チェンマイから最北端の町に行く 国境ツーリングの20年

若き日のたびいちが初めてのタイで心から大衝撃を受けた「タイ北部・国境ツーリング」を、20年後に復活!

今回の旅の最大のテーマが「20年前と現在の国境ツーリング」

当時は日本とあまりにちがう世界に感動のしっぱなし。

帰国後、その思いをツーリングレポートにまとめ、

とあるバイク雑誌にを投稿したら、

見事掲載されて、しかも編集部から連絡が来たほどでした。

そんなありし日のツーリングレポートをここに引用しながら、

1998年2018年の国境の旅をお送りしていきます!

まずは20年前はどんなことを書いたのか

1998年のツーリングレポートより
タイ北部、愛と命の国境ツーリング

ノーヘル2人乗りの小学生が、カブを乗り回す国、タイ。旅の相棒もやっぱりカブ。非力でも快適な旅がライダーを待っている

愛車はスーパーカブ

98年2月26日、バンコク発の寝台列車は終点チェンマイに着いた。東京から青森ぐらいの距離なのに、450バーツ(98年当時1バーツ3円)だから驚くほど安い。

どこか北海道を思わせるようなチェンマイの駅を離れると、客引きがワラワラと集まり寄ってくる。

前日は旧市街の安宿に泊まる。120バーツと安い

翌日、レンタルバイクを探しに街を歩く。昼の1時で強烈な熱射だ。ただバンコクと違い蒸し暑くない。レンタル車種は二つに分かれており、100㏄のスーパーカブなら1日150バーツぐらいで、250㏄のオフロード車などの「ビッグバイク」になると400バーツ以上と軒並み高くなる。

チェンマイを走るバイクは前者のカブばかりで、カブなら安いしトラブルがあっても普及してるから安心だ。ということで5日間のレンタルで520バーツにまけてもらい取り引き成立。パスポートの代わりに航空券を預けることになり、いよいよ100㏄のカブ、ドリームⅡをゲットだぜ!!

夜はカレーフードセンターという大食堂でタイカレー(30バーツ)。日本のカレーよりも汁っぽく、もちろんタイ米を使用しているのでインドのカレーみたいでうまい。そして食堂の中にあるステージでは21時から民俗舞踊のショー(毎日やっている)が始まった。踊り子はゆっくりした動作で踊っているが、曲のリズムが早い。だけどこのショーには引きつけられるほどの面白さがあった

Dream to Wave

そして、20年後に借りたのもホンダの100㏄カブ。ウェーブ100。夢から波に変わったけど。

初めのタイは、正真正銘のドリームのような旅だった。だけどチェンマイから最北端は、その後これまで何度も行き来してるので、これまでの40年の「波」乱万丈な半生を象徴する意味でも、ウェーブでいいのかもしれない!

2018年3月29日 出発の日

8時25分ごろ起床。おかまバーやらタトゥーショップ近くの安い250Bのホテルの朝。昨夜買っておいたから揚げとやきとり、カオニャオ食べても、特に傷んでなかった。から揚げなどの揚げ物は、前夜買っても翌日まで日持ちするので、買うことが多くなっていく。

ところで、20年前のチェンマイの交通状況はどんなものだったのか?

1998年のレポートより

早速街を走ってみる。酷暑のせいか大半はノーヘル、サンダル半袖でカブに乗っている。子供を抱いての3,4人乗りは当たり前だ。中には小学校高学年らしき少年までも乗っている。そのわりには自転車を見かけない。暑いからバイクに乗るほうがすずしい。タイ人にとって単車は自転車でもあって自家用車でもある

それから20年たつと、チェンマイでは国際観光都市になったとあってか、さすがに小学生男子が運転するのはまず見かけなくなってしまった。

あれから年がたつにつれ、チェンマイ街中から、郊外、そして田舎、田舎の路地といったふうに小中学生運転はじょじょに姿を消していくのである。



国道118号でチェンライ経由で、メーサイへ行く

11時ごろチェックアウト
レンタルバイクやによって、荷物をくくりつけるためのゴムを貸りる。

チェンマイを出る前に給油。タンクが小さいのと、給油口がシート下にあるため、荷物を縛ってるとゴムを外さないといけないので、いちいちめんどくさい。

ここで入れるのは「ガスホール91」 マンタンは「テン・タン」と言えば通じる。マからテだけ変えればいい。 90バーツ給油。

それにしてもガソリン代はリッター28~29バーツなので、ちょうど2倍になった。昔はテンタンにしても40や50バーツで収まっていた

郊外に出ると、快適な広い道路になり、時速80kmぐらいで快調に走る

まもなく山道になる。メーサイへの最短距離のため、チェンマイからチェンライ・メーサイ方面の高速バスをよく見かける

上り坂を進むと、1000mの峠がある。

標高的にも、甲府から長野に行く途中の塩尻峠(1000m)をほうふつとさせる。

峠から急な下り坂をくだると、まもなく天然温泉に到着。

温泉が噴出しており、格好の休憩所になる。

タイでもさらに北へ行くと、人々もより日本人に近い。

温泉をから進むと、町に入る。これまた昔の日本に似た建物。

(この写真は2010年3月撮影)

