くなり、よけいに悪循環に陥る。
セールスマンとドミトリー
救世軍のドミは、バックパッカーがほとんどだったが、ここのドミの相室の人はグジャラートから来たセールスマンで、この町に来て健康機具などを売るという。なので私よりもよっぽど身なりがいい。現地担当の人がドミの部屋にやって来て、カバンいっぱいの商品を持ってセールスマンと打ち合わせをしていた。
1階のレストラン。ミールス風で、そろそろ南インドに近くなってきただろうか。
15年前の余韻を味わいつつも、11時半頃チプルンを出発。今日も片側一車線の山道が延々と続く、走りたくない道が続く。全然距離が稼げない。
この路線では、二つのミッションがあった
ひとつは昨日の宿に15年ぶりに宿泊できた
そしてもうひとつの使命は、鬼という村に行き、鬼村で泊まるのだ。
そして夕方ごろ、
ついに「ONI」発見!これがオニだ!
15年前の旅でもあったのは知っていたが、
今回の旅でしっかり鬼を検証したかったのである。
鬼につくと、国道沿いに商店があるぐらいのただの何の変哲もない小さい集落であった。
ちょうどおじさんがやってきたので、
「ここは鬼ですか?」とマヌケな問いをしてみたところ
「イエス、This is オニ」といわれた。
ただ、日本語で鬼というと、「ニ」にイントネーションがあるが、ここのオニは「オ」にイントネーションがある。
いっそ「ここに鬼は住んでいる?」と聞こうと思ったが、それはあまりにナンセンスなのでかわりに
「鬼に宿はある?」と聞くと、「ここは小さな村なので宿は無いよ、次の町・ラジャプルならある」
といわれた。
ウォークマンもびっくり、SONI だけどちゃんと「ONI」はいってるぞ。
鬼といえば、インドは「オニダ」というインドのテレビメーカーがあるのだが(ぜひ見てください)
https://tabi1.com/atw-photo-funny
そのオニダを引き合いにすると、おじさんは大いにウケていた。
無念なことに鬼での宿泊は断念だが、
充分よしとしよう。
さらば鬼!
次ぎの町、ラジャプルという町に入ると、「フードランド」という名のレストラン兼ホテルがあったのでそこに泊まる。
フードランドと言うと、まさに日本のスーパーみたいな名前だが、当然「本日特売日」とか「水曜市」とか書いてありそうな雰囲気は無い。
部屋は2階にあり、一泊350に負けてもらう。300だと断られるので、やはり400ではなく、350が一番いいようだ。
フードランドの1階レストランで夕食。チャイニーズ・チキンフライドライス90があったのでたのむと、なんと2~3人分はありそう超山盛りの炒飯が出てきた。ここはスーパーと言うより学生食堂か。
やたら長いインディカ米に鳥肉と玉子焼きが入っており、味はまさに炒飯と言う感じでうまい。ちょうどハングリーだったので、完食。
部屋に戻り、テレビをつけると、ポケモンやドラえもん、クレヨンしんちゃんなどの日本のアニメやSASUKEをやっている。
SASUKEは英語圏向けなので「Ninja Warrior 忍者武士」といかにもジャパネスク感ただようテロップが出てくる。
会場には「SASUKE 2005・冬」と写っていたので、ちょうど10年前だ。
その挑戦者の中には、変な髪形をしたまちゃまちゃが出ていた。
まちゃまちゃって今何やってるんだろうか?
走行175km
2月13日
9時50分起床。
昨夜と今朝と、日本の番組やアニメを放送しているが、なつかしいので、ついつい見入ってしまう。
ドラえもんは吹き替え。調子に乗ると「イエイ!」と叫ぶのび太。
のび太はいつからアメリカ人になったんだ!?
