日本一周貧乏ツーリング1998 北海道で大波乱!?東日本編3

国内ツーリング日本一周2021
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日本一周も、ついにラスト!

今回もキャンプしながら道東をめぐる旅をします!

1998年6月28日 日 またまた都会の繁華街へ

天気:はれ

8:30 起床
10:45 出発
14:00 休憩
18:10~19:40 タイヤ交換
23:20 ねる

道北の美深から、またもや札幌へ。いったい何度目の札幌だろう。とはいえGN125の部品交換は人口の多い札幌だから安く、すぐにできることが多い。今回はリアタイヤを交換。5250円。

その後は4丁目プラザなど、夜の繁華街を歩く。北海道なので大自然の景色を見るのもいいけど、雄大な大地に飽きたら、街を歩く若い女のこを見るのも、風流だ。

そして、夜の札幌に来るたびに見かける、街角で毎晩ひたすら一心不乱に太鼓を叩きつづけるストリートミュージシャンが、実に味があっていい。

もう夜も更けてきたので繁華街を外れ、寝床を探す。道庁の西ビルの軒下なら静かそうで問題なさそうなので、23:20寝た

朝 イタリアンやきそば うでたまご2
昼 カントリーマアム
夜 パン、30円かつ、うでたまご、牛乳500ml
宿  札幌 道庁西ビル軒下 野宿
走行 301km

1998年6月29日 月

天気:はれ

5:40 出発
12:20 然別
17:30 ねる

まだ朝の3時台だというのにもう空が明るくなっていて心底驚いた。そのため4時には目覚め、出発したのが5時40分と、めちゃくちゃ朝が早かった

おかげで然別のキャンプ場に戻ったのが正午過ぎ。歌志内や芦別を経由してるのでかなり遠回りになってるのに、317㎞を6時間40分で到達したのは速い。

しかし昼食作ってテントを張って♨入って、17時半には早々と寝てしまう。よほど疲れが溜まってるのだろう

朝 スティックパン
昼 やきとり2缶 米2合 キウイ カツゲン

宿  然別野営場
走行 317km

1998年6月30日 火

天気:はれ よる きり

7:50 起床
9:30 出発
14:00 釧路駅
18:30 霧多布岬

途中2時半に目覚めたが、8時前に起きる。13時間は寝たとおもう。

お世話になった然別は1泊だけして、道東へと走る

釧路、厚岸を経由し、もはや地の果てのような寂寥感ただよう霧多布岬に到着。その名の通り、夜は霧の夜だった。

朝 カツゲン パン いかチーズ
昼 あげだんご3 かにクリームコロッケ
夜 塩らーめん+Pマン しうまい いちご牛乳
宿  霧多布岬キャンプ場
走行 336km



1998年7月1日 水 害鳥獣との戦いと北方領土

天気:くもり

7:45 出発
13:00 納沙布岬出発

霧多布岬の朝は、ほかのキャンパーらの話声が不快なのに加え、明け方はカラスがうるさく、しかもあざ笑うかのように食料を荒らされてしまい、朝からむかついてしょうがない。

めちゃくちゃ頭にきて、木の上にいるカラスに石を投げまくっても、運動神経の鈍さゆえに、あざ笑うかのように届かず。カラスやキツネの荒らし対策(果てはクマ除け?)に、パチンコ(スリングショット)を買わないとダメだと痛感。

北海道は人口が少なく自然が豊かな分だけ、害鳥獣がでかい顔してのさばっている。日本海側の国道沿いの無料野営場を見たとき、海辺のキャンプ地には何十匹ものカラスがのさばっていて、とてもここじゃ泊まれない、と恐怖を感じたほどだ

本州の管理されたキャンプ場のゆるキャン△のように甘くないのだ。

北海道の東の果てへ、根室、そして納沙布岬についた。天気もすっきりしないこともあり、さらに寂しい雰囲気が漂う。目の前は、占領下の北方領土の島々。

北方領土に向かって、一緒に叫ぶ像!

根室から北上し、国後展望台で占領下の国後島を見た。また再訪した時にどんな思いになるだろうか。

羅臼到着。熊の湯に入湯。

朝 アリスカレーとミックスベジタブル
昼 黒糖チョコ
夜 塩らーめん 馬肉 米2合
宿  羅臼町営キャンプ場
走行 314km

1998年7月2日 木 知床探検 トレッキング

天気:くもり 昼から小雨 夕方から雨
8:40 起床
12:00 相泊温泉 崩浜
14:47 探検終わり
16:00 戻る

羅臼から先、知床岬に行くことはできないが、最突端の相泊からバイクを置いて、東の果てに向かって、歩いて行けるところまで行ってみる。

大きな石のころがる砂利道を浜辺に沿って歩くと、無人の家、番屋などが点在する

ある程度歩いたら、崩浜に来た。キリがないので引き返す

バイクの場所に戻ると雨が本降りになってきた

写真の♨、どこかは忘れたけど、熊の湯だと思う。または相泊温泉か。

 

朝 玉子丼+ミックスベジタブル
昼 パン バナナ キウイ
夜 塩らーめん バナナ キウイ
宿  羅臼町営キャンプ場
走行 67km

 

