UberEatsの1年を振り返る 今後の計画について

UberEats業務
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早いものでUberEatsの配達を始めて1年間たちました

自分にとってこの仕事の意義とは?をまとめました

 

たびいち・UberEats1年の歴史

2月 いよいよUberEatsを始めることを決意。急きょネットオークションで配達用の125㏄バイクを買い、大阪で引き取る。その後、神戸に寄り、UberEats配達員の歩き人ふみさんにいろいろ伝授してもらう。そしていよいよ配達開始。記念すべき人生初配達は、大宮のそば屋さん。

3月 さいたま月間。大宮・新都心・浦和をくまなく配達。

4月 川越でもサービス開始。未曾有の緊急事態宣言で街はゴーストタウンと化す

5月 さいたま・川越で稼げなくなったので、初の泊まり込みの東京出張開始。稼ぎは上々。以後東京出張は毎月のように行き、欠かせないものになる。

6月 宇都宮に初遠征。静岡市でサービス開始。ここから旅と仕事を兼ねた「UberEatsの旅」が始まる

7月 長野市・新潟市でUberEats旅

8月 夏なので、UberEatsキャンプ。キャンプしながら配達。記事にしたところ大反響を得る。

9月 群馬(高崎・前橋)でUberEats旅

10月以降 ついに地元でも配達エリアとなり、その後の生活に大きな変化が起こるのであった。

ステータス(21年2月26日現在)

1480配達 満足度99%

今年の目標

日収3万円をめざす。

昨年の最高日収がクエスト込みで29300円だったので、あと700円だった!

もっとも稼げた真夏に、再度記録更新に挑戦したい。

 

自由を愛する人たちだった

気が付けば、旅先で出会った人など、知人友人の多くがUberEatsをやっていたりする。

半年働き半年旅に出ることも可能。それどころか旅をしながらUberEatsで働くことも可能。

つい最近まで、ちゃんと稼げるぐらいの自由な働き方と言えばフリーターとか日雇いぐらいしかなかったので、革命的と言っていい。

毎年、9か月働いて、2~3か月旅ができるなんて、日本の会社じゃありえない。夏季休暇が1種間しか取れないなんて、日本の社会はどうかしてると思う。

世界中をバイクで旅してることもあって、バイクでの配達はその延長と考えれば、やっぱりUberEatsは天職だと思う

自由に働くためにも、極寒でも耐える。

21世紀を代表する働き方だと思う

自分が「昭和の子供」の頃は、21世紀というと、ハイテクが進化した夢のような世界になると思ってた。

80年代はバブル全盛の時代で、テレビをつけると、夢とハイテクにあふれた未来になるという雰囲気が出ていた。

しかし実際は、21世紀を、しかも21世紀が始まってもう20年が経過したいまでも、まだまだ旧態依然とした日本。

それでもUberEatsの参上で、スマホというハンドヘルドコンピューター一本で仕事ができるのだから、やっと21世紀らしいなと思う。

生活保護を受けていたある青年が、西成に住みながら自転車で配達を始め、自立できるようになったという立志伝まで聞くようになった。

そういう時代がついにやってきたと思う、いや、そうならないといけないのだ。

お客様は神様ではない。3者平等の力が結果的に高循環を生む

レストランなどの店舗 顧客 配達員という三者お互いに評価をすることができる。

悪質でひどい客がいたら、配達員がbadをいれることもできる。あまりに悪質な客はアカウント剥奪・永久利用禁止もできるのだろう。

おかげで配達員のストレスも軽減されるし、お客さまの側もちゃんとした対応をしてくれるようになる。

今までの常識だと、理不尽なクレームにも耐えるのが美徳かもしれないが、そんなの冗談じゃない。

こういう日本の文化じゃなかなかできない先進的な評価システムは、さすがはアメリカの企業だとおもう。

そのため、いいお客さんが多い。

お客様のほうから逆に「ありがとうございます」言ってくださることがとても多く、これは本当にうれしい。

洋行帰りの私にとってはすばらしい

これから配達する人や、
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理想は、愛を届けることだと思う。

きざったらしい言い方になるけど

配達の仕事と言うのは、愛を届けることだと思う。

先日、注文ミスをしたお客さんがいた

熊谷駅にて引き取りというので、そこへ向かうと、途中電話がかかってきた

10㎞離れた吹上にいるので、吹上に届けるか、またはキャンセルできないかと。

キャンセルされたら、代金は全額お客さんが払うことになる。それはもったいない。

かといって別の場所で受けわたしする場合は、3キロぐらいだったらいいが、10㎞先の吹上だと、行き来すると20キロなので、割に合わない(さすがに私はそこまでお人よしではないので)

幸いお客さんは、車で来ているので、30分あれば熊谷まで来れるだろうということで、

結局来ていただくことにしてもらった

その代わり私はオフラインにして30分も待ったわけだ。

遠路はるばる熊谷に来てくださり、商品をわたすことができて、一件落着。

はじめてのUberEats利用なので、間違えてしまったそうだ。

自分の側も運がよかったのもある。もし夕食時とかで依頼が殺到したり、次の配達があったらキャンセルをお願いしていたかもしれない。

しかしだ。

せっかくご縁があってUberEatsを利用してくれたのに、

「デリバリーサービスなんてこんなものか」ガッカリさせてもらっては困る。

なので、自分もできる限りの善処はする。

もしここでキャンセルしたら、お互いモヤモヤしてしまうはずだ。

善処したら、お互いがスッキリするし、「働いてよかった」と心から思うのだ

東京か、郊外か

東京よりも稼ぎは少ないものの、すごく気分良く仕事ができたりする。

東京と地元で比較して思ったのは、都心よりもここ郊外のほうが、心にゆとりのある人が多いと思う

都心は、自由な反面、我を通しあっていて、そんな人間同士によるストレスを感じた。

田舎で配達してた時は、犬がうるさくてむかつくとは思ったりしても、ひさびさに来た東京はマナーの悪い人間、汚い裏通り、あきらかにいらだってる人間、他者に対する冷淡さなど、複合的なストレスで精神的に何倍もつらかった。

東京都心は、自分のようないなかものが住むところじゃない!!と改めて実感した。家賃も死ぬほど高いし、醜悪な落書きで覆われてるような治安の悪い所も散見したし、まぢ住みたくない。

そういえば昔、香港を旅した時は、あまりの過密都市で、同じ巨大都市である東京やバンコクよりも息苦しく、どこへ行っても尋常でないぐらいの人だらけで、人々もせわしなく、「こんなところに住むのはゼッタイに絶対に無理!」と思ったあの日を思い出す。

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やっぱり天職だった バイク便とUberEats

20年以上前の若いころ、「好きなバイクに乗って働ける」ということで、バイク便で働いてたが、お世話になってた上司のOさんが

「自分にとってこの仕事は天職だ」と言っていたのが深く印象に残った

好きなバイクで走り回って仕事になるのだから。

しかし、実際やってみると非常にしがらみも多いし、人間同士いやな面もあるし、排気ガス汚染(あのころの東京の道路は排気ガスで空気が汚かった)や雨の日の稼働や事故を考えると、とても長くできる仕事じゃないと思った。

それから20何年たって、

とことん鳥のように自由なUberEatsに出会ったことによって、ようやく一生続けられる仕事に出会ったと思う。

 

そこで思いついた計画が・・・

旅を仕事に!Vストローム250によるUberEats日本一周計画です

後日詳細を公開しますのでおたのしみに

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