クリスマス in 南アフリカ・変わる格差と駄菓子屋ゲーセン

南アフリカゲーム
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豊かな黒人と貧しい白人を目の当たりにする、アパルトヘイト後の南アフリカ。

12月25日 7:30起床。昨夜はクリスマスイブだったが、一人テントのなかでさびしくすごした。正真正銘のぼっちだった。
イヴだからしょうがないのだろうけど、夜中2時ごろまでうるさかった。

でも、これまで毎日走りずめだったのでここでのんびりしたい気持ちもあったが、やはり今日プレトリアを出ることにする。

なぜならクリスマスなので、キリスト教圏の南アでは、店はどこもかしこも休み。宿にいてもうるさいだろうし。退屈なだけなので宿を出て出発したが、やっぱり出発して正解だった。

クリスマスとはいえレバノン料理店だけは開いていた。さすがイスラムの国だ。

クリスマスなんてくそくらえっ、ちゅうことで、レバノンではポピュラーなSchwarmaシュワルマ280円を注文。

シュワルマはスパイスの効いたひき肉や野菜の具をパン生地にくるんだもので、メキシコのブリトーやタコスに似ている。うまい。でもそれだけじゃ足りないのでChips(フライドポテト)120円も頼んだ

今日はひたすらメッタメタに走る。さもなくば不完全燃焼だ。

昇る黒人、沈む白人

プレトリアからボツワナ国境と進む。

100kmぐらい走った頃、若い黒人女性二人が車から降りて、場所を尋ねに私に話しかけてきた。おされで快活そうな女性だった

写真を撮り損ねてしまったが、彼女らが乗っていた車は、なんと、BMWのオープンカー。

アパルトヘイトが終わり、チャンスをつかみ、豊かになっている黒人(ブラックダイアモンド)も増えてきている。

その反面、貧しさに没落し、みすぼらしい白人(プアホワイト)も南アでは何度か見かけた。

特に衝撃的だったのは、交差点に座っている60代ぐらいの眼鏡かけた初老の白人がいた。見た目そんなに汚くはないのだが、

持っていたプラカードは

PLEASE HELP

MY WIFE AND I

I M A PENSIONER

WITH NO INCOME

と、お金乞いをしていた。老後なのに、年金がない。

そのあたりの交差点では、黒人の金乞いは珍しくないが、白人までもするようになった

白人優位の時代とは思いもよらぬ激動の時代。

実際、南アの白人は、イギリスやオーストラリアなどに脱出しているのだという。

 

でも、老後なのに年金がないということは、

超高齢化の日本もいずれこういう時代が来るのではなかろうか。

 

暗かったレジャーランド「Sun City」

途中、歩き方にも書いてあった、「サンシティ」というリゾート地に寄って見た

アパルトヘイトの権家のように、悪名高かったレジャーリゾート・サンシティ。

それに怒った世界のアーティストらが、サンシティに対する当てつけのような曲も発表した。 その名も「Sun City」

反アパルトヘイト運動

しかしサンシティは1985年に反アパルトヘイト活動の的となった。Eストリートバンドのギタリスト、スティーヴ・ヴァン・ザント(Steven Van Zandt)は自身の組織する音楽業界人の政治活動グループ、「アパルトヘイトに反対するアーティストたち」(Artists United Against Apartheid)の活動のなかでサンシティをアパルトヘイトの象徴として取り上げ、シングル「サン・シティ」を発売した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%86%E3%82%A3_(%E5%8D%97%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%AA%E3%82%AB)

 

サンシティの敷地内にある富豪飯店。ビンボー人にとって趣味の良くない店名。入ったからと言って富豪になれそうもないし。

ただ、ストリップ小屋など、ベースケな白人を相手に運営していたサンシティも、激しい非難にさらされたアパルトヘイトの後は更生して改心したのか、

サン・インターナショナルでは、
地元に根ざし、雇用を生み出すことで
地域や国に貢献をするということを、重要に考えていて、
病院や学校を建てたりもしているそうです。
ヨハネスブルグからの道で見かけた黒人さんたちの一部が、
ここに働きに来ているのでしょう。

https://4travel.jp/travelogue/10577285

とのこと。

まあどっちみちボンビーな自分には縁のないところである。黒人の食堂でめしを食ってるほうが似合っている男なのだ。

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なつかしの駄菓子屋ゲーセン

名もない田舎の道をボツワナへ向けて走っていると、ある商店を見つけた。

店の入り口には、アーケードゲーム機が置いてある

たとえばプレトリアのモール内のゲームセンター。某ダンスゲームで踊るアフリカンを初めて見たが、実にサマになる。見てるだけでもおもしろかった。

でもこのレトロな筐体は、日本でも少年時代の80年代中頃、商店や駄菓子屋の前に、よく置いてあった

同年代ならたぶん記憶にあるはず。

昭和の小学生のようにジンジャーエール300ml 30円をのみながら、どんなゲームをやってるのかのぞいてみると

パックマンの女バージョン Ms.Pacmanだった。

そういえば欧米のレトロゲームマシンでは、パックマンよりもパックマン夫人のほうをよく見かける。

 

もう1台は、KOF97だった。SNKものは海外でも定番だった。

30年ちかく前のゲーム基盤や筐体が砂埃の多い屋外で稼働してる自体すごいのだが、ここではたったの1ゲームで50セント(5円)

日本でもかつての商店や駄菓子屋では、ギャラガとかゼビウスとかサーカスチャーリーとか新入社員とおる君などが10円や20円ぐらいでできた。

 

田舎道で迷う

N4は例によって途中からまた有料区間(しかも560円と高い!)となるため、いつものように下道へ迂回するのだが、その下道が標識が少なくてわかりにくく、しかもダートになったりとつらかった。

村々が続く分、少々走りにくいが、現地の人々の生活が見えるので面白いけど。

そして、田舎道の先には、なんじゃこりゃ!

ようは「舗装路終わり」ということなんだけど、

一瞬妙にぞっとした標識。

ダートなんか走りたくもないわい。

 

ということで夜になってもなんとか走り続け、22:35にボツワナとの国境まで来てしまった。

その夜は国境の手前の茂みの中で野宿。ここまでくれば強盗もこないだろうし、近くに国境警備隊もいるので、治安的には問題ないだろう!?

夕食 12㎝のミートパイ(肉まんのような味)165円 牛乳500ml 59円 スナック菓子 E-Rings 14g 11円

走行487km