それにしても、ダメダメ少年の代表格のようなのび太くんが、
もし将来大人になったら何をやってるのだろう。と考えてみた。
そこで当時の世相を反映すると、マンガの始まった当初の
70年代なら「うだつのあがらないヒラ社員」になってただろうし
90年代なら「フリーター」になってたろうし
2015年現在なら、「ニート」や「契約社員」あたりになってるんじゃなかろうか。
と、
テレビつけながらパソコンをしながら、そして遠い異国のインドでドラえもんを見ながら思った。
(そういえばインドから帰国後にリリースされた、シェーシェー言う人が出てくる六つ子も全員ニートという設定だし、たしかにダメダメだった少年が将来ビジネスマンとかになったらあまりに非現実だしね。
そんなわけでまたもテレビを長々と見て懐かしさに浸ってしまったので、12時4分出発。そのかわりに一気に走る。出発からの最初の1時間で51kmも進めた。やればできる。
昨日よりは山道ではないので、走りやすかった。といっても、しばらくして集中力が途切れるとまたどうでもいい写真ばっかとってまたも進めなくなってしまう。
ゴアへの州境30kmあたりから、やっと片側2車線のハイウェイになる。
そして、いよいよゴアに入る!
1961年まで旧ポルトガル領だったゴアは、これまで訪れた旧ポルトガル領の大本山のような州だ。
さあ、インドの中でも世界中の旅人が集まるゴアでは、どんな世界が待っているか?
(73)ゴアに到着!インドにもカーニバルがあった! Goa Carnival 2015
浅草サンバカーニバルも終わったわけですが、
実は、インドのゴアは、旧ポルトガル領だったので、
カーニバルがあった!
サンバが終わって夏が終わった!という人は、
このインドのカーニバルをお楽しみください。
これがインドのカーニバル
「ゴアも旧ポルトガル領なので、リオのカーニバルみたいなのはあるのではないか?」
と思っていたが、
2月14日にはドンピシャのタイミングで開催されている事を知った。
もちろんリオほど盛大ではないにせよ、
浅草サンバカーニバルのようなものなのかと期待して
州都・パナジにある会場に行く。
サウンドカーから流れる曲はインドらしく大音量で派手なのだが、
山車は浅草と同じぐらいか、さらにこじんまりとして、
サウンドカーの音楽に合わせてフォークダンスのように踊っているグループもいれば、
適当に踊っているグループもいると、
本気度が足りないぞお。
と、ねぶた祭りの跳人経験者が見て、そう思ったのは言うまでもない。
カーニバルにはつき物の鼓笛隊(バテリア)や踊り子もなく、
正直言って期待はずれだった。
やっぱりカーニバルと名乗るのなら、あの露出度抜群の踊り子がいないと。
禁欲的で封建的なインドだからしょうがないかもしれないが、
山車の後ろで暑苦しいインド男たちが踊ってても、
色気が無さ過ぎ(笑)
なので、ゴアのカーニバルは、
リオや浅草のような本格的なものではなく、
「日本の地方都市のパレード・インド版」
だと思えば理解できると思う
会場には当然コンビニやスーパーも無く、
縁日のような屋台とかも無く、
あるのはアイスクリームの移動販売だけ。
一番安い棒アイスが20と普通に買うより割高だが、
暑いしほかに食べるものが無いので、7個ぐらい食べた。うまい。
まずは、インドにも待望のゆるキャラ発見!
まりもっこりではありません。火星人です
カーニバルを監視する警察官。
ここで悪い事すると即・狙撃されますよ(本当)
ジュラシックパークを思い出しますなあ
ドラック、煙草などは身を滅ぼすという、真面目なテーマも。
酒も煙草も色気も少ないインドは、実はまじめな国なのだ。
同じく真面目なテーマ。
巨大な金太郎・・ではなく、妊婦に書かれている文字は、
Save the girl child
インドで問題になっている、女児の堕胎をやめようという山車。
だけど怖すぎ!
敵か?味方か?アノニマスのお面。
日本の縁日のお面屋さんで、
ぜひともピカチュウやアンパンマンと一緒に
アノニマスも並べて欲しい(笑)
とおもったら日本でもちゃんと売っており、
縁日で買うより安いよ!
Vフォー・ヴェンデッタ 仮面マスク コスチューム用小物 20x16cm
若い(?)踊り子はというと!
日本(浅草)だとブラジルに匹敵するぐらいのエロさ じゃなくて露出度だけど
しかしここは露出の厳しい、ストイックなインド。
ゴアとは言えど、お色気はこれが限度!あ~あ。
以上がインドのカーニバルでした!
