4月14日
9時半ごろドミトリーの部屋で起床。疲れが溜まっていたようだ。気温19度。
朝、コヒマの街に出ると、日曜日なので教会帰りの人々が目に付く。礼装をしているので、アフリカのウガンダあたりでもそうだった。
いまの宿は静かだけど、ほかにもっといい宿がないか探してみる。オーロラゲストハウスはまあまあよさげだったが、500でバスルームなしで、道路にめんしてるため騒音は避けられない
てことで、セントラルGHに連泊する。ドミだけど安いし、道から外れた住宅街なので結構静かだし。荷物持ち歩いて引っ越すのは大変なのだ。
宿のだんなさんとかが戻ってきた。旦那はタキシードネクタイなし 奥さんは緑のドレスという正装。きっと教会から帰ってきたのだろう。 手にはKFCのフライドチキン。いかにもクリスチャンの日曜日。写真撮りたかった。
14時ぐらいまでは雨がじゃんじゃん降っている。雨音聴きながらひたすらPCで更新作業。その後はやがて雨もやみ、やっとやっと昼食に出かけられる。
昨夜と同じ食堂でチキンライスを。ようはチキンカレーだった
パックマンなレストラン
チキンカレーと塊になった御飯を手づかみでくってると、まるでアフリカ・ザンビアあたりでウガリを手づかみで食べてる時を思い出した。
ザンビアもナガランドも、英語が主要言語で、クリスチャンが多い国と、共通項は多い。
英語で会話や意思疎通ができるのと、神を信じる人々。手づかみで食べる人々。
そんな10年前の過ぎ去りしアフリカのことを思い出した。
ナガランド人のルーツは中国?
しかし、現地ナガランドの人の会話を聞いてると、言語は英語と現地語だが、現地語は、イントネーションがあまりに中国語っぽいのだ。しかも中国人のようにデカ声でしゃべるので、まさに中国の方言を聞いてるようだ
そしてある人たちは英語で会話していたが、かなり現地訛りがきつく、聴きとりにくかった。
夕方から晴れてきたので、間髪入れずに撮影しに行く。部屋にいるのはもったいない。コヒマの町を歩き回った。
歩き疲れたら、茶屋で休憩。10ルピーのチャイをしばく。お菓子などはインド本土とほぼ同じか。
部屋に戻ると、蚊が何匹かいる。かといってドミなので蚊取り紙を燃やすわけにもいかないし、部屋が広いので意味がないだろう。
蚊帳をつけてほしい。そうすれば顧客満足度は上がると思うのにな。
朝 コーヒー20 チャイ10
昼 チキン&ライス140 チャイ10
夜 ナチョス(ドンタコス)65
宿 Kohima Central GH Dorm 300
走行 0km
4月15日 目指すはインパール
11時半出発。コヒマは今日も雨だった。シロンと同じく標高1400mの山岳気候ゆえに天気が悪い日が多く、肌寒く、気分ガタ落ちのなかコヒマを脱出。
そう思ってたら、しばらく進んだら雨も止んできた。むしろお湿りがあったほうが、砂埃が舞わないので、その点はいいかもしれない。
ディマプルからコヒマの極悪道と比べると、だいぶましになったとはいえ、時折悪路になっている。
ナガランド州からマニプール州へ
ナガランド州からマニプール州へ入ったからと言って、山の中とあってか、ほとんど違いはない。
ナガランド側の国境門。フリーパスでマニプール州に入る。マニプル側はとくになし。
書かれてる言語は英語だし、建物や風景や民族の顔立ちも、ぜんぜん違いもない。
それまでは村の入り口のゲートが部族的なデザインだったけど、マニプルになると、それがなくなったぐらいか。グリーンランド文字っぽいマニプル文字が看板などに時折併記されている
マニプルの人々
近年まで鎖国状態だったナガランドと比べ、マニプルはメインランドのヒンズーインド人も多々見かけるようになった
インドとミャンマーと二次元
しばらく進んだ食堂で、ミャンマー製品を発見 ひまわりの種は30ルピーだとか。
そのひまわりの種には二次元キャラが描かれていた。
なつかしの二次元ものに、自然と心がいやされた。
というのも、インドの場合、アニメや二次元などの萌え的なものは全くなく、インドの製品はパッケージはちっともかわいげのないイラストだし、ヒンズーの神やら、くどくて気持ちの悪いイラストのものも少なくなく、日本人からすれば理解に苦しむものばかり。
