今日は何の日か知ってますか?
それは、ちょうど30年前、昭和が終わった日です。
当時たびいちは11歳でしたが、
昭和から平成へ変わる「激動の瞬間」をしっかりと覚えております
まず前半は「元号・西暦の混合はめんどくさい理由」と
後半は「昭和から平成に変わった時の思い出」です
元号・和暦はめんどうなので、普段使いは西暦に統一してほしい
(2017年1月14日の記事)平成天皇が生前退位の意向を関係者に伝えられているということで、
新元号が話題になっています。
そろそろ元号を廃止してはどうか
http://blogos.com/article/183403/
そして、個人的には大賛成なのがこれです。
いやあ、大賛成!
「19年元日に新天皇即位」もうこの際ですから「元号」普段使いするの、やめませんか
http://bylines.news.yahoo.co.jp/yamamotoichiro/20170112-00066498/
自分が日ごろかねがね思っているのは、普段使いに元号を使わず、西暦に統一してほしい。
別に私がキリストがどうとか西洋かぶれとかじゃなくて、
もう、うんざりなんです。
ただただ非合理的で、めんどくさいだけなのです。
そして、IT化が進んだ今の時代にとって、
西暦はいまや国際標準となっているからです。
ゆううつになることがあるのですよ
それは、役場や税務署などの公共機関に行くとき。
私は海外でのやり取りや普段ネットでのやり取りなどで、もう完全に西暦で動いているので、
役所の人から「平成25年から28年度の所得は?」などか聞かれて、
「えーと、平成25年はたしか2013年・・・だったな、だからえーとえーと・・・・」
とやってると、その損失があまりにもったいない
もったいない。
もったいない。
西暦で統一したほうが、
複雑なメソッドを行う必要もないので、われわれ市民はもちろん、役人側も楽になるし、
効率的になるわけだ。そうすればどれだけ税負担が軽くなることか!!
たとえば、クイズを出しますね。
昭和55年生まれの人が
平成12年になった時、
何歳になるか?
あなたはすぐ、1秒で答えられますか?
たとえ
昭和何年が西暦何年!平成が何年!とすぐわかる人でも、
和暦(昭和)>西暦、
和暦(平成)>西暦
というプロセスで計算するので、2秒はかかると思います。
しかもこれが昭和何年が平成か西暦かもわからない場合だと、お手上げでしょう
しかし
これが西暦だったら
1980年生まれの人が
2000年になった時、
何歳になるか?
これなら「20歳」と0コンマ秒で速攻でわかりますよね?
そういうことなんです
なんで意味もなく計算を複雑にさせるのか?
日本の生産性が世界でも良くないといわれてるけど、それは、あきらかに元号も原因です。
しかし元号の利用には次に上げるようなデメリットが存在する(元号 – Wikipedia)。
· 西暦との換算が面倒で間違いの元ととなる。
· 西暦には終わりがないが元号は天皇の崩御を機に変更されてしまう。
· 元号より前の過去を表現する紀元前N年といった表記ができない。
· 未来を表現できない。平成40年としても、そこまで平成が続くかどうか保証はない。
· 外国人には通用しない。
· 西暦の1年に対し、複数の元号が対応する場合がある。昭和64年と平成元年など。
· 元号の修正のたびに各種印刷物等の修正費用がかかる。費用の観点から古いまま放置されるケースもある。
· 年度の区切りが改元の区切りと一致せず、改元後年度の終了日までの呼称は旧元号を利用することになるため混乱を生じる。
· 日本史の学習者が覚えることが増える。
· コンピュータシステムの修正が大変(「天皇陛下が生前退位の意向示す」と聞いて震え上がるエンジニアたち- Togetterまとめ)。
別に、私は元号制には反対ではありません
ただ、実生活までに使わせようとするんではなく、
実生活としては使わず、形式・儀礼的として残せばいいだけなんです
それをなぜITやオートメーション化が進んだ21世紀にもなって、いまだに公共機関などで使わせるような不合理なことを続けないとならないのだろうか
もちろん元号というのは、文化や伝統の一つ。
しかし、すっかりグローバル化されてしまった今の時代に、
実生活でも複雑なだけで足かせにもなる元号を使い続けろ、なんていやいや使わせるようなことになると、人間は反発して、元号を愛せなくなってしまうのですよ。
元号法制定にかかる国会審議で「元号法は、その使用を国民に義務付けるものではない。」との政府答弁があり[注 3]、法制定後、多くの役所で国民に元号の使用を強制しないよう注意を喚起する通達が出されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%83%E5%8F%B7
合理的に出来ない硬直性だと、国際競争力からどんどんおいてけぼりになってしまうとおもう。
だから、新元号を機に、公共機関なども、西暦使用のみに統一すべきだ。
1989年・昭和64年1月7日の曇り空
この日は、まるでその日を象徴するかのような、どんよりと曇った寒い日だった
冬休み最後の日なので、午前中は起きたら自転車で古本屋に行き(当時はあちこちに古本屋があった)帰った時の曇り空は異様に生々しく記憶に残っている。
その昨年・1988年12月あたりから、ニュース番組では必ず「天皇陛下のご容態」と称して、血圧や脈拍や輸血量などが必ずテロップが流れていた。特に年末あたりになると、危ないんだなってのはわかっていた。
家に帰ってテレビで見たとき、すべてが特番となったテレビからは、あわただしい様子が流れ、「ああなくなったのか、昭和が終わったのか」というぐらいにしか思ってなかった。
その日の夕方前ぐらいに新元号発表になり、テレビの前にかじりついて見守っていた。
新元号の発表の瞬間
そして発表された新元号。「平成」の額を掲げた瞬間、テレビの前で実際に葉書ぐらいのメモ紙に鉛筆で「平成」と書いてみた。「平成」という字は当然初めて書いたのだが、わりと書きやすい字だな、自分でも書ける漢字だな、と小五のたびいちは思った。
そして、次の元号が決まり、「こうして新しい時代がはじまるんだ!」
と思った、11歳のあの日だった。
平成初の日
そして翌日1月8日は、臨時休校だった(と思う)冬休みがさらに一日延長だ。
この日もテレビはずっと特番で、すべてが昭和天皇や昭和を振り返る番組だった
平成生まれの人にはわからないと思うが、ちょうど311大震災と同じような特別編成だった。
といっても、テレビは2~3日はずっと特別放送だったため、服喪のムードとは裏腹に、実際はレンタルビデオ店が大繁盛したという。
小学校(公立)の担任でさえ、「テレビは退屈なので、ずっとレンタルビデオを見てた」といっていたし。
それが本音なのだろう
自粛ムード
当時バブルの真っただ中だったので、「自粛ムード」と言われていたとはいえ、それでも2ヶ月ぐらい経って春が来ると、また世間は浮かれたようなあくせくがつがつとした高揚感(今で言うバブル)のノリに戻ったと思う。
そして2019年。平成最後の年はインドで
そのときにはインドにいるので、テレビの前に座って新元号の告知の瞬間を迎えられないのが心名残だが、後で動画サイトなどで見れるからまあいいか、と思ってます。さすが30年の進化ですな。
または、発表の日はいいホテルに泊まってテレビの国際放送から見るのもありかも、と思った。だけどインドだとタイとちがって国際放送がみれるのは高級ホテルぐらいしかないから、ネットの配信から見るのが現実的かな、と思ったり。レンタルビデオから30年。ですな。