(94)インドの西ベンガル州の田舎と、素朴なる美少女

インド2015
スポンサーリンク

半月におよんだ、プリーの生活。しかし今日こそは海とプリーに別れを告げて、ヒマラヤの山を目指す。そして、インド一周の後半戦が始まります!

2015年4月16日夕方前にプリーを出発。オリッサ州都ブバネシュワルを経由して、国道5号でコルカタへ。
州都とあってか、高層マンションが建設中であった。

夜の国道を走ると、小雨が降ってきた。しばらく行くとドライブインのレストランがあったので雨宿りをかねて食事。えびカレー75、オニオンサラダ15、ロティ5を5枚。計120ルピーでリーズナブル。やっぱえびが入ってるカレーはうまい。

 

途中、バスからインド人の男たちが店に入り、各々がカレーなどを注文して粛々と食べていた。団体旅行ではなく高速バスらしい。中々いい。

畑の真ん中で、ひさびさの野宿。

離れた民家から音楽が流れてくるが、低周波っぽくて気分よくない。

17日

7時10分起床。7時半出発。今日もコルカタ方面へ国道(高速道路)をひた走る。

10時40分、120km。途中の町で朝食。駄菓子屋のような商店。マサラ味のイモ天2とワダ1個2、両方でたったの8円。そのほかにはパン5、マンゴジュース10。種類は乏しいが、これだけ飲み食いしてもたったの38円とアホみたいに安い。それが救いである。

 

2時10分、188km、西ベンガル(WB)入州。
コルカタは寄りたくないので、夕方、コルカタの手前でショートカットしてそのまま北へ進んで国道2号に入ろうと思ったが、片側一車線で混雑してホーンのあらしであまりに不快で走りにくく、高速道路の整備されたコルカタ経由のほうが楽にすすめそうだ。

乗車率500%?超絶バス

ということで国道5号に戻り東へ進み、

結局4ヶ月ぶりにコルカタに戻ってしまった。

サダルストリートで宿探し

さすがに12月にきたときと違い宿泊拒否はなかったけど、空いている部屋は700だの800ルピーだのとふざけた値段。首都デリーの安宿街よりも高く、同じ部屋で換算するとプリーの3倍はする。

結局、Capitalというゲストハウスに泊まる。640を600に負けてもらったが、バイク駐車代でさらに50とられた。
部屋に荷物を置いたら、間髪いれずに食事に行く。近くの屋台で、海老と鳥肉入りのチョウチョウライス60というのがあったが、実際はしょっぱくて油っこいただの焼飯。だけど海老がちゃんと入って60ルピーは本当に安い。それなのになぜ宿代はべらぼうに高いのか。

朝7時半から夜400km走ったので疲労の極みだったが、自室内のバスルームでなんとか洗濯を済ませ、夜中1時半頃に寝る。

走行416km

18日

10時起床。12時チェックアウト。昔はサダルストリートと言えば、「バンコクのカオサン・カルカッタのサダル」といわれるぐらいの安宿街だったが、宿代が高騰した今ではもう見る影もない。西洋人や韓国・中国人がわずかに歩いてるぐらいで、あとはほとんどインド人のみ。

土曜日で何があるのか知らないが、なぜか多くの店が閉まっていて、小さい売店しか開いていない。カオサンとは比べ物にならぬぐらい不便で、退屈。

サダルは宿代がべらぼうに高いくせに、田舎の町と変わらないぐらい何も無く不便で、そのくせゴミゴミして運転マナーもさらに悪く、無愛想な人間も多い。そんな田舎都市にはもういたくないので一泊だけして出発する。

そのてん2週間以上過ごしてしまったプリーは、宿代がとても安く、フレンドリーな人だらけで気候も良く、海もあるので魚もくえてマリンスポーツもできる楽園かもしれない。

スポンサーリンク

サドゥー、逆走。カレー攻め。

コルカタからは国道2号(アジアハイウェイ1号)を北上する。本当は最短ルートである34号で北上したかったが、どうやって34号に行けばいいかわからず、道も狭そうだったので遠回りになるが高速道路である2号にした。
片側二車線以上だが、混雑気味の道。道路沿いの茶屋でひとやすみ。チャイがキャラメル風な味がしてうまい。

だけど一方的にまくし立てるサドゥー風のおっさんがやって来た。
「英語で話してください。ベンガル語わかりません」
といっても勝手にまくしたてるので、言葉のキャッチボールが全くできてない。
そういう人は、以前は面白がって対応していたのだが、


