(102)震災直後のカトマンズの状況とインドビザ取得

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日本のテレビクルー。そして余震とデマに翻弄!

大震災直後の大混乱のネパール・カトマンズの記事をまとめました

(100)震災直後のカトマンズの速報と状況と日本の撮影クルー

2015年5月上旬。今泊まっているホテルも水や電気はなんとか復旧してますが、このところ長い時間の停電が続き(なぜかWifiはできる)震災前にくらべれば不便ですが、強く生きています。これまでの野宿に比べればぜんぜん快適ですしね

ただ、カトマンズはひびや倒壊があるほかは、意外に通常通りだそうですが、店は閉まっていて不気味。

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だけど新しいインドビザを取らないと八方塞のゲームオーバーなので、本当に参っています。最悪のタイミングですがなんとかしなくては

4月28日についたカトマンズ。あれから開店する店も増えて、少しずつ元の活気を取り戻しつつあるようです。だけどまだまだ行きたい思う店がことごとく閉店になってるのは本当につらい。夜になるとほとんどの店は閉めてしまいます

それでも日ごとに再び開く店もだいぶ増えてきたように思います

カトマンズは壊滅したのか?

そんなことはありません。建物の大方のほとんどは無事だと思います。新しい建物はわりと問題ないようですが、ただいくつかの建物はひびが入ったり傾いたりしており、タメルではあちこちで通行止めになっています

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ニッテレの特派員?

TBSも撮影班がいる

近くにはTBSの取材クルーのワゴン車がとめてあった。ネパールのレンタカーだが、真新しいワゴン車のため、ワゴン車につまれた機材と荷台を見てると、日本と変わらん。

あと、空き地や公園、寺の敷地は被災民のテント村になっています

5月1日はカトマンズより被害がひどく、死臭漂うというバクダプルに行って来ましたが、その後救助捜索が進んだのか死臭はなかったですが、やはりカトマンズよりは被害に遭っている建物が多かったです。古い建物は玄関が閉鎖してあって入れないようです

と、特派員のような報告になってしまいました。

そして先日、カトマンズタメル地区在住の邦人に会うことができましたが、そこで働くスタッフもみんな帰ってしまい、苦悩に満ちた表情をしていました。

そしてインド大使館のビザセンターがまだ閉鎖中なので、ビザが発給できない。そこでインド大使館に行くと、来週にはビザセンターが復旧するので、5月15日にはインドビザは取れる、と言われたが、どこまで信じていいのかわからない。もう毎日が不安だらけです。

これは私がカトマンズで合流した日本人ガイドの話です。(4月初旬からヒマラヤをトレッキングして29日にカトマンズに戻ってきた)転載しておきます

「このネパールの地震、わからないことだらけだ。

いったい震源はどこなのだ?

もし報道通りにラムジュンヒマールなら、地震発生時にまさにその山塊の麓に私はいたのだが、たいして揺れてないし、揺れも長くはなかった。

どうしてそこに近いポカラは無傷なのか。ランターンの村村は本当に消滅したのか?

インド軍のヘリが相当来ているはずなのに、なぜ山奥の村村の状況がわからないのか?

私もカトマンズ入りするまでは、タメルは壊滅状態と思っていたが実際はほぼ無傷に近く、食料も水も大量に備えていったのに、実際は新鮮なフルーツも捕れたての魚も店先に並んでいる。

なぜ日本の報道は、水や食料が不足し病気の蔓延など、不安を煽り立てるようなことばかり書くのか?これらの疑問を放ってはおけまい。

また、ネパールが非常事態なのは疑いなく、それを放って逃げてくるようなことがあってはならない。」

(101)カトマンズに余震がやってきた!地震デマに翻弄される街

5月8日のカトマンズ(ただし2年前)

そして我が最大の懸念だったインドビザも、ビザセンター再開初日の5月5日に申請できたので、来週火曜に完成する予定で、本当にホッとしております(詳細は後日)

ビザゲットした後はポカラに2泊ぐらいしてインドへ戻るわけだが、もう予定があまりに遅れまくってるのでその後はそのまま一気にデリーに突っ走り、ラダックを目指します。今回行けなかったところはまた何年後かの次回に行きたいです。

ということで、ネパール緊急特派員的報告もおわりです。

ところで、昔は、「インドや中国から来ると、カトマンズは天国のようだ」と言う人がいた。ネパールは食事もウマく、物価も安いためだという。

だけど物価がとても安く、沈没天国だったのは、いまや昔の話。ネパールもインド同様、諸物価が高騰しているので、ちっとも安くない。いまではドミト リーなら600円、安ホテルのツインルームなら850円ぐらいかかる。昔みたいに100円や200円で泊まれる時代はもうない。

商品などもインドからの輸入品なので、インドにくらべれば当然高くなる。ビールや酒も税金がけっこう高くて、とくにワインは日本より高い。一番安い方法として、180mlで108円のネパール製アップルウオツカを水割りで飲んでます

そんななか、タメルの日本料理店“絆”は、私にとってまさに「食の救世主」です。かつどんだけでなく、海老天丼、照り焼き丼、しょうが焼き丼、からあげ。盛り付けも日本の味そのままなので、何を食べても、もう最高にうまい!

