「将来はサラリーマンなどになって、結婚して、家庭を持つ」
それが昭和の子供のころの理想の人生とされてきた。
しかし複雑怪奇な人生を歩んだ私はドロップアウトしてしまう。
そんなたびいちが言えること。
それは
「限りある人生、まわりを気にせず、好きなことをして楽しもう。」
待ち受けるのは「死ぬまで辛い人生?」
思えば自分の小学校時代は、まだ時代が時代なので、理不尽な罰や、いまとは比べ物にならないほどパワハラのオンパレードだった。
そんな学校で、いまとちがって登校拒否もできず、ただただ心の中でいつも怯えながら学校に通わされ、つらい毎日だった
なのに、親や周囲から
「社会に出て働くと、学校よりももっと辛いぞ」
と言われながら育ってきた。
「ただでさえ今がつらいのに、今後も、死ぬまでもっと辛い生活をしろと??」
そうなると
当然の如く、将来が本当にいやでいやで憂うつだった。
たとえ当時の日本経済が世界トップクラスだったとしても、毎日毎日いまよりもつらい思いしながら朝から夜まで毎日長時間、定年まで働かされる。
なので、将来に全く希望の持てない小学生時代だった。
苦難の後の苦難 氷河期真っただ中
そして時が経ち、学校を出て働くようになると、今度はバブル後で、銀行が破綻するなど経済が急激に悪化し、氷河期のど真ん中の氷漬けの時代だった
なので、職安とか行っても、本当に仕事が見つからなかった。
あったとしても求人広告には最底辺の仕事しかなく、仕方なくそこで働くと、人間同士も最悪で、何一ついいことなく、もう毎日がいやで不快な思い出しかなかった。
人間同士でもめて、やがてクビにされる、孤独な日々だった
若いころの自分が生意気だったのもあるかもしれないが、
この頃は本気にこの国・日本を嫌ってた。
日本にいるのが嫌でしょうがなかった
ちょっと前に流行った「日本氏ね!」ですよ。こんな国滅んじまえばいいと。
世界一周でビッグになれ!
そんなやさぐれて、荒みきっていた自分を支えてくれたのが、
「バイクでの世界一周」だった
とてつもなくデッカイことをして、ビッグになって、見返してやりたい
そして、こんな国を捨てて、海外で新天地・永住の地を探そう!とすら思ってた。
そのためにはまとまった資金が必要だ。
職を転々としたのち、なんとか工場の夜勤の仕事を見つけた。
その仕事も非常にきつい工場の毎日だったが、デカセギに来ていたブラジル人と働いているうちに、孤独だった自分に今までに成しえなかった仲間意識に目覚め、
「世界一周」のためにも、がんばって耐え抜いて、お金を貯めてきた。
その合間に、英語はもちろん、スペイン語やブラジル(ポルトガル)語も自分で勉強してきた。
そして現在 チャンスが増えている!
そんな過去から20年以上が経った。
それまでは狭い井の中で苦しんできたと思う。
そこで世界各地を貪欲に旅し、いろんな生き方を見てきた。
とうぜん、日本の常識なんか、One of them。へのかっぱである。
幸いなことに、今の日本はだいぶ変わってきてる。
どう変わったかをすべてを挙げるとキリがないが、たとえば昔ではありえなかった、ネットを使った仕事もある。昔とちがって求める仕事の種類やチャンスが増えている。
あなた自身をポジティブに変えよう!意識改革だ
先日、とあるビジネスセミナーに参加したのだが、
ある人は子供のころ、父親は毎日楽しそうに仕事していた。やりがいのある仕事だったのだ。
そのため、大人になっても「仕事は楽しいものだ!」という考えになった。
転じて、自分の過去はどうだったか。
自分が子供のころ、父親は仕事のストレスでいつもピリピリしていて、家にいるときは怒ってばかりいた。
正直、思い出したくない過去だ!
家庭も暗く、学校もつらく。
そのせいあって当時の自分の心も、かなり歪んでたと思う。
その時両親から言われたのは
「とにかく勉強して大学に入れ。大卒なら、給料が高卒の2倍もらえるから」
だった。
この令和の大学全入時代から見れば、アホじゃないか?と思うけど、それだけ昭和のころの学歴別の賃金格差は、はっきりしていたのだろう。
父は誰もが知ってる超大企業で働いてたとはいえ、工業高校卒だったので、大卒の同年代に対して負い目を感じていたに違いない。
だけど、
もし仮に2倍稼げたとしても、
何になるというのだろう?
収入が2倍になれば、よろこびや仕合わせも2倍になるのだろうか?
だったら、
そういう尺度に囚われず、
誰よりも楽しく生きていけばいい。
人間なんて2倍稼ごうが、宇宙から見れば、ちっぽけなゴミクズだ。バクテリアの背比べだ。
育った環境に影響する
つまり。
思考がネガティブもポジティブになるのも、
育った家庭に影響すると思った。
親が子供に怒る原因は、仕事で嫌なことやストレスや過労があったり、睡眠不足になるときに、親は子供にあたるらしい。
逆に楽しく仕事して、睡眠もしっかりとれば、意味もなく子供に怒る事はないのではないか。
そういえば南米パラグアイの日本人移住地に来た時、現地ではそういう生活してる人が多いためか「ストレスはゼロだ」と言っていたのが印象的だった。
まとめ
とはいえ。日本ではいまだ
「勤労・就職 = 苦行」
のようなイメージがある。
だから学校教育で、「楽しく働こう」と教えるべきだ。そうすれば国民の生産性や幸福度は上がると思う
もっとシンプルに、人間らしく。
そして
あなたは、悲しむために、辛いことを耐えるために生まれてきたのではない
好きなことして、楽しむために生まれてきたのです
この言葉を聞いたとき、
過去にさいなまれてきた心の苦みが、取れた気分だった
追記:SNSでかなりの反響をいただきました
この記事は、たびいちの心の叫びだったと思う。
「心が叫びたがってるんだぁ~」という、無意識の叫び。
だから反響をいただきました。
けっきょく南極大冒険家の阿部雅龍さんからは(こんな人です→こちら
これ、素晴らしい記事ですね。
辛い過去を語れるくらいに強い男になれた証拠です
がりゅーくん、やさしいねえ。ちょいなきそうかも。
つらい過去なので書くのをためらいましたが、南極や世界一周などのビッグなことをやるとなれば、つらい経験は隠れたパワーになりますね
つづいて、出会ってから18年になろうと西牟田靖さんからは(こんな人です→こちら
言われてしまった。
今回の内容は重い内容なので、楽しくないと思う。
この記事のこととは全く関係ないけど、私的にはとある人間同士のことで先月から悩み、今年になったいまでも、フラッシュバックしたりで苦しんでる。
心の奥が、つらいんだ!
だから自然と重くなるのもある。まあこの件は一人で悩むほかないんだけどね。
だけど、
「つらい過去」という陰の部分は、この気分の重い時だからこそ、思い切って書けるものだ。
なぜなら、楽しいときに、暗い過去なんかいちいちほじくり出して思い出したくないからね。
「その後何をつかんだのか、どう幸せがあったのか」
といった意見をいただいたので、また続きを次回に書きました