タンザニアで見た、人生の中で一番衝撃的な村 モシからタンザニア南部

東アフリカ
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キリマンジャロ登山を終えて、再び旅へ。

その途中の村では、人生観を変えるぐらいの出来事がありました

4月7日

きょうはモシの町を出発。キリマンジャロを去る日がやってきた。

首都ダルエスサラームへ南下する。

 

川でいろんなものを洗う人々。とはいえこういう光景も見慣れてきた。

一躍有名になった「大阪のなおみ」サンもびっくりな店。高速バスの停車場だろうか?

せっかくなので「日本から来た」とあいさつしたら、受けてくれた

高原からじょじょに低地へと向かう、雄大な景色。

日没後も28キロ進んで、Korogweの町に着いた。ここはムスリムが多かった。ムスリム系の宿に泊まる。一泊400円。

宿のチェックいんの後は、待ちに待った夕食

チプシ(フライドポテト)とマヤイ(玉子焼き)のセット64円

生ジュース24円、焼肉串1本あたり24円、安いうまい。

23:30、満足して寝る。

 

4月8日

7時20分起床、28度。8:50ごろ出発。

しばらく走り、朝10時ぐらいに途中の小さな村で朝食。
肉汁、チャパティ2枚、ストレートティで120円。

ここまではタンザニアのとくに何の変哲もない村だと思っていた。

しかし、その小さな村は、

これまでの人生の中でもっとも衝撃的な村のひとつだった

それは・・・

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ふきだまりの村

食事をしながらずっと村の様子を眺めてるうちに、

ここの村は失業率が80%以上なのか?とおもうぐらい、男たちは働かずぶらぶらしている。

なお、この村では女の姿はほとんど見かけなかった。

働き盛りであろう男たちは、朝っぱらなのにテレビを見ながらずっと座っているものもいるし、ビリヤードやっているのもいる。

さらに村を歩いてみると、まともに働いている人と言えば、朝食をとった食堂の店員や、このビニールシートを屋根にした粗末な肉屋で少年たちが働いてるぐらいで、

あとの男たちはなにをやってるのかわからん者ばかりで、のんびりしているというより、怠惰な雰囲気でしかない。

ただ、ひいき目に見て、たまたま来たその日は水曜日で、もしかしたらその村にとって祝日・休日なのかもしれないが、

やはりひとりひとりの怠惰な雰囲気を見ると、そうには思えなかった。

ウガンダやケニアから見れば、村の状態がゴミが散らかって汚くすさんでいて、それらの国より明らかに貧しくみえるのがわかる。

これがタンザニアの真の姿かもしれない。

怠惰な村と、過労死の国

かれらが怠惰に見えるのは、タンザニア式の社会主義が影響をしていたのも一つだろう。

かたや日本人はといえば、満員電車に押しつぶされ、ストレスにまみれながら朝から夜遅くまで骨身を削って働き、そのストレスから生まれた金で、タンザニアに莫大なODAの援助をしている。

朝から働き盛りがプラプラしてると不審者扱いされる日本人からしたら、この村を見たら「なにやってんだ、働け!」とお怒りになるだろう。

でも、

考えてみれば、ろくに働かずともなんだかんだで生きていけるわけだから、社畜状態の日本人が見たら、内心うらやましく思うんじゃないだろうか。

好き放題、寝たい放題、わがまま放題に生きたいのであれば。

そんな怠惰で能天気なタンザニアの男たちを見ていると、こういう生き方もあるんだなと印象に残った。

そして日本に戻ることによって、じょじょに自分の人生観に深く影響をおよぼすようになった。(悪く言えば、よりなまけものになったというべきか。)

 

なお、ここからさらに20分ほど南下したところにあるのが、ここだった

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行きの時はネタにさせてもらったが、今回の帰りの時にもう一度寄ったところ、あまり人はいなかったし、さっき食べたばっかなのであいさつだけして出発、ダルエスサラームに向かうのであった。

 

タンザニアの女子小学生

 

4月8日

衝撃の村から首都ダル・エスサラームに戻ると、港湾都市特有の「むわ~っ」とした湿気を含む真夏の暑さが甦る。街の湿った風と臭いは、マニラや東南アジアをほうふつさせる。

