日本一周16日目 気仙沼のふかひれと釜石 震災復興の旅

スポンサーリンク

9月29日

天気:はれ
5:50 起床
遠くから聞こえる重機の音で目が覚める。キャンプが続いてるので気が付けば我ながら早寝早起きになってきてすばらしい。 夜の9時と朝6時には防災無線のメロディーが流れるのだから田舎の朝は早い。

この朝の時間にPC作業をするのが、暗すぎず明るすぎず寒くなく暑くなく一番やりやすい。自然の摂理に従って動くほうが良いことだし、結果的には楽だとおもう。しかしマウスがこわれたので、タッチパッドでPCをする。やりにくい。

もう歌津の空き地に5泊もキャンプしてるので、なんだか不法居住者みたいで、さすがにいずらい。誰もこないうちにテントを畳まないと。

出発し、まず志津川のさんさん商店街の中にある震災写真館に行く。入場料300円かかるのでそれまでは入る気はなかったが、きのうの丸三石油の奥さんが映ったという話なので、どうも気になってしまい、最後の日に行くことにしたのだ。

奥さんじたいは大勢の人と一緒に写ってたのか、確認できなかったが、かつての生々しい震災の写真と、震災の様子をしっかり明確に撮影した、プロ写真家としての意気込みを感じた。今回の震災復興を巡る旅について、あらためて気持ちを整理することができた。

志津川から、三陸道で気仙沼へ。

2011年7月当時の記事より:

気仙沼駅周辺は問題なかったが、港に近い気仙沼の街中は、廃墟になっていた 残っているのは車や建物のがれきだけだった

さらに大島行きのフェリー乗り場があったあたりは、地盤沈下で海水が近くまで迫っていた。
通る車はみなドロを浴びていた。

10年ぶりの気仙沼は、高速道路や橋が立てられて、見間違えるように変わり、便利になった。

ついでになので気仙沼大島に行ってみる。以前は離島のように船を使わなければ行けなかったが、つい最近陸続きになったので、行ってみた。

島に入ると、道も広く整備されて、走りやすかった。震災復興費でのどかだったであろうこの島もだいぶ変わったのだろう。

島の海辺も静かそうだったので、昨夜はこの島でキャンプすればよかったかなと思った。が、慣れたところのほうが落ち着くので、まあいいだろう。

気仙沼の港は、震災以前来た時はふつうの港町だったし、震災直後はひどい状態だったが、今回の復興後は新しく建てられたカフェレストランなどは、宮城県の最果ての港町とは思えないほどの、センスの良さが光る。

それは遠洋漁船が多いので、船員たちも海外の国を知っているからだろう。今はどうか知らないが、地球の反対側の南アフリカのケープタウンも日本の漁船がやってきたし。

フカヒレを味わってみた

最近、あまりに質素な食生活なので、たまにはその土地の名産品を食べることにする

シャークミュージアムと海の市にはおかえりモネの展示があって、ちょうど気仙沼が舞台らしい。連ドラなんて見たことないけど。

その海の市の中にある回転ずしで昼食することに。

気仙沼はサメも名物なので、目指すはふかひれ。


左上のもうかざめの生ハムにぎり。本物の生ハムとほぼ同じ味で、とてもうまい。歯ごたえがサメらしく、ほのかな魚の香りがサメらしさを感じる

右上のふかひれスープは、安い分だけ、なにがふかひれだったのかよくわからなかったため、ハズレ。

最後に、左右下のふかひれがちゃんと乗っている茶わん蒸し550円を。

上に乗っかったフカヒレは、ぷるぷるとしながら少しコリコリとした味で「おおこれがフカヒレなのか」と感動する。

以上3品でも1000円以下だったから、思った以上に大満足となった食事だった。気仙沼だからこそできる安さだろう。

スポンサードリンク

震災当時の写真と10年後

2011年7月の海の市・シャークミュージアム前

津波で1階部分が浸水し、店の前に漁船が転覆している、常識外れの凄まじい状態だった

そして2021年。見事復興してフカヒレを食べれたので感慨深い。

2011年7月 気仙沼の被害の激しかったこのあたりも

2021年には防潮堤ができて、当時の悲惨さは微塵もないほどの新しい団地ができていた

そしてテレビで見たことのある、巨大漁船が本当に流れて乗り越えて塞いでいたこの場所は

2021年のほぼ同じ場所。全く別の景色に変わっていた

釜石に到着

釜石は魚と鉄とラグビーの街だ。

ラグビーの街であるところが地元の熊谷と同じで、2019年のラグビーW杯でも注目された町なので、個人的に興味深い街だ。
ここも津波の被害を受けていた。

2011年7月の釜石市:

