ここは、もはや地球ではない。
生物の存在しない環境なので、月や火星のような惑星である。
宇宙に近づいている。
マラングルート 出発~山頂~ゴールまでの全行程 70km 標高差4025m
5800mの世界
登りのときは暗闇で気づかなかった、
ギルマンズポイントの看板。
おや?
この下には石板がある・・・・・・?
石碑を見ると・・・・・
「Mr.Kunimatsu and Mr.Saotome」
日本人の名前である
てっきり、キリマンジャロの登山中に亡くなった邦人なのかなと、その時は思っていた。
しかし、2016年の今日、写真をよく見ると・・・・
割れた石板に enturous Cyclists .とかかれており
これはもしかしたらアドベンチャーサイクリスト・すなわちJACCのメンバーではないかと思い
調べてみたところ
この二人は、ともに、自転車で世界一周しており、
1981年に旅の途中でたてつづけに交通事故で亡くなっている。
国松輝男氏: 1977年1月出発。1981年6月にトルコで交通事故死
早乙女次男氏: 1980年6月出発。1981年7月にカナダで交通事故死
そして、「umi Furutani ima Japan」
と書かれているのは、
古谷彰史氏(広島)で、1985年8月から9月にキリマンジャロに登頂、とかかれており、
そのときに「二人の魂」である、重い石板を背負ってBMXで登ってきたわけだ。
http://www.pedalian.com/p-furutani.html
参照元:
自転車冒険〈大百科〉― 日本一周から地球走破までのノウハウ (ヤングアダルトブックス)
思えば国松氏といえば、ガッツ石松ならぬガッツ国松というフレーズで世界一周してるのを本か何かで見たことがあった。
キリマンジャロの山頂・ギルマンズポイントから見た下界。
くりっく拡大して、写真中央よりやや下に見える四角いのが、
荷物を預け、一夜を過ごしたキボハット。
その標高差900m。身もすくむような絶景である
登りのときは極寒と低酸素の暗闇地獄だったが、
朝になるとこの通り。とにかく急な斜面だった。
無事キボハットに戻った!
朝食。食パンときゅうりスープ。
キボハット以降で使った極寒用装備。これより下山し、気温が高くなるのでインナーのフリースも脱ぐ。
キボハットを下る。
11:55 Last Water Point 草が茂り始めるようになる
これより上は、水のない世界なので、キボハットではリヤカーなどで運ばれた水を使っている。
ホロンボハットに戻った
ホロンボハットには多くの登山者がいたが、見覚えのある人を発見。
なんと、ケニア・ナイロビの宿ニューケニアロッジで会った日本人女子に再会。
そういえばあのとき彼女も「キリマンジャロに登りたい」と言っていたので
ならば一緒に登ろうかと提案したのだが、
モシに着いた時、彼女の姿は見当たらず。
後日モシにやってきて、別のバックパッカーズに泊まっていて、そこで登山を手配したとのこと。
くそ~!一緒に登りたかった。
だけど、山小屋とかが相部屋になったりするとなると、やっぱりだめか・・
そんな未練を残しつつ、ホロンボハットを後にする。
行きのときは真っ暗になっていた、ホロンボハット近くの景色。
そして、ゴール!
マラングゲートにて
汚れと疲れた顔をしているけど、無事に登頂し、下山する事ができて、とにかく感謝!
こうして、我がキリマンジャロの旅は、終わった。
しかしこれですべてが終わったわけではない。
アフリカの旅は、
まだまだ続くのであった