ちょうど23年前の野宿と自炊の日本一周・西日本後編は、人生初の九州上陸!
あなたも23年前のなつかしい記憶がよみがえるかも?
1998年5月18日 11日目
天気:雨のち曇り
6:45 起床
8:35 出発
10:30 九州上陸 門司1750㎞
17:30 佐世保 1976㎞
GN125で行く日本一周の旅は、いよいよ念願の九州初上陸。関門トンネルは125㏄なので車道を行くのだが、料金は50㏄と同じ20円だった。フェリーや橋ではなくトンネルなので、黙ってれば本州という島から九州という島にわたったことすら気づかないのだが、海の下を走ると思うと、印象に残った。
国道3号で昼過ぎに福岡市内。博多や天神などのひさびさの繁華街を見ると、かなり遠くに来たもんだと実感。
福岡でぜひ行って見たかった場所。
アド街ック天国でそれを知った時は、その生々しい名前に仰天。それが親不孝通り。遊んでばかりの浪人生をみて名付けられた、いわくつきの地名である
親不孝通りの下には「わかもの きままSt」と書かれている。当時の若き日の自分からして、まったく人のこと言えないね
朝は本州山口県にいたのに、夕方にはもう九州の西の果てまで来たので、今思うとやたらハイペースだと思う
今夜は「大悲観公園」というこれまたすごい名まえの公園でテント泊。
朝 八宝菜残り エビチリ
昼
夜 まいたけごはん ほうれんそう
宿 小佐々町 大悲観公園テント
走行 345km
1998年5月19日 12日目
天気:はれ
8:50出発
佐世保に戻り、コインランドリー。洗濯中、地元の無口なおばさんがやってきて、お互い無言のまま時間が過ぎる。「元祖・コミュ障」だったたびいちなので、今思うとちっとも旅の風情が無いけど、ナイスなコロナ対策だと思う
その後長崎。浦上天主堂や、めがね橋など観光。
夜は小浜町(現:雲仙市)で泊まることにする 浜の湯に入湯。
夕食を買いにスーパーに入ると、「タイミング」という曲が流れていた
その曲が、西の海に夕日が沈むシチュエーションにすごく合っていた
あの海の向こうの世界を旅したくなった。
朝 まいたけごはんのこり ケーキ
昼
夜 ハンバーガー2個 焼きとり3本 めし
宿 小浜町 海岸沿いのマンション造成地の空き地テント
走行 245km
1998年5月20日 13日目 銀水を求めて
天気:晴れ
8:30起床
10:00 出発
12:00 島原
佐賀
16:30 久留米 2470㎞
島原には浜の川・湧水があり、湧水で作った銀水というを高齢のばあさんが200円で作ってると聞いたものの
その店は閉まっていた。忌印のとおり、お亡くなりになったようだ。
有明海を囲むようなルートで熊本へ。
19:30 国道沿いに、丘のようになった空き地発見。ここなら人目に付きにくいし誰もこないので野宿に適している。
朝 カレー ほうれんそう
昼 サンドイッチ サラミ
夜 麻婆豆腐
宿 熊本県菊地 国道沿いの空き地 テント
走行 279km
1998年5月21日 14日目
天気:晴れ
13:00 阿蘇山頂 2615㎞
14:30 熊本2673㎞
19:00 キャンプ場
いまでこそ西のツーリング聖地と有名になった阿蘇の雄大な景色がいい。
この山の形が、感じるぐらいにセクシャルで素敵。
熊本に来た。知る人ぞ知る、ばってん荒川。
この頃はまだ演歌も幅を利かせていた時代だと思う。レコード店というのも時代だね。
熊本の街の旅行代理店には往復航空券の値段が出ており
東京32000 ソウル19000 バンコク62000 アメリカ54000 ヨーロッパ86000 シンガポール55000
となっていた。この頃はまだ国内にはLCCもない時代だったので、東京よりもソウルのほうが安い。東京とアメリカはそんなに違いが無いという、本当に変な時代だった。そんな日本が嫌いだったあの頃。
チェーンがのびてきたので張った。
夜はこの旅ではじめてキャンプ場に泊まったが、うるさくて最悪だった。無料ゆえに、キャンパー以外の不届き者も自由に出入りできるゆえ、あらためて都会の公園のように無法地帯みたいな感じがする。逆にそこらへんの空き地とかのほうが、人が来ないので静かだった
朝 麻婆豆腐残り
昼
夜 ナポリタン+たまねぎ
宿 戸馳島キャンプ場 テント
走行 232km
1998年5月22日 15日目 天草四郎伝説
天気:はれ
7:00起床
9:10出発
14:20 牛深港2893㎞
15:10~15:37 フェリー乗船
朝は天気がいいが、昨夜の件で実にクサクサした気分。ともあれ雑誌のツーリングレポートに紹介されていた「天草四郎ミュージアム」に入ることに。
南蛮文化とキリスト教伝来の様子を映像などのメディアと資料で紹介する歴史テーマ館。
天草四郎を中心とした島原・天草一揆、自由平等を求めた戦いであったことを今に伝える映画やジオラマは、見る人の心を打つ。
https://www.t-island.jp/spot/137
中の演出と言い、建物形と言い、天草四郎の夢と情熱が、現代に具現されている気がした。
ゲームのサムライスピリッツにも登場するぐらいだから、ロマンあふれる伝説の人だったのだろう。
そんな天草諸島へ。埼玉では見られない、島の田舎の雰囲気。