夜についた釜石の街中は、ゴーストタウンだった。丘の上の住宅は電気が灯っているものの1階部分が破壊された商店街は真っ暗。 しかし、それでも、現地の若い女の子が何事もなかったように歩いていた。

中心部のホテルとコンビニと居酒屋は営業しており、そこだけが明るかった。希望の光に見えたのは言うまでもなかった。

しかし10年ぶりに来た夜の釜石は、その中心部に行くと、コロナのせいで、あの時よりも逆に寂しい雰囲気がした。

当時は破壊された街並みでも、夏だったこともあってか中心部には人々が集まっていて、「復興に向けてがんばっぺ」という熱いエネルギーが満ち溢れていた。

釜石のイオンタウンの飲食スペースでは電源付きなので、思わず手を叩いてよろこんだほど。

弁当も半額。しかも5個さしてあるたこ焼き串も100円がさらに半額の50円と最高。日本ってこんな物価安かったっけ??

飲食スペースでは、向かいのおっさんが掃除のおばさんと世間話してた。岩手はおおらかである。

日本の接客でよくある事

後ろの31アイスクリームでは、アングロサクソンのでっかい大男と大女の親子連れ夫婦がやってきた。ラグビー選手が普通に歩いてるところが、熊谷に似ている。

日本の接客でよくあることなんだけど、客が外国人で日本語が通じないのかかわらず、このときも店員はマニュアル通りの日本語で話しかけていた。

だけど、彼らに通じてるのだろうか?たとえばタイとかでも、タイ語など現地語の判らない客には、何かしらの英語は使う。タイ語でマニュアル通りの話なんてまずしない。

日本では英語は学校で習ってるのだから、下手でも何でもいいから英語で話せばいいのにと何だか聞いててじれったくなって、割って出て英語で話しかけたくなってきた。それでも小さい子供に手を振ってる店員がいい

私の場合、UberEatsの仕事で海外からのスポーツ選手など日本語ができないお客さんには、臆することなく英語で話すし、英語メッセージを入れる。そしてユーモアやジョークもたっぷりいれまくる。とはいえネイティヴの人から見ればドヘタクソな英語だけど、英語で取引成立すると達成感がある。実に面白いし、なにより自分が海外に行った気分にもなれる。相手にとっても日本語じゃ理解できないわけだし。

天気の問題もあって、明日には盛岡近くの矢巾町のキャンプ場につきたい。しかし陸前高田の道の駅の施設で見落としたところがあって、それが気になってしかたない。奇跡の一本松も近くから見てなかったし。

釜石からどこへ行くか悩んだ結果、そのまま陸前高田に戻ることにする。三陸道で行けばすぐだし、いったん盛岡に来てから陸前高田に戻るとお金も時間も大変なので。

インドの時もそうだったけど、結局二歩進んで一歩戻るような旅になってしまって情けない。
キャンプ地は、とりあえず、来るときに見かけた道の駅に泊まることにする

しかし道の駅・三陸は、トラックのエンジン音がうるさく、通行人や車などもくるので、いつものように周辺の適地を探し回った結果、ちょうど道の駅近くの裏の道の行き止まりが静かでとても良かったので、そこにテントを張った。朝早く撤収するので張ってもよかろう。

朝 紅茶ゼリー ごかぼ
昼 もうかざめ生ハムにぎり ふかひれスープ ふかひれ茶わん蒸し
夜 昔ながらのハムカツ弁当 たこ焼き串
宿  道の駅 三陸 外れの空き地
走行 204km

498 total views, 1 views today

スポンサーリンク
336×280
336×280
  • このエントリーをはてなブックマークに追加