以下は、日記です
2月13日
マハラシュトラ州に別れを告げてチェックポイント通過。かつてゴアがポルトガル領だったころ、インドとポルトガルの国境ともいえる
そしてゴアに入ると、それまでのMH州は、ヒンドゥーと英語併記だったのだが、ゴアではなんと英語表記のみになり、またもびっくりする。まるで米英やザンビアやシンガポールのようだ。
英語も通じるおかげで、うんと旅しやすくなる。それゆえにインド中、世界中から人が集まる。インドは改めて国々の集まり、ヨーロッパ連合ならぬ、インド連合なんだなと思う。
夕方、州都パナジの手前からビーチへ向かう。途中、エンフィールドに乗った白人おばさん発見。いさましい!なんとも味があるぜ!
ゴアにあるビーチの一つ、パガビーチは、英語だけの看板、多国籍な人種。まさにプーケットのような雰囲気。インド人女子もサリーを着た田舎のインド女子とは全然ちがい、イケイケな格好しており、インドの素朴な田舎からやって来ると、なぜか複雑な気分である。
海の見えそうなビーチ沿いの宿は、1泊1500と思った以上にばか高い。ビーチでは雲ひとつ無く海に沈む夕日がはっきり見ることが出来て、感無量。
バガからさらに北へ行ったVagator Beachまで行くと、なんとインドではご法度のビーフバーガーを発見。これは食わねばなるまい!
まずはチキンホットドッグ30は香ばしいチキン味がしてうまかったが、ビーフバーガーはチーズ込みで90と3倍の値段。それでいて中のハンバーグはやわらかすぎてあんまりおいしくなかったが、ビーフの味は一応したと思う。後日ローストビーフ80を食べると、ちゃんとローストビーフで断然うまかった。
ちょうど近くでは、K-POP風の韓国っぽい若いアジア女性とインド人彼氏が食べていた。目があうと、彼女が「デリーからやってきたの?」と英語で話しかけてきた
自分が日本人だと言うと、日本語も話すことができて、日本語で「めっちゃ大変ですネー」などと日本の女の子と話してる気分である。
彼女は通称ラニー・28歳。日本には1年半学生ビザで祐天寺に住んでいて、三軒茶屋の日本語学校に通っていたと言う。そのあとワーホリビザで日本を再訪し、三茶のカフェ・コロラドで働いていたと言っていた。
ラニーちゃんは写真でいう真ん中の子に似てた。
出会ったばかりなのに、日本語のできる若い韓国美女と思いのほか盛り上がったので、もうインド人彼氏がいるのをお構いなしにずうずうしくも、
「君の泊まってる宿はいくら?安いのなら今夜はそこに泊まりたい!」
といって二人の後を付いていって、ラニーちゃんらの泊まっているBeach Way Guesthouseの空いてる部屋にチェックイン。一泊500で、道路に近いのでその分うるさいが、ここは宿代の高いゴアだし、清潔でまあまあの部屋なのでよし。部屋も見つかり一石二鳥。
こんなふうに「旅」はどう転がるかわからぬ双六のようで、どんな出会いがあるか、どんな災難が起こるかわからない。あるがままの日々を生き抜く。それが旅のきついところでもあり、面白いところでもある。
走行210km
2月14日
10時起床。まあまあの宿だし、疲れが溜まっているのでもう一泊。ああゴアでずっとのんびりしたい~。とおもってたらやるべきことが溜まっていて、何から手をつけるかわからないぐらいに多いことに気づく。
そのひとつとして、カーニバルに行く事。
「ゴアも旧ポルトガル領なので、リオのカーニバルみたいなのはあるのではないか?」と思っていたが、ドンピシャのタイミングで開催されている事を知った。
もちろんリオほど盛大ではないにせよ、浅草サンバカーニバルのようなものなのかと期待して州都・パナジにある会場に行く。
ゴアの恋愛経済
2016年の8月29日。すっかり夏も終わってしまいましたね・・・
そこで、日本の冬の時期が夏の真っ盛りな、インドの湘南・ゴアで見た恋愛経済と、ザビエルがテーマです。
2月15日
9時起床。今日は買い物して、昼は海で泳いでヒルネしてのんびりすることに。
宿から2kmほどいったところに、
インドでは珍しいOxford Arcadeというえらそうな名前の大型スーパーがある。
輸入品も多く、品揃えもとても豊富ですばらしいかぎりだ。
ケニアのディアニビーチにいたときも、
タイのカオラックビーチにいたときも、
それと同じように自家製ベーカリーと輸入品をそろえた長期滞在旅行者むけの大型スーパーがあったので、あのときの多国籍な商品をそろえた店内の匂いが、そのときを思い出す。
ノン・ベジタリアン・ラーメン
部屋に戻り、電機クッカーでラーメンを作る。
マギーのインスタントヌードルの袋を開けると
なんとアリンコが何匹か入っていた!
