アッサムから念願のナガランドへ!日本人に似たナガ族が住むこの地は、つい何年前かまでは旅行者は立ち入ることができないほどの秘境だった
4年前の一周時に行こうと思ったが、日数の都合で行けなかったので、自分にとってなんとも訪れたいところだった。
4月12日
7時50分ごろ起床。野宿なので暑さで目が覚める
すぐそこのGSに戻り、オドモスを洗い流す。4年前インド一周した時も、野宿した翌日はそれが朝の日課になってた。さっぱり気持ちいい。
昨日できなかったPC作業は、野宿した野原に戻ってやろうと思ったが、GSの店員と話してるうちに、休憩スペースを借りることができたので、そこでする。朝のチャイまでいただく
日記を書いていると、店員が覗き込んでくる。デリカシーがないかもしれないが、とにかくなんでも好奇心旺盛なところがまさにインドだ。
かといって私もそういうやたら好奇心の気質なので、日本では浮いてしまうぐらいだ。
だから理不尽なことがありながらも、こうしてなんとかインドを旅してるのだと思う。
今日の目的地は130㎞先のディマプル。いよいよナガランドだ。
ダボカまでは快適な片側2車線のハイウェイだったが、ダボカからディマプルへの国道は、ガラッと田舎道になり、やがて悪路になる。
その穴ぼこと砂埃だらけの道は、ビハールの道に似ているが、道幅が広いのと、交通量が少ないのでまだマシだ。
60㎞進み、バカリアという町で昼食。アホリアではない。
食堂にメニューはないので、しょうがないのでチャイだけをたのみ、近くでお菓子などを買って持ち込んで食べる。近くの商店の人に聞くと、バカリアというよりかは実際はボカリアというらしい。
しばらくすると、何人かの軍人が入ってきた。かれらはコマンドー部隊とあって、みな大柄で屈強だ。口数少なめにターリーを大盛で食べてる風景は、まさに質実剛健・百戦錬磨で、こうして今日のインドの国防を担ってるのだなと感じられる。
牛乳売りのおじさん
さらに進むと、アッサムの端のほうなのでさらに道が悪くなる。
これでもアジアハイウェイなのに・・
人々もナガ系つまりアジア系の顔立ちとなり、教会が点在している。ナガランドに近い。
ナガランド到着
アッサムからナガランドに入っても、いまやチェックも何もなく、フリーパス。
ナガランドに入ると、英語のみになる。ゴアと同じである。
インド的なアッサムから、アジア的なナガランドへやってきた。すっかり感無量
入るとすぐにディマプルの街に入る。教会が目に付く。ナガランド最大の商業都市で、コルカタやデリーを結ぶ鉄道もある。
ここまでの道は、アジアハイウェイとは思えないほどの穴ぼこと砂埃だらけのめちゃくちゃな酷道で、この先に本当に大きな街はあるのか?とすら思ってたのに、いざディマプルの中心部はドーンと街並みが広がる。これだからインドは面白い。面白すぎる。
アメリカから伝道されたキリスト教がほとんどを占めるナガランド州に入った途端、アメリカンテイストあふれるカラフルなアートが多い。もはやインドではない
何軒か当たり、リージェンシーにチェックイン
名前は立派だけど、一番安い部屋は、地下駐車場にある部屋のため、蚊とゴキブリだらけ。蚊が多いからと蚊取り線香をもらったが、使ってみると煙くさいだけであまり効果はなく、いつもの蚊取り紙を燃やす。寝る前にもう1枚燃やしたら充分蚊は来なくなった。
ブータンほどではないがナガランドも基本禁煙州だ。メガラヤ州はなぜか喫煙マナーがインドの他州にくらべ格段に悪かったが、ここでは吸う人はとても少なく、その分快適。
夕食のため外へ出る。ファストフード店に行くと、closeと言い出した。まだ19時前なのに。インド極東部は、異常に夜が早いことを知る。なので夜はゴーストタウンのようになる。
代わりに夜の屋台が点在し、フライドチキンなどを売っている。揚げたゆでたまごやチキンバーガーなどを食す。マンゴジュースも750㏄をあっという間に飲んだし。きょう飲み食いしたものはどれも高カロリー高コレステロールだ。いかんいかん。
朝 ストロベリーケーキ5 チャイ(いただきもの)
昼 チャイ10×2 ポテチ10×2 チョコケーキ10 チョコパイ10
夜 あげ玉のような天ぷら10 揚げゆでたまご10×3 チキンバーガー30 マンゴジュース750㏄ 40
宿 Dimapur Hotel Regency 106 500
走行 145km
4月13日
うるさいディーゼルエンジンの音で8時ごろ目が覚める。耳障りだと思ってたら、ホテルの発電機だった
東京の大使館で取ったインド半年ビザなので、90日間までに一度出国する必要があるため、(今思うといったんモレーからミャンマーに入っても良かったかもしれぬ)4月30日には必ずコルカタ近くのバングラデシュ国境の町につかないといけない。なお、大阪領事館だとそのルールはないらしい。死ぬほど理不尽だけど、ビザに明記されてる以上、しょうがない。
新元号最初の日の記念すべき5月1日は、人生初のバングラ初入国だ!
