ケニア第二の港湾都市モンバサから、いよいよ今回の旅の目的地・標高1700mのケニアの首都・ナイロビに行きます。
その日の宿は、この旅で一番の安さだったが、どんな宿なのでしょうか?
2月20日
8:05モンバサのローカルなホテルで起床、そのまま部屋でパソコン使ってデジカメ編集。朝食はビスケット。
今回のアフリカの旅は、ケープタウンからナイロビまで行くのが目標だったため、ナイロビに到着すれば前半戦が終わったのも同然。ケニアどころか東アフリカを代表する大都会のため、期待が高まる。
10時出発。
海よ低地よさらば、な風景
モンバサの近郊には、はやくもオバマロードと名付けられている。なんとも気の早い。
12:37、72kmすすみ、Sambaruサンバルの村。沖縄のヤンバルのような地名である
休憩のため村の中のハエまみれの狭い茶屋を見つけ、チャイをしばく。
チャイは1ぱい10シル(15円)もう1杯おかわり。
この茶屋の古さ加減と言い、まるで気分は江戸時代の旅人。
日本だったらサービスエリアで自動販売機の缶コーヒーを飲む感覚か。
モンバサやマリンディなどの海岸地帯に対して、ナイロビなどの高原地帯はUplandというが、アップランドに向けて進むにつれてゆるやかに標高も上がっていく。
14:50 Voiボイ到着。標高585m。
ボイで昼食にする。ウガリ(ンシマ)、ビーフフライ、そしてドクターペッパーのような清涼飲料水。このほかに玉子焼き。いつものローカル食で、210シル(315円)
ここまで来るとウガリは、南アフリカ諸国とはもはや形も違う。
ボイはモンバサから156km、ナイロビへ357km。なので東海道に例えると、まるで味噌かつきしめん定食を食べている感覚か?
その後さらに進み、このあたりでモンバサとナイロビの中間だろうか。ナイロビ方向はあいかわらずゆるやかな上り坂がつづき
モンバサ方面を振り返ると、眺めのいい地平線。
日本にはない、ゆるやかに昇る一本道は、
インドのチェンナイからバンガロールのデカン高原の道と、
アルゼンチンのブエノスアイレスからメンドーサまでのパンパの道を思い出した。
そして、ケニアらしくシマウマも発見。
17:30、MtitoAndeiの町。標高775m。
1泊225円!一番安い宿の泊り心地は?
そして19:30、ナイロビまで170kmの町Makinduに到着し、この町に泊まる。
宿にチェックインした後は、宿の近くで夕食。チャパティ45円、ソーセージ45円、玉子焼き60円。チャイ22円
その宿は Makindu Balozi Silent Lodge 150シリング
今夜はこの旅一番の最安値の宿だった。ドミトリーでもないのにこの値段は安い。
標高975m。ひさしぶりのひんやりとした夜。ずっと海岸地帯にいたので、まるで夏が終わり、秋が来たようだ。中庭で薪で沸かした熱い湯をもらい、体を洗った。
これが225円の部屋。質素だがわりとしっかりしている。シーツはそこそこ清潔だったかな?
「サイレント」と言う名前に惹かれて即決したが、他のロッジはバーを併設してうるさいので、純粋なロッジのみのここはサイレントだと言いたいのだろうが、国道沿いなのでホーンなどうるさいし、他の安宿同様、他人の話し声が耳障りだった。
でも他の宿に比べればすこしはサイレントだし、なによりこの東南部アフリカの旅で最安値。
翌朝の写真。屋根はトタン、扉は鉄製と、まるで倉庫みたいだった。奥に共同ケニア式バスルームがある。トイレは、穴があるだけのケニア式。
なお、ほかの街道沿いの町や村によってはSilentと名のついたロッジやゲストハウスがあるので静かに泊まりたい人はそこに泊まるといいでしょう。
走行355㎞
2月21日
7:40ごろ起床。この旅で最も安い宿・Balozi Silent Lodgeで目ざめる朝。標高935m、気温27℃。
外観はコンクリート100%な見た目なため、国道沿いから見ると、宿というよりも機械修理場のような見た目である
ナイロビまであと170㎞なので、午後には楽に到着できる。治安の悪いナイロビなので、夕方以降の到着は禁物。
マキンドゥの町には大きなシーク寺院がある。誰でも気軽に入ることができる。
インド(パンジャブ)から来たシーク教の人は世界中に住んでいるが、とりわけケニアには多く住む。インドとは、海を挟んだ隣国ということもあるかもしれない。
インドそのものの寺。なお、ダーバ(食堂)などに入る前に、真ん中にある布で、頭を覆わないといけない。
無料の食事はどんなものか?
シーク寺院で食事をいただく。
カレー、チャパティ、アチャール(漬物)、ヨーグルト、ビスケット、バター。これぞインド風ベジタリアン。まさにインドのカレーと同じ味であった
無料で食事できるが、とても気分良く食事できたので感謝の気持ちを込めて100シリング(150円)寄付した。
キッチンなどを覗くと、現地の女性のほか、旅行の合間に手伝いに来ているのか白人女性がいた。
なお、2015年にはシーク教の総本山寺院にて、その時も無料の食事をもらったので、その時の様子はこのリンクにて。
ナイロビまであとわずか
ナイロビに向けて出発したが、工事だらけでひどいダートを通らねばならず、スムーズに進めない。
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11:50 エマリの町 標高1125m。ピラミッドのような屋根のマサイ式建造物
そしてナイロビからあと60kmあたりでものすごい大渋滞。なんと通れる幅が、両側たったの1車線分しかない、砂時計のくびれのようなひどい有様なのだ
片側は工事中だが、見ての通り、う回路の砂埃がひどい。
この道路は、首都ナイロビと、国際的玄関口の港町モンバサを結ぶ東名高速のようなケニアの大動脈だ。なのにこのエリアがまだ全然整備されてないのは、きっと政治的圧力などがあるに違いない。
しかしナイロビから15kmほどになると、両側8車線分もある広い道路になる。どうなってるんだこれは。
都心まであと15㎞。遠くにナイロビの摩天楼が見える!
そして、ついに大都会ナイロビ到着!
ついに、今回の旅の目的地であり、南アフリカ以来の近代的大都会であるナイロビに到着したのは、15時50分ごろだった。
しかし、今夜泊まるナイロビの安宿・ニューケニアロッジ(NKL)は物凄く治安が悪いところにあり、死にもの狂いで走る。
通りからいきなりワッと何十人も現れて取り囲まれて、いきなりすべてを強奪されたら・・と思うと気が気でなかった。
しかも!こんな時に限って、よりによってパンクし始める。大ピンチ!!
とりあえず下町の自動車用品店で空気を入れてもらう。店員や客の表情も明るく親切でほっとした。なんだか、思ったより凶暴なところでは無さそうだ。
こうして、ニューケニアロッジに到着したのでした
朝 寺院の無料食
夜 チキンカレーライス 262円
走行191km