旅ばかりの日々なので、日常的なものを求め、本渡では図書館に入る。
牛深からフェリーで長島・蔵之元(鹿児島県)に入る。フェリーは870円。旅もいよいよ佳境に入ってきた
鹿児島に到着。競技場で寝ることに。鹿児島というと西郷どんのような質実剛健な古風な田舎というイメージをもっていたが、街角では予想に反してパフィーみたいな若い女子がストリートダンスの練習をしており、当時流行っていた三本線ジャージを着ており、そのジャージが自分と一緒だったのがいまでも記憶に残る。
朝 ナポリタン+たまねぎ
昼
夜 スパゲティ
宿 鹿児島市競技場 テント
走行 247km
1998年5月23日 16日目 鹿児島で折り返し地点
天気:くもり夕方から雨
7:50 起床
9:20 出発
17:00 宮崎
20:30 延岡
朝、テントを見ると、火山灰が付着していた。鹿児島にいることを見事に実感。ここで生活となると、いい天気でもロクに洗濯も干せない日もあるからシンドイだろうな。体中ザラザラになるだろうし。
午前は鹿児島のダイエーで買い物。その後鹿児島からは北上。帰路への旅。宮崎へ。
雨の中、延岡についた。寝床を探してると、河原に雨がしのげる場所を見つけたので、そこで寝ることに
朝 たまごやき
昼 ヨーグルト コーラ クリームパン
夜 パン バナナ キウィ
宿 延岡 河原の小屋 野宿
走行 326km
1998年5月24日 17日目
天気:雨
10:00出発
11:30高千穂
17:20 大分
今日も雨
延岡から高千穂、そして九州らしく温泉めぐり。湯布院の金の湯。そして天ケ瀬温泉。
この日見つけた中学校の標語。
「再び帰らぬときなれば この一国に命燃やさん 蘇陽中」
と、なんとも古風と情熱的で、九州らしいではないか。
テントを張った夜はぜいたくに、スーパーで買った肉を炒める。米も炊いて満足の食事。
朝 どんべい+わかめ バナナ パン りんご
昼
夜 豚肉とにんにくの芽の炒め物 御飯
宿 天ケ瀬温泉 軒下 テント
走行 349km
1998年5月25日 18日目
天気:小雨のちくもり
8:00起床
13:30本州上陸
九州から本州に戻る。あとは家に帰るだけの旅だ
スーパーで金ちゃんヌードルとカライーカを買う。179円。
温泉近くの林道の道端でテント野宿。
朝 きのうの残り
昼
夜 スパゲッティ たまねぎ
宿 湯来温泉 テント
走行 356km
1998年5月26日 19日目
天気:快晴
9:00 起床
10:15 出発
14:25 福山4217㎞
笠岡4234㎞
19:00 湯原温泉4378㎞
温泉、温泉、また温泉。そんなわけで岡山・湯原温泉に戻ってきた。タダで心行くまで温泉に入れるのがいい。
朝 金ちゃんヌードル たまねぎ
昼 クリームパン
夜 弁当半額
宿 湯原温泉 テント
走行 319km
1998年5月27日 20日目
天気:快晴
7:30 起床
8:40 出発
12:20 浜岡 昼食
15:00 天橋立
19:20 敦賀
山陰地方を進む。天気のごきげんうるわしい日本海の砂浜で野外料理。埼玉県民らしく、そこらへんの草(つるな)を炒めてた。
沖縄やモルジブのようなきれいな海。
夜は墓場の近くの道の行き止まりで野宿。誰もこないので思いのほか静かで快適だった。ユーレイとは友達!旅人を守ってくれる者だと思えばいいのだ!
朝 ヤッキースパゲティ つるな
昼
夜 たきこみごはん
宿 敦賀 墓場 テント
走行 387km
1998年5月28日 21日目 印象なき帰路
天気:
7:30 起床
9:00 出発
12:50 金沢(109)
13:29 利屋町SS
15:30 白川郷合掌造り
18:10 高山5111㎞
新穂高バス停5163㎞
朝食は、昨夜炊いたたきこみご飯。昨夜と今朝食べ、昼と夜はそれをおにぎりにする。
ただただ家に帰るだけの帰路。金沢にも109があった。そして白川郷に寄ったが、ぜんぜん印象無し。世界遺産でもある大観光地なのに印象が無いのは、九州のほうが自分にとって遠い世界で、「いかにも旅をしている」という実感があったからだろう。
今夜は、某旅行作家も泊ったという、バス停で野宿。ちょうどいい寝床。
そしてこれが4年後2002年の写真。朝6時に来たら別の集団が寝てた。
朝 たきこみごはん
昼 たきこみごはん いかかつ まっちゃアイス
夜 たきこみごはん ポテルカ
宿 新穂高 バス停 野宿
走行 398km
1998年5月29日 22日目
天気:雨のち曇り
6:00 起床
7:00 出発
13:45 下仁田
17:20 自宅・ゴール
ただただ家に帰るだけの帰路。下仁田で名物のこんにゃくを食す。
そして夕方に帰宅!そのゴールした時の気分は、日記に記してなかったので、あいにくあまり覚えていないのが残念。
これより1週間ぐらい休養と準備をした後は、いよいよ北海道だ!
朝 ポテルカ
昼 こんにゃく じゃがいも
走行 354km
西日本編データ
総走行距離 6322㎞
平均走行距離 288.8㎞
使用ガソリン 159.4L(14666円)
これで日本一周1998・西日本編はおわりです。
次の東日本編(東北・北海道編)は、6月に公開予定!お楽しみに!