1998年7月3日 金

天気:くもり

11:45 出発
13:00 羅臼出発
15:30 裏摩周
17:30 屈斜路湖
18:30 食事

正午ごろ、羅臼では夏祭りの露店をやっていた

当時のたびいちは980円で買った流行りの3本線ジャージを履いて旅していたが、左の小学生も見事に同じく3本線ジャージ。

そして女子高生は、やはり流行りのルーズソックス。とはいえ、中には昔の80年代の助版刑事みたいな時代遅れの化石の生き残りのような超ロングスカートのJKも見かけた。

日本のサバンナ地帯に住む自分にとって、夏は猛烈に暑いのが当たり前な自分にとって、知床は夏の盛りなのに肌寒く、永遠に真夏が来ないようなさびしい最果ての地でも、少年少女らが生き生きしていることに、感無量な気がした

屈斜路湖で温泉。テントでラジオをつけるとハーブアルパートのトランペットのJAZZ。いいもんだ。

朝 塩らーめん バナナ キウイ

夜 えび、からあげ、ぎょうざ、ヨーグルト フランスパン 菜の花
宿  屈斜路湖畔空き地 テント
走行 232km

 

1998年7月4日 土 大トラブル発生

天気:はれ

8:40 起床
11:00
19:00 旭川

その年の2月にタイでツーリングしたことがあるが、

チェンマイから最北端の町に行く 国境ツーリングの20年
若き日のたびいちが初めてのタイで心から大衝撃を受けた「タイ北部・国境ツーリング」を、20年後に復活!今回の旅の最大のテーマが「20年前と現在の国境ツーリング」当時は日本とあまりにちがう世界に感動のしっぱなし。帰国後、その思いをツーリングレポ...

すばらしく走りやすかったタイの国道。

なので帰国後、走りやすい北海道でも、タイモードで国道39号の片側二車線の高速道路のような道を全開でつっぱしっていたら、端野町で北見警察の覆面セドリックがあとからやってきて、みごとに御用。

タイの国道を思い出してしまったので。そもそもほかのまわりの車も速く走ってたし!結果、青紙ではなく、赤紙をわたされた。2人いたうちの若いほうの隊員はどこか余裕顔。きっと何十人もの南の人たちにサインをプレゼントしてきたのだろう。ルートサーティナインの処刑人ともいえるスマイルだった

まあしょうがない。今後はしんちょうに走ろう。

19時、旭川の祖母の家に戻り、父母と再会。きょうの御用の件は黙っといた。

朝 カレー 魚天ぷら

夜 とん汁
宿  祖母の家
走行 346km

1998年7月5日 日

天気:はれ

両親と墓参りをし、山頭火でみそラーメンを食べた。親戚の家で寿司を囲む。そんな夏休みの絵日記のような一日。

朝 とん汁など
昼 みそラーメン
夜 お寿司など
宿  祖母の家
走行 11km

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1998年7月6日 月 北海道から埼玉 一気走りで帰る

天気:はれ

10:00 出発
16:45 札幌 261
20:30 小樽 304
21:58 倶知安366
22:42
0:00 長万部 446
0:23 465
0:55 493
1:30
2:25 函館港 フェリー乗船551

 

祖母や両親にも会ったので、もう北海道の旅で、充分にやるべきことはやったので、

あとは家に帰るだけだ!

旭川から、この北海道ツーリングで何べんも寄った札幌に到着。大自然に飽きたら大都会に行き、そしてまた大自然へと飛び込む。その繰り返しだった北海道の旅。

そう思いながら最後の札幌の街を歩く。名残惜しい。

札幌から函館は、夜の5号を一気に鬼走り。タイの旅のように、90キロで走る。端野町のバツイチ事件をすっかり忘れとる。

函館からは青森行きのフェリー乗船。フェリー内の4時間弱は、ただただ睡眠をむさぼるだけだった。

朝 しゃけ

夜 ブラジルパン ちくわロール
宿  青函フェリー
走行 551km

1998年7月7日 火

天気:雨 夕方くもり

6:50  青森出発
13:24  秋田 253km
17:20  バス停

きのうとは一転、雨の一日。北海道にはなかった梅雨空の中、東北日本海側縦断。ただただ家に帰るだけの帰路。

以前、山形県に立派なバス停を見つけたので今夜はそこを目ざし、7号をひたすら走るだけ。

一日ずっと雨に濡れたのでバス停小屋は助かる。ありがたみが身に染みる。この日のことはバス停に泊まり、夕食でバス停の外でスパゲティをゆでたこと以外、何もおぼえていない



夜 スパゲティ サンドイッチ
宿  バス停 野宿
走行 419km

1998年7月8日 水 燃え尽きた日本一周最後の日

天気:はれ

8:00 出発
10:30 新潟 127
14:50 沼田 329
15:48-57 前橋 364
17:04 到着 418

ただただ家に帰るだけの移動。新潟からは、走りにくくて何一つ面白くない17号を、退屈な単純労働のように南下。感動の北海道にどっぷり浸ったので、せせこましい本州に戻るともはや何の感動もなく、抜け殻状態。この日のことも全く何もおぼえていない。

ひとつ覚えてることと言えば、北海道帰りからすれば、異次元のようなおぞましい暑さが戻ってきた。それだけだった

17:04分、暑い中帰宅。暑い家に戻ると、北海道のあの日が、まるで夢であったかのように思えたのだった。

走行 418km

旭川から埼玉の家までの費用は7065円。走行距離は1388㎞。

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