このところのベンガルの旅の過酷さによって、もうそんな余裕は自分の心になくなっている。そう言う人は相手にしても疲れるだけなので、残念だけどひたすら無視する。

国道2号でダージリン方面に行くと大回りになるのだが、2号は快適なフリーウェイが続くと思っていたら、反対車線がトラックでいっぱいなので、逆走してくる車が増えてくる。
このあまりの身勝手ぶりにあきれてくる。

インドの東側なので、日がくれるのが早い。6時には日没。とてもじゃないが逆走だらけだと夜は危険なので、宿を探す。

小さな村に入ると、宿らしきものはない。WBの田舎は、ほかのインドの田舎よりも、より貧しい気がする。しかたなく夜のフリーウェイを走ってると、GuestHouseのサインを発見!やった!時間は6時50分。

部屋を見せてもらい、一晩なんぼか、と1階のレストランの若い店員に聞いても答えてくれない。正直いらつくけど、宿泊拒否されてはたまらん。ここはインドなので、どうやら部屋の担当者に宿泊費の裁量権があるのかもしれない。
しばらくすると担当者がやってきて、一泊600とかぬかしたが、とても見合う部屋じゃないので、なんとか350でOK。

1階のレストランで夕食にしようと思ったが、なんとメニューがないというので、やめとく。またぼったくらそうだし。
かといって国道沿いのほかの掘っ立て小屋食堂もメニューはないし、何が出るかわからない。こういうところが非常に辛い。心労溜まる。ケララなどの南インドとかに比べると、あきらかに貧しく、レベルが落ちた。

当然スーパーやコンビニなど無い。同じインドでも南のカルナータカ州ではスーパーがあったほどだったのだが、このあたりは貧しいのかそういうものはなく、粗末な掘っ立て小屋の売店で、Yippeeというラーメンを買う。当然カレー味。インドのインスタントメンは、全てカレー味!、そう、全部カレー味しかないのよ!!(泣)

日本ではインスタントメンはみそ味とかとんこつ味とかいろんな種類があるのに、インドではラーメンですらカレー味しかないので、このインドの食の超保守性、見事なまでのカレー地獄の徹底ぶりに、正直言って発狂しそうだった。

しかし宿の近くに食べるものもなさそうだし、物は試しなので、作ってみるとカレーラーメンみたいで意外と悪くない味だった。人参らしきものも入って食べ応えあるし。下手な食堂でまずくて高いカレーを食うよりはYippeeのほうがよっぽどマシだと思った。

部屋は、意外と外の騒音が気にならない。中々いい部屋だ。と思うのもつかの間、部屋の前の広間にはなぜかテレビがあって必要以上に超大音量なのでうるさくて大迷惑。頭にきたので実力行使でテレビに駆けつけ、音量ボタンを押して下げた。

その後もこれから寝ようとしてるのに、スタッフが携帯で大声で話してうるさかったので、これも「うるさいから向こうで話してけろ!」と言った。

迷惑の掛け合い・掛けまくりの空気の読めないインド(地域によってもちがうが)では、日本のように空気を読み合う世界とは180度正反対なので、不快だったらガマンせずに即行動する事にしている。

さもないとインドの旅はとてももたない。耐えられない。ストレスに押しつぶされる前に、自らストレスの芽を除かなくてはならない。

5ヶ月もインドにいると、カレーばっかの毎日と、ゴミと不潔と騒音にまみれているので、とくに東インドはあまりにきつすぎて、毎日が激しいストレスとの戦いになってきた。

精神も擦り切れて、ボロボロになっている。

走行142km

19日

9時起床。インドのインスタントメン・Yippeeが意外に食べられるレベルなので、もう一度売店に行って買って、部屋に戻ってつくる。これが朝食。

あとになってチェックアウト時間は9時なんだと言われたが、10時半にチェックアウトしても特に言われなかった。

だけど今度から早めに宿に泊まり、早寝早起きして7時半には起床して、9時には出発するようにしなくては。

最南端カニャークマリからコルカタまでは全線高速道路だったので夜遅くまで走り野宿をしてきたが、ここから先は田舎道ゆえに夜間走行は非常に危険なので、日没と同時に宿に泊まりたい。

