気がつけば、そこはよその国。気がつけば、異邦人。
国境線には縁のない日本ですが、世界に出るとそんな我々の常識を超えた、ぶったまげるような国境がありました
マラウィとモザンビークの国境
マラウイの首都リロングェから、マラウイ南部の都市ブランタイヤを結ぶ、M1(国道一号線)。
黒い線がマラウイとモザンビークの国境で、黄色の線が国道(M1)ですが・・・
下の地図をよく見てください。あなたは違和感に気づきましたか?
よく見てくださいね。
もしこれでわかったら鋭い方ですが、
そして地図を拡大してみると・・・
見てのとおり、途中から国境線が、国道に合わさってますよね?
国道を挟んで東車線側からがマラウイ領、西側がモザンビーク領となっているらしい。
かといって両者の国は、EUの国々同士とか南米の国同士といった、似たような国でもない。
マラウイとモザンビークは全然違う国で、マラウイの公用語は英語、そしてモザンビークの公用語はポルトガル語。全く違う言葉だ。
東側の人間に話すと英語で返ってくるし、道路を挟んでとなりへ行くと、いきなりポルトガル語になってしまうという。
その話を以前知った時は、てっきりガセネタだと思っていましたが、
その実態と真相を確かめることにしました!
世界一奇妙な国境地帯に行ってみた
2009年5月1日。途中のDedzaの町から南へ10kmほどいくと、なんと国道そのものが国境になっているという、世界でも類を見ない国境があるという話を聞いて、やってきました。
風景にしても、道の両端は同じ形の民家で、指摘されなければ全く気がつかないほどだ。
不思議な事にそのエリアは看板も無い。
左がマラウイ 右がモザン
モザン側は、かやぶき屋根の家に地平線がひろがるが、本当にモザンビークなのだろうか?
ただ、左手のマラウイ側はいろいろ商店や民家などがあるが、右側のモザンビーク側はさっぱり少ない。
左手・マラウイ側の店
そして、右手を見るとやっと建物発見。モザンビーク領なのだが、何も書いてない。
本当にモザンビークなのか?と思ってたら、見慣れない旗が立っている。
旗には「FRELIMO」と描かれており、調べてみたらモザンの政党の旗である。本当にモザンビーク領ではないか!
そんなわけで、気が付かぬうちにものすごく簡単にモザンビーク領に入国できてしまうことが証明された。
私は今まで、何十回も国境を越えたり見てきたりしたが、これほど変な国境は世界のどこを探しても無い。
しばらく進むと、モザンビーク側に、モザンビークのビールラベルが描かれた店発見。
あまりに面白いので、そこにつくと、私はモザンビーク側の人たちとデタラメなポルトガル語で話してみた。
(自分は中南米やブラジルにいたことがあるので、スペイン語やポルトガル語は、ちょっとなら話せる)
モザンビーク側の若者の一人はマラウイのチブク(どぶろく)を飲んでいた
両国の人々が鉢合わせ!シュールな展開に
そのうちに、近くにいたマラウイ側の人たちがこちらのほうに集まってきて、なんと両国の人間が鉢合わせしてしまった!
今度は、私がそのマラウイ側の人たちと英語で話しかけると、今度はモザンビーク側の人たちは英語がわからないのでみんな黙り込んでしまった。
なんとシュールであろうか。
モザンビーク人は英語がわからないし、マラウイ人はポルトガル語がわからない。
となると・・・・・
マラウィ側とモザンビーク側の住民は、どうやって意思疎通をするのか?
その疑問を、英語のできるマラウイ側の若者に訊ねてみると・・
「ここではみんな、(マラウィ側もモザン側も)お互い民族語のチェワ語をつかっているから大丈夫なんだ。
いくらここがモザンビークで、相手の公用語がポルトガル語といっても、ここはモザンビークの中央からはとても遠く離れているしね」
と説明してくれた。しかし身近に国境の無い日本、いや他の国では考えられない。
モザンビーク側の店では何を売っているのか
モザンビーク側にあるその小さな食料品店では、実際に売っているのはマラウイのもので、品揃えはマラウイ側と変わらない。
マラウイクワッチャ払いだ。でもモザンビークの酒もすこし売っていた。
客のおじさんはポルトガル語、英語、チェワ語が話せるようで、路上で売ってるチップス(フライドポテト)の値段を聞いてみると
「トウェンティ(20)・クワチャ」といった。
「じゃあモザンビーク・メティカシュだといくらか?」
と訊いたら、「シンコ(5)」とポル語で応えていた
なお、日本円換算で20クワチャは13円で、5メカテシュは18円である。モザン側なのにマラウイ通貨で払ったほうが安いのが謎だが・・
まとめ:国とはなにか
ガセネタだと思ってやってきたこの国境地帯は、
実際行くと冗談ではなく本当の話だった。
でも、気になったのがモザンビーク側の人らの方が、身なりとかがより貧しい感じがした。マラウィよりもさらに貧しいという事だろうか、とその時は思った。
そして、もともとは同じチェワ民族なのに、ヨーロッパの入植によって国と国で分断されてしまった。まさに大罪である。