温故知新!18年前のたびいちはこんな若気の至りではずかぴいこと書いてました
当時の流行をお楽しみください
■2005/12/12 (月) ブルースリージャージ伝説
今日も寒かった。
師走の忙しいデスクワークを終えて、
コートを纏い満員電車にて帰る途中に、
小さな広告が目に入った。そこにかかれていた文字は
Don’t Think, Feel !
これを見て、ある思いがよみがえった。
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オーストラリアを旅していたときのことだ。
同じころ、ちょうど大陸一周中のある一人のライダーが
カンフーのトレーニングに着る側面に黒いラインが入った黄色いワンピース式のジャージ、
いわゆるブルースリージャージ(当時キルビルジャージとも言っていた)
を日本から持ってきた。
大陸を一周中に、出会った旅人にそのジャージを伝播するという儀礼が一部の旅人の間ではやりはじめてきた。
彼から二代目としてジャージを受け継いだのだが、自分の顔つきはブルースにちっとは似ていたので、ある意味適任だったのかもしれない(笑)
そしてごく一部ではもはや伝説になってしまったが、
パースのクラブにて、みんなで踊りに行ったときのこと。
すっかり調子に乗りまくった私は、考えるな、感じろ!とばかりに
普通の服からジャージに着替えてお立ち台に上がってブルースリーの真似した。
適当にカンフーのポーズを取って奇声をフォーフォーあげていたら・・
みんなバカ受けした。 客層は白人だからウケルのは当然といえば当然か。
やったぜブワチョー!これが東洋の神秘だ!なんて心酔するのもつかの間、
今度は係員が来て、この哀れなブルースリーもどきはお立ち台から引き摺り下ろされたのだった。
ろくに考えず感じるままに行動していたあの日。
そして、そのジャージは今九代目になっているという。広大な南の大陸の何処かで、誰かがきっとそれを着てブルースリーのように熱く奇声を上げているのかもしれない
■2005/12/13 (火) Sydney暴動
昨日はとくに寒かったわい。夜9時にはなんとうっすらと霜が着いていた。こんなに寒いのかと驚いたが、きらきら反射して輝いてきれいだったな。
シドニーにいた二年前は真夏だった。
さて、三浦和良も住むであろうシドニーで、暴動が起こった。これもまた本当に驚いた。
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シドニーで5000人が暴動 白人ら、アラブ系若者襲撃
【シドニー12日共同】シドニー南部の海水浴場と周辺地域で11日、海水浴場監視員2人が4日にレバノン系の若者に襲撃されたことに反発した白人の若者ら約5000人が、アラブ系の若者らを襲撃、救急隊員2人と警官6人を含む計31人が負傷した。
警察当局は反社会行動などの容疑で、16人を逮捕した。携帯電話のメッセージなどを通じ、報復が呼び掛けられていたという。
白人の若者らは「レバノン人は出て行け」などと叫び暴徒化、警察官に向けて投石するなどした。
救急隊員2人は、海水浴場の建物に避難したアラブ系の若者を救出しようとして負傷した。
(共同通信) – 12月12日11時5分更新
http://au.news.yahoo.com/051211/2/x6ab.html
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私はシドニー南部のロックデールRockdaleに半年間住んでいた。
Cityから南に10kmぐらいの住宅街だが、シドニーの北部は高級地で、日本人も多く住んでいるが、その南部は少なくなり、特に南西部郊外では日本人はほとんどいなくなり中国系やベトナム系、アラブ系などが住むようになる。
ロックデールの家から3kmほど東へ行くとBrighton-le-sandsというビーチがあった。
そこにはよく行ったりしたのだが、サーフィンのできる外洋のマンリーやボンダイなどのビーチと違い、南部のビーチは市街地に近く泳ぐには適さない。
だからみんな散歩したり海岸で遊んだりのんびりしたりしているのだが、そこではいつもアラブ系の人たちが大勢海岸でくつろいでいたりした。とはいえど家族でピクニックしたりして、いかにも平和なビーチだった。
私が住んでいたロックデールもアラブレバノン系の店が多かった。でも静かで落ち着いた住宅街だった