国道2号を外れ、田舎道をダージリン方面へ北上する。道自体はまあ順調だったが、最短距離で行こうとすると、途中から迷ってしまう。

田んぼを見ると、日本の水田地帯そっくりだった。これが地元によく似ていて、郷愁をおもう。

今日はナルハチという町に泊まることにした。ヌルハチやら丸八に響きが似てるという理由もあるが。。

街中に入ると、狭い通りは非常に大混雑していた。ホーンの嵐。インドのカオス、ここにあり。そのなかでナイチンゲール・ロッジに泊まる事に。

シングルはトイレなしの狭い部屋が200でトイレつき250。だけど奥の101号室が広くてトイレつき。400を300にしてもらう。一番いい部屋だ。

今日は10時半から8時間走りずめなのに200kmしか進めなかったが、今夜も無事に宿に泊まる事ができたのでよしとしよう。

部屋に荷物を置いたら夕食。まずは売店でチョコアイス10、マンゴアイス5.安い。

ほかの店でスプライト300ml、15。ラッシースタンドでラッシー20.だけどマサラパウダーが浮かんでいたので速攻取り除いた。ラッシーにマサラが入ると、インド人の体臭のような気持ち悪い味になるのでやめてほしい。都会のラッシー屋ではこんな体臭マサラは入ってないのに。

宿の近くにはレストランや食堂はなさそうなので、部屋に戻りPazztaマッシュルーム味をつくった。


「マカロニ」を聴きながらマカロニがぐつぐつ煮る。うまい。

7時ごろはやかましかったが、10時になるとけっこう静かになった。よかった。

走行203km

20日

7時35分起床。29度。FANまわすと少し寒い。

ナルハチを出発。しばらく行くと、国道のど真ん中には、白いムスリム帽らしきものをかぶった下半身不随の男が!

いつあの世に行くかわからない。

15年前に見たときはものすごく愕然としたのだが、15年経ったいまでもやらされてるなんて。

※そのときの状況については「信じられない物乞い」を参照してください

世界一周04 インド中部篇 熱すぎるインドでガンジス入水!
第4章 インド中部篇(2000年4月11日~4月20日)★ついに世界一周の旅がオートバイとともに始まった。想像を絶するインドの人々との出会い!●カジュラホの濃い人たち●タカハシ少年の暗影●インド人が歌うJ-POP●ガンジス河に入水すると●信...

こんなことやってるようじゃ、いつまでたっても全体が貧乏なままなのに。危険な物乞いをやめさせて、安全に過ごせるよう、心からねがいたい。

モルグラムから国道34号。快適な二車線が続く。とても気分がいい。

しばらくいくとガンジス河にかかる2km以上の橋がある。バラナシから比べればだいぶ下流にあるので、その広さたるやアマゾン川のように見える。ここはバングラデシュ国境に近いこともあって、橋の上の随所に兵士が配備されている。

くわしくは写真集でどうぞ
https://tabi1.com/india-photo-dvd
快適な二車線がずっと続けばいいのにと思っていたが、そんなに甘くないのがインドの道

 

ガンジスの橋からマルダ(旧名イングリッシュバザール)までの区間は道が狭くなり、環八のような大渋滞で非常に辛かった。しかも我先とすすむのでちっとも進めない。しかもほかの州とちがって分岐路になっても標識が全然ないので、迷った挙句に時間をロスする。快適な気分から一気にどん底に叩き落される。いやだ。

WBはサイクルリキシャ(三輪自転車)が多くて、これが軽自動車なみの幅になるので、5~10km/hぐらいでものすごく邪魔で、渋滞を引き起こす原因でもある。たしかにリキシャに何百キロもの資材を運んで必死で漕いでる姿を見ると、大変なのはわかるけど。

 

自転車の後ろに入ってるのは、人です。

これが西ベンガル流・スクールバスなのです。

その後またフリーウェイ区間になるが、マルダの大渋滞があまりにひどすぎたのでスッキリしない。その後も工事中が多くてそんなに快適ではない。

ライガンジという町で日没になるので、今夜はその町に泊まる事にする。ライガンジの手前のY字路にHotel Purpakという看板があったのでそれに従い、ホテルに着いた。見た目高そうだったが、一泊たった300と思った以上に安いので、相手の言い値で即決。

このホテルで300だとそんなに儲けはなさそうなのに、このホテルの若旦那はタイに行ったことがあるらしい。

なんとも「スペシャルマッサージ」も施してもらったらしい(*´Д`)

買い物した後宿に戻り、ルームサービスで夕食。やきそば50、フライドポテト40、チャイ10、と安い。PCを見ながら部屋でひとり水入らずで食べる。くつろぎのひととき。

WBはほかのインドとは全然ちがう。いまなお残る、インドオブインド。非常識な混沌と汚さと、激烈なうるささに満ちた、同じ地球とは思えないぐらいの世界なのに、宿代が安いのが唯一の救いである。東インドの旅はあまりにしんどい。

カニャークマリからずっと北上して緯度が高くなったので、すずしい。室温も26度しかない。天然のエアコン。そのかわり水シャワーがきつい。

0時ごろ寝る。

走行214km

Loading