モザンビーク・ベイラ 内戦とダメタイヤと緯度経度が取り持つ縁

東南アフリカ諸国
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内戦の跡が残るものの、ボサノバを聞きながらビーチを歩きたくなる街。そんな晩秋のベイラの話です。

トンデモタイヤにかちあう

5/22 12時半、タイヤを探しに出る。

そのさい両替しようとインド人経営の電化製品の店に入ると、サリーを着たインドの若い女子が、

「カーサデカンビオ(両替所。中南米みたいでなつかしい)に言った方がグッドよ」

とブラジル人のように親指を出しており、サリーとラテンのその組み合わせがふしぎで妖艶だった

 

しかし、昼休み明けの2時にならないとカンビオは開かないのだ

しかもフライドチキンさわって油でベトベトした手(レストランには洗面台が無い)や、埃まみれのタイヤのストックをさわると手がかなり汚れたので、「手を洗いたい」といっても水が無いといわれ、手を洗う事すらできない。なにを考えているのだ。もうモザンビークはいやだ。

なんとかタイヤを買って、ホテルの中庭で自分でタイヤ交換。

空気入れのバルブがダメで、タイヤだけ持って、近くのGSで空気を入れた。

のんびりやったので15時半から2時間かかった

しかし、アルミフィルムの外装を剥がしたそのタイヤを見て唖然。山が全然なく、しかもなんとタイヤのウォール部分が風船のようにぷよんぷよんしている

粗悪品の中国製をつかまされたのだ。包装紙には「Nitto Tyre 日本のテクノロジーで造られました」と書いてあるのに・・

後日、ニットータイヤのサイトで調べてみたら、四輪のタイヤで、二輪では作られていない。

となると、これが偽物だったら、ふざけるな!ですよ。

日本のタイヤメーカーがそんな粗悪品を認めるわけない。

となると、人を騙すようなこんな粗悪品が、日本のテクノロジーだと思われてしまう。日本の長年によって培われてきた日本の技術に対し、ドロを塗っているのと同じだ。本気でめちゃくちゃ頭に来た。

アフリカでの粗悪品はたいてい中国製だが、もちろん中国製全てが悪いわけではない。

持ち歩いているノートPCも、旅の相棒、E-stormも中国製。しかし品質が良く、日本製と変わらない。

それは天下のホンダなどの一流企業が、「真の日本のテクノロジー」で造らせているのだから。

タイヤは人命に関わる問題なので、日本にいてはこういう粗悪タイヤをつかまされる事がまずないが、これが一歩海外に出れば、いろんなおかしなことに気づくのである。

 

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ベイラで2日連続、変な夢を見る

ベイラのホテルにいたときは、目覚ましをかけてでも、必ず毎朝7時に起きていた。

それは、豪華な朝食がつくからだ。(パン、ジュース、牛乳、フルーツ、バナナ、ゆでたまご、クッキーなど)

そこで朝食をしっかり食いだめするのが、何よりの楽しみだった。

 

しかし、その前に見る夢が異常に生々しかった。

7時起床で起きる前に、見た夢は・・

BMWの四輪に試乗していた。
評論家風の男から借りて相方とふたりでのった。しかしろくに運転したことのない相方はぶつけてしまう。
しかたないから今度は自分が運転する事に。

マニュアルなのにギアチェンジの仕方が違い、しかもチェンジのたびに、なぜか窓側にあるスイッチもいれなければならない
このBMはでかく、横にでかい
何とか家に帰れたが、爽快感と言うより冷や汗だった、でも高速を走ってみたい
日曜の午後らしく、見つからぬように離れたところにとめて家に戻った
車のなまえは「サ~ら」で、そのあたりから夢が途切れて、そして7時の目覚ましがなった

 

という、とにかくわけのわからん支離滅裂な夢だった。

そして翌日も、また変な夢を見た。

 

6:20起床。眠いので15分ほどまた寝る 今度は、アナウンサーになった夢を見た

朝の番組のレポーターに選ばれ、1分ほど話す予定
そして録画も予約したのだが、時間になっても呼ばれない
結局、先輩女子リポーターが話すことに
考えてみれば、ろくにうまく話せず、ひげもそっていない無精ひげづらなのに出れるなんて甘くはない。
次の出番は、お昼のワイドショー。面白いものがあったらそこからレポートする

・・・・そんなうちに目が覚めた

 

その原因は、

普通の日常の中に、内戦で崩壊した建物もあるため、日本ではありえない世紀末な風景。だから変な夢を見るのかもしれない。

 

 

緯度経度がとりもつ人

その目的地の緯度経度(S 19-50’xx.x”   E 034-50’xx.x”)の地点をGPSに登録し・・

導かれた先は、ベイラ市内の住宅街の中。

古い単車がいっぱいおいてあった何の変哲もない民家だった。

そこにジーニョという男がいるため、会いに来たのだ。

といっても、全く面識もアポイントもなく、突然にお伺いだ。

あらわれたジーニョは、ポルトガル人と黒人の混血のようで、まるでブラジルのバイヤ州とかに居そうないでたち。

ジーニョ父とジーニョ

なぜこの家に来たかというと、Seagullさんという日本人世界一周ライダーが、ジーニョのところで長くお世話になった。

私はシーガル氏とも面識はないけど、彼の世界一周HPを見て、ジーニョ家の緯度経度の座標がウェブサイトに書いてあったので、それを登録して進んだらここに導かれたのだ、とジーニョに言うと、「うんうんそうか、なるほど」と。

ともあれハイテクデジタルで出会った偶然の縁である。
GPSがなかったらジーニョに会うことはなかったろう。

奥の広い庭には、扉にZINHO(ジーニョ)と書かれた小屋(彼の部屋?)と広い庭があって、

シーガル氏は単車修理の期間中は、ジーニョ家の庭でずっとテントを張って生活していた。

庭の隅には、パーツ取りでスクラップとなったバイクが墓場のように放置してある。

「サボイホテルは高いだろうから、その後は君もここでテント張って泊まればいい」

といわれたが、

庭の中におびただしい数のカルガモが歩き回っているため、ここでのテントはかなり落ち着かなさそうだが。

 

ジーニョはこの庭で、旅人向けのバックパッカーズを開くのが夢だという。

ということで、最初はベイラを2泊3日で出ようと思ったのに、こういう出会いもあるため長居してしまいそうだ。

でも明日でなくては、キリがない。ゴールまでもう45日ぐらいしかないのだ。

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