ダル郊外から都心に向かう。2か月ぶりの海が見える。前回2月に来た時よりもさらに蒸し暑くなった。

いよいよダルの都心へ

雨期に入ったのか、天気も湿りがちで、市内の道路は冠水している

ホンダの店。手前のカブはタイのWave。オフ車ではXL125や南アにあったBros125を見かけたが、e-stormはなかった

 

ダルエスサラームについては、前回のダル訪問の記事も参考にしてください

ダルエスサラーム到着・安定のたこやき屋台
8時26分起床 ミケセの安宿は蚊帳で蚊がいない(来ない)のでよく眠れた。単車は、スタッフと一緒に担ぎ上げて、扉の内側の廊下に入れた。9:10発。片側一車線の田舎道から、ダルエスサラームに近づくと都会的になる。それにしても暑い正午過ぎに首都ダ...

再びYWCA 1200円 に泊まり、デジカメ編集のためノートPCでデスクワーク。時間が長引く。
ムダな写真を撮り過ぎている。でも取り損ねて後悔するよりは・・と思うと、どうにもならない。

部屋の流しでズボンと肌着洗濯。

夕食は露店でワリニャマ(肉丼)豆と菜っ葉のおひたしがのっていて80円。安いとあって肉は3切れだけだった。

 

そして前回同様、宿近くの屋台で買ったタコやイカ焼き。イカにも酒の肴。ここに来るまで長らく海の魚介類は食べてなかった。

25時寝る。日々充実している。

4月9日

7:35起床 28度。これまでとちがって海に近いため、朝から湿気でまとわりつく感じがして、洗濯した手ぬぐいも生乾きだった。

朝食付きだが、パンとミックスジャムとバナナとチャイのみ。 

YWCAはこの日は神官の姿も見えた

天気は朝は快晴

11時ごろ、ダルエスサラームを出発、というよりもマラウイ方面に向かう道がわかりにくかったので、出発というよりも脱出。

ダルを出ると上り坂が延々と続き、内陸高原部へと入っていく

 

2万キロ突破

13時45分昼食。安定のワリニャマ120円。タンザニアの食堂ではこのワリニャマしかないことが多いけど、ワリとおいしく、毎日何食も食べても食べ飽きないのはさすがだ。

ソーダを注文したら、ペプシが出てきた。350ml40円

SOSゲストハウス。まるで避難所か。

ダルエスサラームからマラウイ間は、無謀運転や整備不良によって、とても事故が多い。

前回の往路と同じルートで戻ったため、事故街道のうえに、ミクミ国立公園をつっきるサファリ国道を経由するのだった

それでも高原地帯は美しかった。

この日の行動記録は

11:11 14km ダルエスサラーム脱出

13:50 127km JCT 標高240m

15:17 189km ミケセの町

17:42 306km 国立公園東ゲート

18:56 355km 国立公園西ゲート

夜はミクミ国立公園の終わったミクミの町に19時20分到着。560円の宿に泊まった

部屋の中にあるバスルームのトイレは洋式だったが、水が断水してるのか、流し用のバケツに水を入れると、濁ってて黄緑色だった。

なのでふだん生水を飲める自分でも、さすがにここでは水はミネラルウォーターしか飲めない。買うと1L40円。ガソリンは1L100円だった。

夕食もニョマチョマ。それにムシカキ(焼肉串)と玉子焼きをつけて240円。

22時40分ごろ寝てしまう。

走行363㎞

国道上の動物

どきどき動物ランド「サファリ国道で動物を大量ゲット」

あなたも野生の王国へ!前回のサファリ国道で撮れなかった動物もゲット!

サファリ国道ともいえるミクミ国立公園については

くわしくは前回を参照

タンザニア入国 サファリパークをバイクで走る恐怖とスリル
マラウイのカロンガからタンザニアに国境越えをする。ビザ代50ドル。そのマラウイまでは湖畔ののびやかな田園風景がつづいたのだが、タンザニアに着いた途端、標高が上がり山がちな景色になり、天気も変わりやすい。そして、車や単車が再び多く走るようにな...