そして、アリを払いのけても
そのうちの一匹が鍋の中に入ってしまった!
これを見て
「これでベジタリアンラーメンからノンベジラーメンになったな」
と一人笑うあたり、すっかり思考がインド化している自分がいた\(^ω^)/
それにしてもマギーのインスタントメン。不味いというよりも、
「一億総美食家」になってしまった日本人に合わないのだと思う。
日本のインスタントラーメンは、世界一味にうるさいユーザーの意見を生かして、
海千山千のいろんな味を配合してうまくしているので、
マギーのように「安く早く腹が満たせばいい」と言う次元ではない。
それでもって日清のTOP RAMEN というインスタントラーメンは10ルピー。
例によってインド人向けのマサラ味なので、期待はしていなかったが、
食べてみるとカップヌードルのカレー味のようで、うまい。
何よりインド特有のくどい変なスパイスの味がしないのがいい!
やはり日本人には日本のメーカーが合う。
トップラーメンはあんまり売ってないので、
あの大型スーパーでまとめ買いしとかんと。
田舎だと雑巾舌のマギーしか売ってないので、泣けてくる。
昼は海水浴。
アンジュナビーチからさらに北にあるVagatorのビーチは波は砂混じりだが、
海水はじつにきれいである。
ここでは今までのインドのビーチとちがって、
酒も魚も食えるし、ビキニ姿でくつろぐねえちゃんもいて、
そのインドらしからぬ思った以上の自由ぶりにホッとする。
というのもグジャラートなどのビーチは、
せっかくの砂浜なのにゴミだらけで汚いし、
せいぜい若干子どもが泳いでるぐらいでとても寂しく、
封建的な雰囲気がして非常に不満だった。
インドの湘南・ゴアは
白人のほかには、大勢のインド人が押し寄せている。
インド人も砂浜で遊んだり海を眺めたり写真を撮ったり泳いだりマリンスポーツをしたり。
ゴアのビーチは、インド人にとっても「湘南」なのである。
そして
波打ち際を見ると、
砂にハートマークの中にインド人らしきカップルの名前が書いてあった。
それを見た途端
「砂に書いた名前消して 波はどこへ帰るのか」
とおもわず「真夏の果実」を歌ってしまう。
砂に書いた名前も、いつかは波で消える。
となると、書いた二人には失礼だが、
二人の恋も愛も、実際は今後どうなるかはわからない。
そう思うとはかないものだ。
そこに愛とロマンがあれば、大富豪!?
ところでゴア州はインドで一番豊かな州(Richest state)だという。
それは、鉄鉱石などの資源があるというのもあるが、
言うまでも無く「ビーチと観光」があるため。
それを証拠に、タイで一番豊かな県は、プーケットである。
ほかの封建的なインドのビーチと違い、女性一人でビキニで泳ぐ事も出来るし、
シーフードやビフテキも食べられ、ほかの州と違うことをやってるから。
インドの中でも極めて自由な環境こそが、
インドそして世界中からゲストがやってきて、お金を落としてくれる。
そこで出た結論は・・・
「愛とロマンは儲けになる。
お互いが惚れ狂ってしまえば、
お金なんてケチらずどんどん使うから」
なんて思ったりした
日本も働き方がかわって欲しい。フランスのように、もっと自由に休みが取れてビーチでのんびりできるような文化になってほしい。そうすれば多様な価値観が生まれて、魅力的な国になれるともうのだが。
走行18km
16日
9時起床。部屋は広くてきれいなのだが、
やはり道路に近いとうるさいので宿を替える。
といってもつぎのところは歩いてすぐとなりの路地の奥に入ったところなので、ホーンの音も聞こえてこない。同じ500ルピー。
かわりに、そのぶん西洋人滞在者が多く、ギターとフォークソングの歌声が聞こえて、なんともレトロな雰囲気。
インド人の家族経営で、Beachwayとちがって、おじさんもとても親切。
でもやばい、このままだとズルズル沈没しかねないので、