町を離れ、さらにすすむと、少数民族も住む丘陵地帯

そして丘陵地帯を進むうちに、国道118号から1号についた。

1998年のレポートより

R1はA2(アジアハイウェー2号線)も兼ねており、A2はシンガポールを起点にバンコクを経由しミャンマーを通り、イスタンブールを終点とする壮大な道だ。そのA2を興奮しながら走る

チェンライに16時40分に到着した。街中は田舎の町という感じだが、A2沿いのスーパーセンターに入ったとき、正直、気が狂いそうになった。
清潔で広大な店内には、3~4メートルに積まれた洗剤や食品、山のように展示された家電製品など、びっくりするほど豊かなのだ。山のように豊富な食品売り場を歩いていると、こんなタイの田舎でさえ巨大な店があるから、日本より豊かに感じる

日本やアメリカにあるスーパーセンターやショッピングモール。98年当時はまだ貧しい国と言われていたタイにあったので、最初は驚きだったのが、20年もたつと当然になり、最北の田舎のチェンライでも、バンコクにもある最先端のショッピングモール・セントラルプラザが登場。スタバもあるよ

メーサイ到着

チェンライからは日がくれ始めたので、直線の高速状態の道路が続くので、90キロぐらいでとばす

1998年のレポートより

チェンライより60キロ、1時間北に走るとついにタイ最北端の町、メーサーイに到着した。街の中へ走っているうちにA2の国境検問所にぶつかり、ボーダーの向こうは異国になっている。

「ウヲォー!ウヲオ!!」と赤い布を追う闘牛のように一人で興奮しまくってただった。
今夜はメーサイゲストハウスという150バーツの宿に泊まったが、部屋はバンガローになっていて、部屋の窓を開けると、目の前には異国ミャンマーが川を挟んで見える。しかも目の前だ。ウヲー!喜びと感激のあまりまた発作が起きた。

目の前の異国を見ながら素朴で南国風バンガローで寝るというのは島国日本では絶対不可能な話で、日本人の私にとって、一泊500円そこそこの素晴らしい宿を知らないなんて、世の中みんな不幸な人は多いと思った。ただ、ミャンマー側からの民家から聞こえてくる大音量のミュージックが気になったが。

初めてのタイでは牛のように興奮していたが、20年経つと何度も来ているので「戻ってきたぞ」と落ち着いた気分だった。それよりも同じ宿に泊まれるかが心配だった

あいにくメーサイゲストハウスは満員で泊まれなかった。残念!なので、そこに来る手前にある、国境川沿いの宿・Maesai Riverside Resortというところに泊まる。とはいえそこは高そうだし、併設のレストランが夜になるとうるさかったので今までは見向きしなかったのだが、今はレストランもつぶれてるし、実際は300バーツで泊まれた

玄関がすぐ道路になっている。

対岸からは犬の遠吠えや人の話し声が国を超えて聞こえてくるが、夜は基本的には静かだった。
深夜0時になると、国境の川のせせらぎだけが聞こえる。最高

最北端に来たので、ほんのりクールな夜の風。
室温25.7℃に下がる。ホットシャワーが気持ちいい。

最果ての町へのアクセス

こうして、最果ての町にやってきた。チェンマイからメーサイへは、当時はチェンマイからランパーン経由だったが、今回は118号経由の最短距離で行った。

実は8年前、車を借りて(Toyota Vios)仲間とドライブした時もこの道をとおった。

車で来たときは、チェンマイ(R11とR118)の分岐からメーサイまでの245㎞は、2度の休憩をはさんでも3時間50分でこれたが、スーパーカブだと2倍の7時間はかかったのであった。途中写真を撮ったりするしね。

朝 やきとり・やきとん・から揚げ串 計30 カオニャオ10 プリングルス小袋 20
昼 団子5 パイナッポー10
夜 餃子30 あんかけそば40 SPY32 バナナ牛乳200ml 12.50

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