なので、二次元キャラを見かけると、なつかしの日本・アジアをかんじるのだ
インド男は濃い顔にヒゲ。インド女は濃い顔に独特の化粧。
なのでインドとミャンマーは全然違う!ミャンマーまではタイや中国や日本などの混じったアジア圏なのだなと、心から実感した。
インパールまであと60㎞というところに、標高1050mのセナパティという町があり、宿も何軒かある
時間が無ければここに泊ってたとこだが、まだ時間があるのでインパールまで行く。
セナパティを過ぎると、山のくねくね道から快適な一本道が続き、80km/hぐらいではしれる。
山里の風景が、会津の田舎を思い出す。
標高も1000mを切ると、少し暑くなっていく。そんななだらかな下り道になり、やがて標高780m前後の平坦なインパール盆地が広がる。
マニプルの州都インパールは、てっきりコヒマやディマプルぐらいの小都市規模だと思ってたが、市街地が広く、山奥からくると思った以上の大都会に感じる。人口は26万と、甲府と同じぐらい。
市の中心部には濠があって、街の間隔的に四国の松山を思い出した、ほかにも自分的には静岡市やチェンマイあたりといったところか。
マニプルの北部ナガランド付近はキリスト教圏だったが、インパールまでくると、ヒンズー教が幅を利かしてるのかナガランドに比べてインド中央部とそんなに変わらない。
人々は、インド本土人、アジア系のマニプル人、その混血、と言ったところか。
インパールと言えばインパール作戦。インパール郊外に日本人慰霊碑があるが、戻った時に見ることにする。
インパールのホテル到着
今宵はちゃんとした格のある大きなホテルに泊まっている。一番安い部屋で800ルピー。交差点に面してるので多少うるさいが、防音面はそれなりに確保してある。
ホテルは中央の建物
夕食はごほうびにルームサービス。ここまでの道のりは極めてハードだったので、地味にうれしい。たまにはぜいたくもいいな。
ノンベジターリー(フィッシュカリー)は、御飯がなんとどんぶりいっぱいで出てきた。めしの半田屋よりも多い。でも朝も昼もろくに食べずハングリーだったので、腹いっぱい食べれるのはうれしい。育ち盛りの中学生のように食べまくる。
ホテルのルームサービスだからどうせごはんも少なめだろうと、別途エクストラでロティも3枚頼んだのだが、大盛のどんぶり飯のあとにロティはさすがに全部くえないので、残ったロティ2枚は明日の朝食に回す。
最近、時間の都合上、朝と昼はちょっと間食程度の2食と、夜に1食ガッツリめいいっぱい食べるというパターンになっている。
異質なる街
そういえばホテルじたいは快適とはいえ、
この町に長居をするような雰囲気ではない。
なぜなら、
このホテルは銃を持った若い警備員がいるし、ほかの町よりも兵士の姿も多かった。
インドの中央から遠く離れ、人々もアジアに近いマニプル。その場所柄、独立をめざす武装勢力が跋扈しているせいか、チェックインの際、住所を細かくチェックされたり、外に出るときも部屋番号は?などと言われたり、ことあるごとにかなりチェックされた。
ライフルを持った警備員に「部屋をチェックします」と言われたり。今までに感じなかった、どこか不気味な雰囲気感じがした。
PC作業をしていると、気が付けばもう0時になろうとしている。時がたつのが速すぎる。勘弁してくれよと本気で思ってしまう。これからシャワーを浴びて洗濯もしないといけない。あっという間に寝る時間だ。
洗濯したりなんだりで、あ、もう1時だ。早い早い。夜の室温26.5℃。
街の中心部ということもあるけど、この時間なのに、クラブからの重低音や、外から叫ぶ声が聞こえる。他州とちがって武装勢力などで治安が悪いせいか、どこか不穏なものを感じる。このインパールの街も用が済んだら早く出たい。ブッダガヤに戻りたい。結局3時半に寝る
朝 ナチョス残り ネスカフェ紙パックコーヒー・ヘーゼルナッツ味250ml 30
昼 ビスケット10 マンゴジュース125ml 10
夜 アイスクリーム20×2 Maaza750ml 40 スナック菓子トマトマサラ味 5
ノンベジターリー(フィッシュカリー、ダール、ライス、生玉ねぎ)120 ロティ10×3 Tea20
宿 Imphal Hotel Tampha #412 800
走行 157km