もううんざり、飽きたな、と思ったら出ないと。
そういえば、この部屋は二つのギャラクシーがある。扇風機もGalaxyだし、便器もGalaxy
おもえば、インドはギャラクシーと名のつくものが多いことに気づいた、小学校もGalaxy Schoolというのがあったし、きりがない。
はじめスマホのGalaxyに引っ掛けてるのかとおもったが、そうでもないらしい。
まさにインド人イコール宮沢賢治、
銀河に思いをはせるインドは、世界の中の岩手県である。
バイクのほうはというと、
セルモーターが元気がなく、エンジンがかかりにくい。昨日までは普通にエンジン始動できたのに。
バッテリーが古いのか、ジェネレーターがダメになってるのか、ヤマハに行って調べてもらう必要がある。ネットで調べた最寄のマプサにあるディーラーがなかったので、明日調べなおそう。
かたや人間のほうはというと、
あるスーパーに入ると、ワンピースを着た若い白人が、
なんと4歳の女児のようにパンツ丸見えでしゃがんでいた。
閉鎖的なインドの田舎から来ると信じられない事で、
その反動で本能がもやもやしたのは言うまでも無い(笑)
この日は、バイクは元気ないのに、
人間のほうは妙に元気になってしまった。
夕方からは、バゲイタービーチから10km離れたバガビーチにあるCafé del marに行く
本場イビサのCafé del marと関係ないとおもうが、
ビーチに面しており「海のカフェ」である事には変わりなく、
本家と同様、西洋人DJが日没に合わせた曲を流す。
ここのメニューが異常に高いせいか(コーヒーだけなら50ルピーと安いが)、
ほとんど客がいないのでガラガラで、
おかげでのんびり日没チルアウト&WiFi作業できる!
停電がよく起こるし、蚊も出てきたので8時に店を出た。
果物屋でみかん2個とメロン1個、40ルピー(安い!)を買い、
昨日と同じくローストビーフ80ルピーとチキンホットドッグ30ルピーを買って宿に戻った。
たまった写真や日記などの作業のため、寝たのが翌朝6時前。夜も明けていた。
走行62Km
ビーチ&クラブだけがゴアじゃない!歴史の古いオールドゴアでは、あの歴史上の人物にも会うことができました!
2月17日「会いに行ける歴史上の人物」それがオールドゴアの主・ザビエル。
11時20分起床。今日はヤマハの店を探すも、見つからず。といっても単にバッテリーが古くなっただけならヤマハの店で無く、適当な修理店に行けば売ってるだろうし。キックスターターもあるのがいい
夕方Café del marに行くと、今日のDJがインド人だからか、全然夕日にあわない曲がかかってがっくし。やっぱりゴアのCafé del marはニセモノだったわけだが、ネットが出来たのでよしとしよう。
夜のマプサの町では、ほかのインドの街とちがって、ビール瓶片手のよっぱらいが多く、一触即発のような雰囲気。禁酒州のグジャラートなどインドの田舎では見られなかった異様な光景だ。気分がクサクサしてくる。
宿に戻ると、せっかく静かな宿に替えたのに、近くの部屋では長期滞在してる西洋人らが23時になってもやかましい。今日は気分が荒み、何もかもが嫌でしょうがない。がまんできず「もう寝るんだから静かにしてくれ」と注意した。
やはり、ゴアについてやっと自由な雰囲気だ、と喜んでいた反面、「自由の裏返しにあるもの」に失望しるのも早かった。
第60話で書いた、禁酒州グジャラートで聞いた言葉を思い出す。
禁酒州のここでは、立て続けに「ウィスキーは持っているか?」といわれた。酒を飲みたくても、禁酒州なので買えないらしい。
その反面。
「だけどここグジャラートはセーフなのだ。自由に酒の飲めるデリーはノットセーフだ」といわれ、なるほどと思った。制約の分だけまじめで風紀が良くなり「安全・安心」が手に入る。
ぎゃくにあらゆるものが野放しだと、危険である。南米とかアフリカはそうだった!