しかし、アラブ人の問題も多かったのも事実。
西部郊外ではアラブ系のコミュニティが数多く存在し、そこではアラブ人同士のギャングの抗争も多発していた。
礼拝所のモスクにはナチスのハーケンクロイツ(鍵十字)とともにWHITE POWERと書かれた落書きもあったりした。
もちろんこれだけ多種多様な人種が住んでいると、ある程度の衝突は避けられない。
私が住んでいたときも小規模ではあったが、下町の中にある先住民族アボリジニのコミュニティでは、アボリジニvs警察の衝突があった。引き金は警察の誤認逮捕。後日そこへ行くと硝煙の匂いが残っていた。
しかし、今回の大規模な事件は、多民族社会で人種には寛容なシドニーらしからぬ事件だったと思う。
シドニー五輪の頃はひとつになって統制が取れていた気がしたが、時が立ちフランスで暴動が起こると、ついに堪忍袋も爆裂したのだろうか。
■2005/12/15 (木) ちょいとまじめに、死の美学。
元ノーベル平和、文学賞候補が処刑
これは全米で議論されているニュースだが、康夫ちゃんならぬ、シュワちゃん知事(だいじょーV、のね)がギャングの元親玉の恩赦を撤回、死刑判決を下した。
かれが71年に組織したギャングは黒人に対しての人種差別の根強い警察に対しての自警的な目的だったというので、ある意味任侠の精神に近かったもしれない。
しかしそれでは何の解決にならないどころか、ますますストリートギャングの犯罪が膨らんでいくときに、彼は清水の次郎長のように改心し、組織解体への活動を行ってきた。ノーベル賞候補にもなった。当然死刑撤回のデモが行われていた
しかし、死刑が確定し執行前に彼はこう言ったという。
「多くの喜びをもてない人生だったが、心は今幸福で、平和に満ちている」
まるで、北斗の拳でラオウが「我が人生に一片の悔い無し!」と言ったように。
両者とも、常に死を身近に感じ、本当に命がけで生きてきた人間の言った言葉。
せいいっぱい命を使い、燃え尽きる。
私も死ぬときは、「人生とても幸せでした」と言えるような、そんな素晴らしい死に方をしたい。
生の道をまだ進むか、死の道を行くか。
彼は自ら進んで死の道を選んだ。
どちらの道も、最良の方法だと私は確信している。
殺害された被害者や遺族に対して死を持ってつぐなうべきだ。
そして、彼の死が無駄にならないよう、あらためて「生きる」と言うことに関して戒めるべきであろう。
■2005/12/24 香港とタイのクリスマス
全国的に雪が降った。クリスマスはやっぱりホワイトクリスマス。
しかも週末と重なっているので今年は日本にとって例年にない最高のクリスマス日和に違いない。
しかし自分にとってサービス業で昨日も今日も明日も仕事の日々なのでクリスマスもへったくれもない。
まあ、今まで遊んでたからしゃあないか。
去年のクリスマスは香港とタイにいた。
イブまで香港。天気も良く暖かいので人々がうじゃうじゃ。
果てしなく広がる摩天楼には圧巻した。摩天楼の規模はニューヨーク以上だとおもう。
よるになると摩天楼のクリスマスイルミネーションが。たくさんの人々で集まる。便乗している路上のクリスマスグッズ売りも大盛況。
一人で見るにはもったいないね~
とにかく人まみれ。高層建築がひしめき合っているということは、人口密度が極端に高いことなので、人だらけではっきり言って疲れる。自分はとてもこんなところ住めないと思った。
イブの夜、アフロサンタは香港からバンコクに上陸。
同じアジアの大都会とはいえ、物価も安く、人々もせかせかしてなくてどこかのんびり。やっぱタイはいいね~
そのときは安宿がなかったので駅前のホテルに泊まってテレビを見ると、クリスマスのイベントをやっていた。仏教国なのに商業的なクリスマスは日本と同じじゃないか!
バンコクの中心、サヤームスクエアなどではモロにクリスマスチックだけど、白人(ファラン)も避寒で大勢タイに訪れるわけだし、新し物が好きなタイ人にとっては仏もキリストもカンケーないんだろうね。
雪の降らないタイなのに、雪が降ってるシーンを再現したアニメ処理が泣かせる。
あと、こちらにも世界のクリスマスを書いてあるのでよんでね。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Oasis/2599/es7.htm
とゆーことで、Feliz Navidad!!