 

4月10日

8時起床。26度。標高495m。

9時間20分も寝たようだ。もっと早く起きたかったが、タンザニアの道路は非常に危険なので、寝不足は厳禁。判断力に欠けると事故が待っている。

この道、ダルエスサラームからマラウイ間は、無謀運転や整備不良によって、とても事故が多い。

これは昨日見た事故だが、実はここからさらに5分ほど進むと、今度はまた別の事故を見たほど。今回のアフリカの旅屈指の危険な道だった。

斜めに傾く危険なトラック。そしてあろうことか、屋根に乗る人。

もはや一種の罰ゲームでしょうか?

前回の往路と同じルートで戻ったため、事故街道のうえに、ミクミ国立公園をつっきるサファリ国道を経由するのだった

朝は、朝飯前にミクミの町から19㎞ほど国立公園に戻って動物を見てきた。

そして朝食。3食連続のワリニャマ120円と、ソーダ40円

10時出発。

マラウイ国境はまだまだ先。

高原の老紳士と淑女

街道の少女

神秘的な黄昏が。神々しい

イガワ(伊川?)の町に到着。

宿を取り、夕食は豪勢にローストビーフ

デザートにメロンとバナナ、そしてマンダジとチャイ。

タンザニア最後の夜にふさわしいすばらしいディナー。それでも上記全部でたったの200円。思えばタンザニアは食事がとても安かったのが救いだった。

宿も240円と安いが、水道はないので、中庭のタンクに入った濁った水で体を洗い、寝る。

10日の行動記録

10:06 出発 標高495m

14:50 238km

15:35 278km

15:50 291km

18:00 403km マカンバコ 標高1615m

19:20 465km イガワの町

4月11日

アフリカ奥地で見た千円札 タンザニア最後の日

そこにはいろいろな景色があり、伝説の力士も発見したりと、ドラマも多かったタンザニアの最後の日です。

7時起床。まだ夕ぐれのような空。26度。標高1070m。

8:18出発。道路も快調で、1時間で62キロも進めた。

 

途中見た看板。

名まえからして、タンザニアとザンビアとマラウイを結ぶパイプラインなのだろうが

このデザインが、渋い!渋すぎる!まるで中学時代に、中学生が描いた現代美術デザインのようだった。

あるいは11PMのオープニングのようでもある。

そしてムベヤに到着。電化製品の店では、なんと小錦発見!

そういえば小錦の現役時代はよくひざを痛めていたせいか、ご丁寧にテーピングも描かれている。

イメージキャラとしては、強さと巨大さというイメージだと、小錦が一番なのだろう。

 

アフリカ奥地で見た千円札

ムベヤの路地裏の両替所で、余ったタンザニアシリングをドルに両替しようとすると、

若い店員が「君、日本人?千円札3枚あるんだけど、両替してくれないかな?」という。

どうやら日本円の処分に困ってるらしい。

そこには、なんとなつかしの夏目漱石の千円札が2枚あった。あとの1枚は現行札だが、少し破けてるし裏はインクの染みがついていたのか、とても汚れていた。

それゆえに、レートは千円札一枚につき約800円でいいというので、3000円両替したらなんと600円も得して、ラッキーマン状態。

日本に帰えれば漱石旧札でも利用できるし(ただし店によってはいやな顔されるだろうし、断られるかもしれない)または旧札や汚れた札も銀行に持っていけば新しい千円札に替えてもらえるので、日本に住む身としては全く問題ない。

が、ここだと旧札や汚い札だと、客から受け取りをまず断られるので、なんとしても処分したかったのかもしれない。

思えば自分も、新札に17円で交換という、同じようなことをしたことがあった

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ムベヤからは南の道に行き、国境へ。ムベヤから100㎞。

南下すると山道になり、天気も雨になってきた。いかにも国境ちかい辺境らしい天気だ

そしてまたも雨がやみ、国境についた。天気が変わりやすい。

タンザニアはガソリン代が104円程度だったが、マラウイはガソリンが138円と高いので、国境の村ではしっかりマンマンにしておく

タンザニア最後のムシカキ(16円)2本と、焼きバナナ8円。串はなんと自転車のスポーク。

こうして、タンザニアを後にするのだった

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