日本一周14日目 さらばボランティアの母校 震災復興の旅

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2011年の7月と11月に、たびいちは南三陸の被災地でボランティアをしていたが、どんな生活をしていたのでしょう?

9月27日

天気:はれ
7:20起床。テント内21℃と快適な朝。

朝はボランティア時代に来たことのある岬方面に行く。歌津崎に着き、下を見ると急な断崖になっており、白い砂浜のキラキラしたトロピカルビーチとは全然趣が異なり、天気はいいけど荒波の断崖でしかも津波の来た海とあって、どこか辛気臭い海だ。

岬には誰もいなかったので、岬のトイレの洗面所で野宿続きで洗えなかった頭を洗った。これぞ朝シャン(死語?)

テント場に戻ると、軽トラに乗ったおじさん二人にでくわす。
「あのテントはあんたのか」といわれる


そこで、私が当地・歌津の「てんぐのヤマがっこう」でキャンプしながらボランティアしたことや、その主である今は亡き「蜘蛛仙人」ことスパイダー氏の事を話す。

2011年11月 ありし日の「てんぐのやま学校」

2011年11月、震災復興の取材を受ける「蜘蛛仙人」ことスパイダー氏

すると、

「おおお」という表情をして

「くもすけ(スパイダー)はいいやつだったなあ」

てんぐのやま学校のキャンプ地は、このあたりではなく、かなり別の場所らしい。

「泊ってもいいけど、イノススには気を付けろ」

うーむ、地元の人の許可は出たけど、イノススが来たらテントがめちゃくちゃにされるかもしれない。

そして昼食。それにしても、よもぎスパゲティはコスト爆安だし、いくら食べても食べ飽きない。うまい。

ボランティアの母校・登米に行く

きょうは内陸部にある、登米市東和町の街から離れた田舎にある、旧・鱒渕小学校に行く。

ここが私が所属していたボランティア団体「RQ市民災害救援センター」(現:RQ災害教育センター)の基地となった学校である。先のスパイダー氏も、同じRQのメンバーだった。

それは登米市という被害の少なかった内陸にあるのと、石巻から気仙沼までの被災地をカバーできるこの地が選ばれた。

それでも大地震の被害を受けていたので、改めて311は未曾有の災害だった事が判る

2011年7月当時の記事より:

登米市

内陸部に位置するので津波とは無縁かもしれないが、ハエが多く発生するようになり、震度6強の大地震で迫町内の街中の道路は至るところで損傷。マンホールのあたりが盛り上がり、段差も多く、そのたびに速度を落とさなくてはならない。

見覚えのある田舎の景色を進み、学校に着くと、重機の音が聞こえる。解体作業の真っただ中だった

あの時は良くわからなかったが、校舎は残されているが、解体しているのは体育館だった。

来年から、とある私立高校の所有となるらしい。

鱒渕小学校には2度来た。一度目の2011年7月は体育館で、二度目の11月の秋は、となりの校舎で寝泊りした。

登米や三陸は11月になると寒く、冷えると朝は氷点下になったり、天気が悪くなると雪がちらついたりの、厳しい気候だった。

我が思い出の体育館が、解体されている現実。それを17時まで見届けたのだが、帰りに河原に映る夕闇がきれいで、とても悲しい。

それはこの学校で、友人と再会し、たくさんの新しい仲間に出会い、いろんなことがあった、あの日の思い出。その思い出の体育館がこわされていく。

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ボランティア時代の生活

2011年7月 鱒渕小学校・体育館は、RQの基地として始まった震災直後とちがって、この頃になるとだいぶ落ち着いている。夏休みなので学生のボランティアも多かった

私はステージ奥で、自分の銀マットと寝袋を使って寝泊りしていた

役所との打ち合わせ。右にラーメンくいながら聴いてる女性がいるが、この人はみんなと食事するヒマが無いほど非常に多忙だったのだ。

充電所。ガラケーとスマホが混じる2011年7月のモバイル。なお、RQがポケットWi-Fiを持っているおかげで、ネットもできた。

2011年11月からは体育館から校舎に移る

三陸の寒さは厳しいが、陽射しが入ると暖かい。

料理がうまい。夏来た時と比べて格段に豪華になった

夜のミーティング。翌日の仕事の割り当てについて。ボランティアの仕事は多岐にわたり、希望するチームに所属できる

教室で寝泊り。寒いので自分の冬用寝袋を使う。仕事の内容や行先によっては、別の集会所で泊まったりした。

どんなボランティアをしていたか?

夏は主に援助品の配達。秋口になると、ほかには古民家の撤去作業、ゴミ捨て、子供たちのキャンプに付き合ったり、現地の人の話し相手など。

ボランティアで、自分自身を取り戻す

実を言うと、1回目の夏のボランティアが終わった後、夏が終わって9月になるとウツになったことがある。

その頃、無職で仕事も見つからず、当然UberEatsのようにまだ気軽に稼げるような時代じゃなかった。

人生で一番衝撃を受けた被災地。震災後の不安な世の中。地元にいい働き口もなく、減りゆく貯金。気分がドーンと落ち込み、苦悩と後悔ばかりがこみ上げる孤独な毎日。

そこで、第二弾として11月からもう一度RQにボランティアに行ったのだが、仲間と再会し、人のために汗を流すことによって、自分自身も取り戻した。

ボランティアとして働けば、食住も無料だったからだ。

しかし。

あれから復興も進み、被災した現地の人々も日常の生活に戻り、ボランティアの役目も終わった。

そんな今、ボランティアが終わっても人生がまだまだ続く以上、ボランティアで活躍したそれぞれの人は、それぞれの人生を歩んでいかないといけない。

お世話になったのは、鱒渕小学校でもあるが、自分にとっても、我が人生にとってかけがえのない大きな母校になった。

朝 スフレプリン198>110値引き カレーアラレ 揚げもち
昼 よもぎスパゲティ
夜 よもぎスパゲティ 甘辛チキンBAR半額 贅沢絞り桃
宿  歌津 林道奥の空き地

走行 187km

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