311の大震災と津波。その夏と秋に、たびいちは震災ボランティアに行った。
あれから10年経って、どう変わったのか。
たびいちの復興をたどる旅が始まった。
9月24日
天気:はれ
8:00起床。おし、今日仙台を出る!
たびいちドットコムである以上、旅を続けないといけない。
沈没魂に尻を向けるべく、猛ダッシュで片付けして10時にチェックアウトせんとなあ
膨大な荷物なので、フロントで台車を貸してくれたのがありがたい。
きのうまでずっと働きづめだったので、今日はのんびりすすむ。まずはりそな銀行仙台支店に寄り、西公園のSLを見てから、正午前に出発。
まずは松島。
「風景のあまりの美しさに句を詠めなかったという松尾芭蕉」とのことだが
この日は天気も良く、高台から見た景色は本当に非常にすばらしかった。
しかし丘を降りた海辺の道路は、渋滞してて、観光客も多い。京都や鎌倉などでは観光公害が問題になっているが、きっと松島も同じ運命なのだろう。
何気なく駐車場に入りこみ、バイクにまたがりながら写真を撮っていると、そこに店員のおばさんが飛んできて「そこにバイクを止めてはダメ」という合図をされたので、なんか息苦しくなり、この街のあまりの観光ズレっぷりに興ざめしてしまった。とっとと次へ行こう。
その後、向かいのスポーツバイクに乗ったライダーから、初ヤエーを受け、返した。昔で言うピースサインだ。
自分からはヤエーはしないのだが、うれしいものだ。不思議なことにそれだけで元気が出てくる。
その後、鳴瀬奥松島ICから三陸道は無料区間なので利用する。
10年前は片側一車線だったが、いまでは石巻は普通の高速道路と同じ2車線化になっていた。それでもこの先八戸まで無料なので、これぞ三陸フリーウェイだ
鼻歌交じりに右車線を120km/hでかっとばしてたら、燃費計を見ると、それまで26ぐらいだったのが23・5まで悪くなってしまった。
石巻には行ってみたかった震災復興祈念公園がある。インターを出ると標識が出てるほどだから、行くべき重要な場所なのだろう。まずそこに行ってみた
しかし、ここは、普通の公園ではない。
それは、
公園に着いた瞬間、
ゾッとする寒気がした。
見わたす限り、全く何もないのだ。
そして、有名な公園にありがちな、子供の歓声や土産店や、人垢にまみれた雑然とした空気も・・・
全くないのだ。
どこか現実とは思えない、
まるで天国のような、
不気味なぐらいの清らかさなのだ。
一面に苗木が植えられている。
実は、
ここはかつて住宅街になっていて、
人々の生活があった。
しかし、
津波の襲来で
街は壊滅。
たくさんの人々が死んだ。
その上に。
この公園ができた。
この写真で、上が現在。下がぎっしり住宅街となっていた震災前。
10年前の2011年7月に見た、地獄のような廃墟から、いまでは極楽浄土のような風景に変わっていた。
しかし、10年前のあの日の石巻の港では、がれきが覆い尽くし、異様な異臭と、今までに見たことのないぐらいのおびただしいハエや、得体の知れない虫が飛び回る、とても日本とは思えない凄まじい光景だった
以下、2011年当時に書いた記事より。
石巻市:
今回の被災地で、初めて訪れた町。
三陸自動車道から石巻にきたときは、国道45号は何の変哲もなく、「がんばろう石巻、東北」の張り紙がやたら多いぐらいかな、というぐらいで平和そうだった。
ところが・・・・・中心街に入り、港へ下ると様子が変ってきて、そしていっきに世界が一変した
電気の付かない壊れた信号機を発見する、と同時に町並みの全体がクリーム色に変色していた
津波の濁流を浴びた痕だった。
そして石巻の漁港に着くと、いくらかの建物は破壊され、残った全ての建物の1階部分は全て壊滅。
港の道路は、「鯨大和煮」と書かれた缶詰の形をした巨大タンクが道路の中央に撤去されぬまま残ったままで何メートルものうずたかい巨大ながれき置き場からは異臭が漂う。
立ち止まると、おびただしい数のハエや、見たこともない黒い小さい虫が目の前を飛びまくっていた。
その景色は2年前に訪れたアフリカ・ナイロビのスラムを思わせた
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それまで津波の被害をテレビやネットなどで知っていても、実際にいざ壊滅した現場に来ると、あまりに想像を超えた被害と景色に、人間の力は無力だというのをまざまざと見せつけられ、自分の人生観も変わった。
そして三陸の行く先々の町で、破壊された町並み。
南三陸町、とくに陸前高田市は、街そのものが完全に消滅していた。
震災後はじめて南三陸町を訪ずれたときは、はっきりいってそこは地獄だった。
地獄。
凄惨。
悪夢。
戦争など、人間がすることには容赦することはある。
しかし、自然のすることに決して容赦はしない。
311のあの日。
奥のほうに行くと資料館を発見したが、閉まっていた。
なお、震災後は公園に沼や池ができていることに気づく。
それは戦後、この一帯で宅地化が進んだ時は、埋め立てられたりで沼もなかったのだが、震災の津波後に、戦前の姿のように、沼や池が復活したようだ。
これは思うに、高度経済成長時代のようなあくせくがつがつした時期をえて、「人間も自然も、本来の姿に戻れ」という自然からの思し召しのように感じてならない。
ともかく、三陸を旅する人は、震災地各地にある祈念公園に行って、何かを感じてほしい。
石巻から再び三陸道。高速道路だったが、登米あたりからまた従来の片側1車線に戻った。片側1車線区間でも90~100km/hでながれており流れはよい。後ろには気仙沼行きの急行バスがずっと走っていた。
そして南三陸にやってきた
このあたりは、2011年に震災ボランティアで、合計1か月近くお世話になったのだ
これより、10年後の復興をしっかり見届けるので、この南三陸のあたりは何日かいる。
かつて自分がお世話になった、今はなき「天狗のやまがっこう」の面影を求めて、キャンプする。
詳しい場所は忘れてしまったが、険しい林道を進むうちに思い出してきた
林道を登り詰めたところに、広々とした空き地があった。近くに三陸道が完成されて、谷間にあった現場とは、場所は少し違うけど、とても快適な予感。
コンロで料理。イオンで買ったペンネと、インドで余ったPazztaの粉末ソースで和える。インドではさんざんPazztaを食べてきたが、まさか被災地・歌津で食べるとは。うまい。
三陸道から車の音がするものの、それ以外はまったく車も人が来ないので、落ち着く。
23時に寝る
朝 ホテルの朝食
昼 チョコシュークリーム
夜 ペンネ Pazzta
宿 歌津 林道奥の空き地
走行 176km