さらばウガンダ 「タンザニア国境からケニア国境まで」

さらば学校。そしてウガンダ。4日間お世話になった孤児院学校を後にして、ケニアに戻ります。

3月12日

学校に別れを告げたものの、名残惜しいので、すぐに首都カンパラに帰る気にはなれず、タンザニアの国境まで寄ってみた

13時10分、タンザニアとウガンダの国境前の道路 21㎞走行

女性向け?の商店。化粧品というよりも、リンスなどヘアケア製品が売っている。

タンザニア国境前を出発。これより首都カンパラに戻る

田舎の商店は、インドや東南アジア的レイアウト

15:20、チョテラの町 103㎞走行

この建物の左端に、よっちゃんいからしきものが、いか踊りをしてるのか?とおもったら、今度産むだった。

18:20 まさかの町到着 151㎞

しかもなんだ、この燃えたぎるような、精力むんむんな看板は。

そのかわり少子化とは無縁のウガンダ。この町はデスコが目につく。

床屋の看板に発電機?

と思ったが、4日間電気のないところで過ごしてきたので、すぐにわかった。

そう、散髪中に停電してバリカンが動かなくなったらヒサンだからだ。

道の先ではふたつの車が道をふさいでるような状態になり、先がつまっている。どっちかがバックするか進めばいいのに。空気を読めと言いたくなる。渋滞の原因になるし。

パーツ屋のおばさん、テレビ見ながら寝転がって、全然動かない。あまりのなまけものぶりにアフリカの懐の広さを実感した。

19:55 215㎞ 国道は真っ暗。非常に危険である。だったらもっと明るいうちに戻れという話だけど、どういうわけかこうなってしまう。まあしかたがない。

22:00 カンパラのABCホテル到着 286㎞

ホテルに戻ると、いつものホテル近くの屋台で、焼肉串2本で55円、玉子焼き55円、Chips82円 飲むヨーグルトバナナ味55円.これらを食べていると、文明に戻った気分だ。

さっそく、水道のない学校でできなかった、ズボンなど洗濯。夜中なのに30度もあってむしあつい。山里の学校だったきのうとはえらいちがいである

走行287㎞

3月13日

8:20起床。きのうまでは朝早い共同生活だったので、ひさびさの自由。遅い目覚めである

肌着を洗濯。朝食はビスケット。

単車を確認すると、またまたまたパンクしてるのか、空気が半分抜けていた。とりあえず空気を注入。

昼、再び韓国レストラン・アリランにいき、冷麺定食。学校生活を終えた祝杯。あいかわらず豪勢ながらとにかく安い。

この日の夕方、学校からちょうど仲間のひとりがやってきたので、二人で泊る。のどかな学校ではなく、都会のど真ん中。妙な気分だ。

そして、自分のノートPCを使って、撮った写真データなどをDVD-Rに焼き付ける。4枚目になる。16:45開始、17:20ごろ、DVD焼き付け終える。バックアップできたのでこれで少しは一安心。

夜は仲間と夕食。焼肉串2本、チャパティ2枚、ビール110円。学校では味わえぬぜいたく。

0時半寝る。

3月14日

7時半起床。9時50分出発。単車のタイヤはパンクはしていないが、ゆるそうなのでもう一度空気を注入。朝はチョコランチバー。

仲間に別れを告げ、その後、きょうもアリランで昼食。ピピンパプ定食842円。ウガンダで最後のぜいたく。

13時、カンパラ出発。ケニアに向けて進む。

カンパラ郊外にあるマンデラ・スタジアム

ジンジャ手前の、中華料理店の建物。まるでまわりの景色全体も中国に見えてしまう

16:10、ジンジャ 118㎞ 標高1145m

ジンジャの港

ビクトリア湖の水門。この水が、ナイル川となってスーダンやエジプト、そしてヨーロッパに流れ出るのだ。アフリカ大陸はスケールが壮大すぎる。

さらに進む。ウガンダの民家

村人とバイク。とくにキリスト教関係者は、身なりがきっちりした人が多い。

油まみれで働くトラックの修理工。バナナが差し込んであるが、長距離運転の食料だろうか。

18:13 分岐点 223㎞ 標高1128m

そして、ウガンダとケニアの国境が見えてきたのだった。

さらば、ウガンダ。また会う日まで。

14日の走行 244㎞

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