なんともタイミングがいい。そうなると元気が湧いてきたぞ。
発電機のおかげで電気が回ってたが、それが落ちると同時に部屋は真っ暗になった。
朝洗濯しても、屋上に干しておけば、チェックアウト前には渇く。
屋上から見るディマプル。なぜか町中砂埃でいっぱいだ
正午にチェックアウト後、ホテル内のレストランで昼食。30分ぐらいかかるというので、その間PC作業。
ナガランド料理であるPork&Bamboo Shootsというのを注文。豚と竹の子の中華丼風の汁で、あっさりしててうまい。ポークもチャーシューの味だった。感激。ただ、御飯はついてないので、チャパティ3枚を注文。満足の昼食。
どうしようもない街と、壮絶なアジアハイウェイ
13時半ごろ出発。たった80㎞なので、悪路で1時間で20キロしか進めなくても、夕方には余裕で着けるはずだ。
ディマプルはちょっと中心部を外れただけで、まだ街中だというのに未舗装のダートで砂埃が舞いまくる、どうしようもない街だった。まるでアフリカなみのインフラレベルである。
地元の女性ですら覆うほどの砂ぼこりのひどさ
そんな街でも日本人そっくりのナガランド美人がいたりする。
そしてディマプルからコヒマという、ナガランドの二大都市を結ぶ道路は、全体の1割ぐらいしか舗装されてなく、あとは全部ダートという、ビハールとは比べものにならないほど極悪の道だった。何もかもが壮絶に汚れる。
ノーヘルで棺桶のようなアルミ箱を載せた西洋人エンフィールダー
とくにトラックが前にいると、黒い排気ガスと砂埃で全く前が見えない状態になり、マスクをすべきだったと後悔。
しかし、パリダカのような荒れた道のため、走るうちに闘志が燃えに燃える、まさにアドベンチャーな道なのである
ダライラマ的チベット人顔のおじさんと、沖縄のおばあ的なおばさん。
標高800mあたりになると、ほんのりすずしくなり、ジャケットのチャックを閉める
標高890mあたりに露店などがあり、休憩。ジュースで一息、コヒマまであともう少し。
これが10ルピー
18時ちょうどに、州都コヒマ到着。インドの東端に位置するので、この時間でももうまっくらだ。
出発してからコヒマまではスマホでGoogleマップでバイクナビとして使っており、ディマプルの町を脱出してからはナビ不要なので外してたのだが、その後もバックグラウンドでナビされてたせいか、街に入ったころ取り出して使おうとしたら、バッテリー切れになってしまった。
コヒマは標高1400mとシロンと同じ標高の町で、山間の狭い街並みもシロンと共通するが、コヒマはシロンをうんと小さくしたような町だ。中心主要部は歩いて回れるほどだ。ダラムサラのように、丘の上に住宅街が点在する。
早速宿探し。パインホテルは高いので問題外。ローカルホテルのGalaxy hotelは部屋のみ500、バスルーム付きは800と高く、しかも混雑してうるさそうなのでパス。
そして、central guesthouse は、壁に「ようこそ!!」と書いてある。
とはいえ出てきたねえちゃんが愛想もない対応だった(最初は)。
部屋が900と高く、バストイレなしの700が空いておらず、ドミトリーが300なので、ドミにとまる。だんな曰く、日本人もよく泊まるとのこと。夜景がきれいだ。
ただ、外国人も多く泊まるというのに、あろうことかホットシャワーがない。(ただし翌日、バケツにホットウォーターを持ってきてくれた。20ルピー。)
そしてドミトリーのセキュリティーも不安が残る。神経質な人はドミはおすすめできない。
夕食は近くのM restaurant という食堂。150ルピーのビーフライスを食おうと思ったが、切らしてるので、代わりにフィッシュライス。デリーで魚の骨が刺さったのに懲りずに食べる。
ナガランドのカレーはあっさりしててうまい。やはり人種も食文化もインドというよりもミャンマーなどのアジア寄りだからだろう。実際ナガ族はインドとミャンマーと国境を越えて住んでいる。インド中央部のカレーは、インドオブインドなので、味がどぎつくてやたら塩辛くておいしくないことが多かった。
ドミの同室の人と話す。インド人の若者で、一人旅をしている。インドの旅行者というと団体で騒いでるイメージなので、珍しい。夜の室温19℃。
朝 水
昼 紅茶10×2 ポーク&バンブーシューツ150 チャパティ10×3
夜 フィッシュライス150 チャイ10
宿 Kohima Central GH Dorm 300
走行 82km