モザンビーク首都・マプトは危険がいっぱい

東南アフリカ諸国
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モザンビークの旅も終わりに近づき、もうすぐ首都マプート。ふと振り返ると、ベイラから約1200キロ。思えば遠くから来たもんだ。

モザンビークの首都マプート着

かつてロレンソマルケス(LM)と呼ばれており、リスボンを模した町だったという。

しかし現在では高層ビルが無秩序に並ぶ大都市とあってリスボンの面影はなさそう。

 

宿の周りは何もなく、物価も高く、海ぐらいしか見どころがなく、市街地がだだっ広く続いているので不便(かといって地下鉄の類は当然ない)自分の足がないと非常につまらない街だ。

治安も悪いし、これほど退屈な首都はない。
そのてんナイロビは旧市街も、都心のビジネス街もコンパクトにまとまっており、歩きやすかった。

そして人もよく、食べ物も物価も安く、活気もあり遊ぶところがいっぱいあるバンコクとはえらい違いだ

ベイラもそうだが、モザンビークはインド人の姿も多いのが意外だった。
港沿いのショッピングセンターもインド人経営が多い。

これでも家電店。まるでスーパー玉出?

田代まさし発見。

モザンビークの日本大使館に行く

マプートでは、日本大使館に行った。スリにあったテテの警察で発行した盗難証明書を見せるために。

まあ、このままでも帰国後保険会社に提出すれば、保険金は戻ってくるかもしれないけど、一応念のため。

担当していただいたのは若い大使館員だったが、自分よりもヒゲを生やし、さしずめ「ネクタイとYシャツを着た日本人バックパッカー」という印象だった。

テテの警察で大使館にもっていくように言われた盗難証明書を見せると、別に届ける必要はないとのこと。「カメラはしょうがないにせよ、中のデータまで取られたのはいたいですよね」と、久しぶりに日本語を話すことができた。

そのあと、日本の新聞や週刊誌などをむさぼり読む。砂漠のオアシスのように。何ヶ月ぶりだろう。そして情報ノートもあった。

すっかり日本語を使わない生活をしてきたので、活字に飢えた私は日本にいるときは決して読まない本でも、活字に飢えるとなんでも真剣に読んでしまうから人間の本能と言うのは面白いものだ。

ここは「モザンビークの中の日本」なので、大使館にいるうちに、一日が終わってしまった。

なお、マプトの日本大使館では、用事がなくても、図書コーナーには自由に入れて、新聞などを読むことができる。退屈なマプトでは二日連続で大使館に通ったほど。

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これまた日本の味

マプトから何キロか離れたビーチは、わりとロサンゼルス風。

 

そして、夕方に行けば、おばちゃんがござの上に1尾18円の魚を七輪で焼いており、海を見ながら食べることができる。

毎晩ビーチに行って割り箸まで持参して、焼きたての魚をつまみ、醤油があればいうことナシだな思うあたり、「やっぱ我ながら日本人だな~」と思った。

Fatimaは、ドロボウ宿だった!

マプートで泊まった有名なバックパッカーズFatima

この中庭にはボサノバが流れ、ドミの中は静かだった。

しかし、同部屋に泊まっていた、やけに親しげで、怪しい女を連れていたモザンビーク人のあんちゃんは、

夜中他者の荷物を漁っていた泥棒だった事が発覚。

この宿は、周囲が物騒なため警備員が2人ぐらいいるのだが、いくら門番をつけたりしてセキュリティ強化しても、内部の宿泊客が盗むようじゃ、どうにもならない・・・

ここはロッカーもないし、はっきり言って泊まらない方がいい!

といっても、マプートで手頃な宿はここぐらいしかない。

マプートから何キロか離れた海辺にバックパッカー宿はあるが。

それ以前に、用が無ければ、マプートは避けたほうが得策。

マプトの空港

突然ストリートファイターになる

それにしても、宿近くの街中で、一方通行違反で賄賂を要求されたのには参った。

モザンのことだから、当然一方通行を無視して進むバイクは少なくない。とはいえ確かにうっかり逆走した自分にも非はあるので、低姿勢で「申し訳御座いません」と謝り続けた。

しかしこの警察官は、チンピラのように「はよ金よこせ、そしたら見逃してやる」と執拗に責め続けるので、ここまでくるとこのポリはただの正義の皮をかぶった悪人、ゴミのような偽善者でしかない。

なので、頭を下げ続けていた私も、その腐りきった横柄な態度に、ついに堪忍袋の緒が切れて

「じゃあ一緒に警察署に行け!そこでなら罰金払ったるわい!」と大声でどなりまくったら、

意表を突かれたポリは「じゃあいい、もう行け」と放免。

これまであらゆる世界の修羅場をくぐりぬけ、鍛えられてきたので、少々のことでは動じない自分がいた。

マプートからスワジランド国境へ

マプートから国境までは、市内は片側2車線以上の道路だが、南ア行きとスワジランド行きに分かれており、スワジ方面になると、やがて片側一車線の丘の田舎道になる。

国境のあたりの町では、内戦の跡が色濃く残る。

モザンに入国した時もそうだった、国境ほど内戦が色濃い。

国境近くの町で見かけた、駄菓子屋ゲーセン。1回2メティ(7.2円)ゲームはKOF2000だった

次の国・スワジランドは小さな王国。どんな国なんだろう?

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