カトマンズ・タメルの狭いエリアに日本料理店は数あれど、ここまで旨さと安さ(一杯300円ぐらい)を両立できる店は、絆しかない。

ネパールの余震

しかし今日5月12日、日本でもニュースになってると思いますが、また余震が来ました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8D%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB%E5%9C%B0%E9%9C%87_(2015%E5%B9%B4)
安いホテルの部屋にいたら、震度4~5ぐらいの長い揺れがきました。ペットボトル1本落ちたくらいでそんなに強くは無かったし、わが地元の埼玉県だとよくある揺れなのだが、ネパールの建物はどこまで耐震性があるかわからんため、恐怖度は日本にいるとき以上でした。

しばらくして部屋を出てタメルの商店街にいくと、多くの人が外に出ており、信じられないことに、店は全部軒並み閉店。さっきまで営業していたのに。

余震の後は、いきなりゴーストタウン状態!!!

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結局、また震災直後に逆戻り。夜はまたもゴーストタウン状態。せっかくカトマン最後の買い物しようと思ってたのに。。。

この震度だと埼玉だったら何食わぬ顔で普通どおりに営業してると思うと、地震のたびにいちいちパニックになってみんなが軒並み閉店されては全く社会が回って行かないし、不便極まり無いので、日本で地震慣れした私にとっては、めっちゃストレスです!

ネパールの地震デマ

そういえば「地震先進国」の日本では絶対考えられないことだが、ある日カトマンズ市民の間で

「夜の6時から9時の間にまた余震がやってくるらしい」

というデマが飛び交った。おかげでその時間帯は商店は全部閉店した。

そもそも、宅配便じゃあるまいし時間指定で地震が来るなんて聞いたことがないので、デマ以外の何者でもないよ。

その時間帯を狙って盗人が空き巣するための工作では、という読みもある。

そもそも地震を予知できれば苦労はないっつうの!

そのなかで日本料理店・絆にいくと、ちゃんと営業してました。やっぱ絆は日本です。男です。

この後はポカラで3日ほど過ごしてから一気にデリーに戻ります。

果たして震災直後のカトマンズでインドビザは取れるのかという懸念でしたが、カトマンズにいるにつれて、インドビザも時が立てばなんとかなるだろう、ということがわかってきた。

今回のパターンは大震災直後のイレギュラーだったので日数がかかりましたが、通常なら1週間ぐらいで取れると思います

インド大使館の敷地を歩いてみた

震災直後にカトマンズについてからは、しばらくビザセンターが開かなかった。

まあインドと違って、絆の日本食もうまいので、カトマンズでゴロゴロ沈没するのはけっこうだけど、あまりに長引いてしまうと予定が大幅に狂ってしまい、目的地にたどり着けないかも。それが不安だった。

そんな週明けの月曜日5月4日。今日もビザセンターは閉まっていた。しかも何も書いていない。
足元を見ると、こないだまで張ってあった「ビザ関係は大使館に来られたし」と言う紙が剥がされ近くに落ちていた。誰かがトサカに来てひっぺ剥がしたのだろうか。

しょうがないのでインド大使館の前到着。係員に「ビザセンター、いつ開くのか」と聞くと、「まずは中に入れ」と言われた。いやいやこっちとしては、ビザセンターの再開日を知りたいの。それだけなの。
それがわかれば済む話なんだけどね。

インド大使館の敷地内に入るには入り口でカメラを預けるのだが、たかが預けるだけなのにいちいちごちゃごちゃ書かされて、余計に心の温度が高くなる。
敷地内に入る。敷地の芝生には何個かの軍用テントが見える。そこには災害救援をしていたであろうインド兵士たちが廃屋の下でくつろいでいる。

領事部(ビザセクション)への看板も、インドらしく何も無いので、人に聞きながらかなり歩かされてやっと一番奥の領事部(Consular Wing)へ着いた。

職員に尋ねて見ると、「ここは緊急ビザのみ。普通の観光ビザはビザセンターへ行ってください」
以前何日か前に大使館に来たときと、同じことを言われた

「ではビザセンターはいつ開くですか?」
「明日。明日には開きます」

それだったら最初からビザセンターの入り口の前に(ビザセンターは明日開きます)とでも書いとけば済む話なのに!!

