【復刻】なつかしブログ 2005 5月編 たびいち27歳のエッセイ

STK 1(復刻版)
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温故知新!18年前のたびいちはこんなこと書いてました

今はなき画像無しのブログ「さるさる日記」をSTK1に移植、

そしてさらにたびいちドットコムに移植しました

当時の流行をお楽しみください

■2005/05/17 (火) 性行為と生命力

面白い記事があった。それは日本のセックスレスの記事である。「日本経済には性交渉が必要」

昨年発表されたインターネットによる国際比較調査(41カ国・35万人対象)で、年間の平均回数は103回。国別ではフランスの137回が最も多く、日本は46回で最下位だった。

今回の旅をしてラオスやカンボジアではコンドームの看板がいたるところに目がついた。
プノンペンでは路上でゴムだけを売るのゴム売りなんてのが何人もいた。村を通ればガキンチョもウジャウジャいた。それだけ子作りがさかんなのである。

かといって東南アジア人は絶倫か?といえばそんなんじゃない。確かに娯楽も少なく多産多死と言う状況もあるけど、ようはいかにその人々の生命力が強い、と言う現われだろう。
本来、人間に備わっているはずの性欲。これによって次の子孫を繁栄してきた。

何も不自由ない豊かな生活になった日本では娯楽なども多様化して、セックスにこだわる必要もなくなってきた。たとえば70年代の深夜ラジオ番組なんかはもうエロエロネタで埋まっていたようで、それだけ一昔前の若者はそれなりに性欲があったということである。
しかし倦怠期でもないのにセックスしないなんて、これはある意味人間の本能の力が不足している現われではないだろうか。セックスレス化は人間の生きる力そのものが低下している表れの1つなのかもしれない。

■2005/05/18 (水) MXテレビはアジアだ!

東京のローカル局、MXテレビは東京に住んでいてもUHFアンテナを使わないと見れないのだが、自分の住む埼玉県の北のほうでもアンテナブースターを使っているのでMXテレビを見ることができる。(当然テレビ埼玉も)
東京の人間ではないのに視聴するのはある意味電波傍受行為か(笑)

月曜日は6時30分からど根性ガエルをやっていたのですかさず見た。実は、タイでもど根性ガエルが放送されていたのだった。
それはCartoonを流すタイのチャンネルで、英語圏でも放送するのかGatsyFrogとタイトルが英語に変わっていたが、内容はタイ語の吹き替えだ。
テーマソングが曲だけしか流れていなかった。

しかしここではちゃんと♪ぴょこんぺたんぴったんこ♪と当然歌もついており
それを聞くと妙にタイがフラッシュバックする

MXテレビでは韓国や台湾のドラマやアニメを流したりするが、考えて見ればどれも東南アジアで見ることのできる番組ばかり。泊まっていた宿のTV次第では現地の国やタイ系、中国系や台湾系、欧米系などなど何十チャンネルも見れる
たとえば最近日本でも人気が出始めた台湾のグループ、F4は、東南アジアではかなり前から人気があった。流星花園(花より男子)というドラマもアジアでも人気だが、日本ではせいぜいMXテレビが流す程度だった。
まあ、MXがアジアン番組を流すというのもローカル局という個性を出しているのと放映費が安いというのもあるのだろう。放映費の高い(そのわりには質があるかどうかは疑問だが)日本のドラマはせいぜい台湾系のチャンネルが流すぐらいで東南アジア全体では人気になったためしがない。日本のマンガとはずいぶん違う。

こうしてみると、MXテレビを見ればリアルタイムでアジアを味わえる、といった感じだろうか。1950年代の日本のTV局はアメリカの番組ばかり写していた。

しかし現在の他の大手民放局は日本のものしか流さない封建的な局ということにもなる。

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■2005/05/21 (土) 海外ツーリングの爆発的情報量

2000年12月31日夜7時。大晦日の夜の南米ボリビア・ラパス。
そこのインターネットカフェと言うところで、自分の今までの常識を覆す物に出会った。
ブラウン管を見ると、そこには「渋谷の正月カウントダウンで3人負傷」の文字が。

日本の雑誌や本が届くまで何ヶ月もかかるようなこの南米。しかもここでは大晦日の夜なのになぜ日本の正月の事が載っているのか。このパソコンは預言者なのか?

あの時の未来を予言したような驚きは一生忘れない。こうして20世紀、いや千年紀の最後の夜、日本では2千年紀、21世紀最初の日に、「インターネット」の洗礼を受けたのである・・・

・・・・そして今日2005年5月21日、先週の集まりで出会ったバシシさんや海外ツーリングライダー諸氏のホームページの旅日記を延々と読んでいてふと気が付いた。

私がオートバイで世界一周する前の1999年以前は家にはパソコンなんてなかったし、ネットがあったとしても当時のダイヤルアップの通信料の高さでおちおち見れなかったろう。

ネットも金もなかったそんな時、どうやって情報を集めたかというと、専ら図書館へ行って本を借りて読むぐらいしかできなかった。一冊の読みたい本のために自転車で単車で何件も図書館をあたったこともある。本だけが頼りだったのであとは手探りで自力で行っていた。あの時は情報集めに苦労していたが、それと同時に1冊の本で未知なる世界の旅に期待が爆発、読んでるだけで凄く楽しかったのを今でも覚えている。
世界一周にでてからも、日本語のない日々なので旅先での貴重な情報ノートを飢えた狼の気持ちのようにむさぼるように読んでいた。

しかし現在。ネットのブロードバンドかによって家から一歩も出ることなく、旅の情報、所持品の持ち方、旅のせんぱいの書いた日記をいくらでも読むことができる。しかも実感があるので大まかにわかってしまう。旅先のネットカフェにて、BBSやメールを使ってどこどこの日本人宿で集まって〇〇日はパーティだ!ということすらできるようになった。
前回の自分のアジアの旅だって、辺境の田舎の町にいてもネットカフェにいれば大量の最新の情報がドドドっと読めるので日本にいるのと変わらないぐらいだった。その隣に坊さんが座っていたから不思議な気分になるが(爆)
非常に便利でありがたいものだが、贅沢な悩みとして、「適度な情報への飢え」と未知なる旅先への感動も去勢される事にもなる。

この「デジタル化」を境に海外を目指すライダーも急激に伸びたと思われる。
20世紀は世界一周というと、情報が限られてある意味ハングリー精神な人ぐらいしかできなかった

 

 

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