ここゴアにとどまっては淀んでしまう。このプロジェクト・インディアを決行した以上、どんどん次なる道へ走り続けなくてはならない。
0時半ごろ寝る
走行119km
18日
9時半ごろ起床。今日チェックアウトしようか迷ったが、日程が遅れてるし、キリがないのでやっぱり出ることにする。オールドゴアを観光しようと思うも、結局ぐだぐだしてしまう。
それでも今日の昼食は大当たりだった。
その店は「ロイヤルレストラン」と大仰な名前だけど、実際はインド人向けの至って庶民派レストラン。場所はパナジから国道17号で北へいき、橋を越えてしばらく行くと、バガビーチ方面とムンバイ方面に分かれるY字路の信号のある交差点にある。
ゴアン・フィッシュターリー100ルピーはゴア版・幕の内定食で、小さなかれいのフライ、チャパティ、ごはん、あさり、いもとカリフラワーのサラダ、小エビのサラダ、カレーには小さな白身魚と海老が入って超豪華。
これなら日本のインド料理店で、「ゴア風シーフードデラックスターリー」として売れば、8倍の1600円ぐらい取れる価値があった。
そのあとオールドゴアに行く。2ヶ月前、10年ぶりにフランシスコ・ザビエルのミイラが公開されて日本でも話題になり、そのときには間に合わなかったけど、今日大聖堂に行くと、祭壇の上の棺おけに入ったザビエルのミイラをちゃんと見ることができた。
あのまん中にザビエルがいる!
見上げると、荘厳なる装飾。
威容に満ちた棺桶
そして・・・・!
ついに
ついに、400年以上の時空を超えて、ザビエルを見た!
ザビエルは1549年(以後よく伝わる)に鉄砲を伝えたり、山口で初めてのクリスマスを開いたりと、そんな歴史の教科書に載ってた人なんですよ。
思えば自分の中学時代とかは、ザビエルといえばその輝かしき頭部ゆえに、だいたいが授業中に後頭部を落書きされてしまう宿命を持つ人物なんですが、そんな世界史の人物と、なんと50センチぐらいの距離まで近づけたので、
それを考えるとすごい事だと思う。
時代を超えた出会い。
あらためてインドの旅をした甲斐がある。
ザビエルに会ったおかげで、縁起も戻ってきた気がした。パワーをもらえた気がした。
そのあと、海に沈む夕日を見た。今日は雲ひとつ無く、太陽が完全に海に沈むのを見ることが出来てよかった。
たくさんの人が海で夕日を見ており、インド人カップルが口づけを交わしていた。ほかのインドのビーチではできないね。カッチ塩原で見た夕日と違って、大勢で見る夕日もいいね。
日がくれて、今日は州都パナジの街中の宿に泊まる事にした。
通りにいたおじさんが「ゲストハウスを探してるのなら案内しよう、私の友人のところだ」といわれ、ついていくと一軒目は安くないのでパス。二件目に、Roomsとしか書かれてない、店名のない民泊のような所を案内され、なんとか500ルピーにしてもらい、チェックイン。
まあ特に変哲のない安宿。水シャワーを浴びる。張り紙を見ると、部屋での洗濯炊事ダメといろいろ厳しいが、今夜は寝るだけなので問題なし。
しかもチェックアウトは朝8時半とやたら早いが、明日はゴアを脱出して思いっきり走りまくりたいので8時半でも問題なし。
走行127km
2月19日
7時40分起床。朝の室温29度。次の目的地はゴアから180km西のフブリという町。
午前中は昨日やり残したオールドゴアの観光を終えて、ロータリーに着いたとき、カルナータカ州ゴカルナビーチに行ってからフブリに行くか、そのままフブリに直行するか強烈に悩む。
「悩んだら、まずはめしを食え」
これは海外ツーリングの帝王・賀曽利隆氏の名言だが、まずは昨日のフィッシュターリーを食べに行く。料理が出るまで時間がかかるが、その間にどこへ行くか考える。そして食べながら考える。落ち着いて考えろ、と自分に言い聞かす
決断として、これからフブリに直行する。代わりにその前にバガトールビーチに戻り、泊まっていたところからさらに行ったシャポラに寄っておきたかった。
シャポラは、いまなおヒッピー的なディープな場所で、
まさに昔のカオサンそのものだった。
日本食店