なんでこう効率が悪いのだろうか。くそめんどくさいオンラインフォーム入力といい、ユーザー無視の不案内さといい、上から目線のアンフレンドリーさに思い出すだけでも温度が高くなるけど、まあ、やっと再開日がわかって不安がスッキリしたし、インド大使館の敷地内を散策できたから役得としよう。

明日、ビザ申請した後、ポカラに行って戻ってこようかな?とも思ったが、中途半端なのでカトマンズで沈没続行。

ビザセンターが再開した

翌朝の5月5日。10時半ごろビザセンターに行くと、係員が言っていたとおり、ちゃんと開いていた。タッチパネルから出てきた整理番号を見ると151番。だけどそのときのカウンターの受付番号は30番目だった、てことは120人も待ってるのか?!

震災復旧後再開の初日なので、とても多いのかもしれない。

待合所には50人ぐらい座っていたが、ほとんどがみな西洋人などの長期滞在バックパッカー。ヒッピーくずれも多いし、胡坐かいて瞑想しているインドどっぷり型白人もいた(笑)

東京のビザセンターだと背広を着たビジネスマンも多かったが、ここではそんな人はまったくおらず、ドレッドやタトゥーを入れた西洋人の暇人ばかりだった

ふざけている点としては、これだけ多くの人が待っているのに、カウンターがたった一つしか開いていない。
東京のインドビザセンターを見てきた人間としては、この悪名高きカトマンズのインドビザセンターのあまりのユーザー無視の唯我独尊ぶりだと、むしろ清々しい。
もっとも、職員は震災直後もあって他の業務に充填さてるかもしれないので、そういうことにしておこう。そもそも、ここに来る人たちは暇人ばかりだしね。

2015年秋~2016年のインドビザ申請情報まとめ
まずは2014年の取得から (15)インドビザの取り方2014 2014/11/15 まずはこ...
自分の番が来るまでかなりの時間がかかるので、その間、外に出てカフェに入ったりで時間をつぶすこともできる。ただし自分の番号が近づいたらそれまでに戻らなくてはならないので、タイミングが難しい。

結局、2時間以上後の12時45分にやっとこさ自分の151番が回り、コピーや写真や書類も全て完璧に揃えてきたので、無事受理されて心からホッとした。
申請書やコピーは、泊まっていたゲストハウス(トラベラーズホーム)からプリントアウトした。

合計代金1600ルピーを払い、レシートをもらう。それには5月11日とかかれており、次回は11日の月曜日の朝に来い、とのこと。

だけど次回の月曜もまた待たされると思うと、大して待たなかった東京のインドビザセンターの5倍以上疲れる。もうこんな酷いカトマンズではやりたくない(;д;)

ただ、このときは震災直後のイレギュラーだったので、普段ならインドビザ申請もここまでかからないと思うし、「ビザセンターは開門前から並んでる」というネット情報もあるけど、開門後の10時過ぎにのんびりビザセンターに行っても必ず自分の番はやってきたので、無理して朝早くから並ぶ必要は無い。

そして翌週の月曜日は、すんなりインドビザをとることができました

東京で取ったときは6ヶ月マルチだったけど、カトマンズでは今回は3ヶ月のシングルをとりました。

おまけ・たびいちinカトマンズのつぶやき

ネパール地震の募金が日本でも始まっていますが、やはり募金よりも爆発力があるのは、ネパールでお金を使うことです。ネパールではすでに3万円ぐらい使ってますので、一番の寄付者かもしれません。ははは

海外にいると、想像以上に日本の経済が凋落している事がわかる。
15年ぐらい前はタイでもインドでも、物価がとても安かった。しかし今ではアジア諸国は急成長し、かつて日本が独占していた富が再分配されている。

特にインドにいたっては、15年前に200円で泊まれた安宿が、いまではなんと800円もする。同じ部屋なのに、たかが15年で2~4倍はかかるようになった。これはあきらかにおかしい。

日本にいると、なんちゃらミクスで景気は良くなるとかほざいているが、これはただ円の価値を下げて水増ししているだけに過ぎず、逆に貧富の差が拡大しているだけに過ぎない。

その凋落(というか経済力が80年代、70年代に先祖がえり)している事実にいかに気づくか。

となると、一度きりの人生を、どう充実させて、楽しむか。

いま、ビザ待ちのためにゴロゴロしてるわけだが、いろいろと不満が出てくる。なのでこのまま止まっちゃダメさ。早くラダックへ走り出したい!

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