モザンビーク第二の都市で、中部に位置する港湾都市のベイラは、内戦とラテンの残り香を感じる町でした
2009年5月20日夕方、モザンビーク再入国。
国境から山を下ったマニカの町。そのベーカリーでパンを買う。
ブラジルで売っていたようなフランスパン風でモザンビークの主食。安いしうまい。ジンバブエであれだけ目にしたサザビーフはモザンでは、なかなかお目にかからない。
さしずめイギリスからポルトガルに入国したのような変化振りだった。
国境を越えただけで食習慣まで変わるのが不思議で、かつおもしろい。
これだから海外ツーリングは最高なのだ。
マニカからはChimoio(標高520m), Gondola(480m), Inchope(125m)の町を行くにしたがい、標高も下がるので寒さも和らぎ、微妙に空気もぬるくなっていく。しかし夜更けなので、寒いものは寒い。
ジンバブエとベイラと首都マプトの国道分岐点の村・インチョペに着いた。
モーテルにいくと、実際はタンザニアだったら400円ぐらいで泊まれそうなボロいお粗末な部屋だが、ここでは1100円ぐらいする。
ジンバブエだったら同じ値段で御屋敷の一室に泊れたというのに、そんな部屋にとても対価は払えんので、中庭でキャンプしていいかと訊ねたら、タダで張らせてもらえた。感謝。
トイレなどは汲み置きの水。
走行250㎞
5月21日
6時5分起床。テントの周りを、薪などを頭に担いだ村人が黙って通り過ぎる。村の朝は早い。
テントをかたずけ、荷物につみこむ。朝のひと仕事。準備体操をかねて片付ければ一石二鳥。
気分はイギリスからブラジルへ。デザインもラテン風の派手目になる。
7:20、インチョペを出発。
海が近いので、のびやかな低地が拡がる。ジンバブエとはもう世界が違う。
そしてベイラ到着。海だ!
「Jazz」から「Bossa Nova」の似合う町へ
ベイラでも有数のホテル、SavoyHotel 1400円にとまる。ひさしぶりの「ホテル」!
レセプションも広く落ち着いた古い雰囲気で、手ごろな値段でなかなかいいホテル。扇風機、蚊帳あり。豪華な朝食付き。
しっかり洗濯も忘れない。
館内禁煙(モザンビークは法律で建物内などは全面禁煙。)共同トイレはホットシャワー。
昼は静かだが夜はバーからの音で少しうるさい。でも安宿ではなく、れっきとした[ホテル]なので結構落ち着く。今思うとモザンではお勧めのホテル。
荷物と単車をホテルに置いて、さっそく町を歩く。
晩秋の肌寒さで地味に震えていたジンバブエと違い、海岸部のベイラは暑くもなく寒くもなく、ちょうどいい最適な気温。
夜の気温は24~25度ぐらい。今が一番いい季節。
ジンバブエはよそ行き顔で、モロに南ア・英国風だったのに対し、モザンビークに入ると建物がラテンポルトガル式、そしてアフリカ(タンザニア的)っぽくなる。もちろん言葉も代わる。食べ物だって変わる。国境を越えただけで文化や形式が変化するのが面白い。
ジンバブエのハラレでは、いかにも洗練された気候で、ジャズがぴったりの街並みだったが、レトロで海と潮風もあってゆるふわな空気のベイラは、ボサノバがぴったりである。
実際、ベイラで聴いてたボサノバの中でも、とりわけこの曲はよく聴いていた。
so nice (試聴できます)
そういえば、ビーチ沿いを走ってると、
前の車は、Joaoなんちゃらと書かれている。
これぞジョアン・ジルベルト。もうテンション上がりまくり!!
モザンビークでインド料理!
モザンビークは総じて宿代も高いが、食事も高くて不味くていやになってくる。
ベイラでも食堂や安飯屋のようなのは見当たらず、庶民的なレストランに入っても、スープとパンだけで20m(72円)ちょっとしたメニューだと安くても234円と高い。しかもまずい。
そんな感じで、食べることに欲求不満なので、その日の夕食は、インドレストランに入る。高い店なのか、私一人しかいなかった。
テレビは定番のボリウッドではなくモザンビークの番組だった
海辺の町なので、えびカレーを注文。カレーだけで540円ととても高いが、えびも入ってものすんごくうまいので、御飯も2杯216円もおかわりする。
ストレートチャイ36円。
792円もかかってとても高かったが大贅沢。
インド人もとてもフレンドリーで大満足のディナーだった
このところ、アフリカの荒波に揉まれ過ぎてウツ気味だったので、
満足な食事でちょうど良かった
インドとモザンビークのつながり
インド料理がある通り、ベイラはインド人も多く、インドとモザン・ポルトガルの結びつきは深い。
わずかに残る旧ポルトガル的建物の雰囲気と海のある景色が
同じく旧ポルトガル領だったインドのディウに似ている。
インドのディウの写真 Diu(クリックすると拡大します)
最近建てられた公共的建物。それぞれディウとベイラ
「夜の料理」を味わえ!
次の日の夕食は、スーパーで発泡スチロールに入ったピラフ32円を買ったが物足りず、ホテルを出て屋台を探してみることに。
夜になると意外に屋台(というか、ただ道端で作っているだけ)が出ていた。
遠くには、他のアフリカではなかなか見かけない、けばい夜の女があつまっていたが、ジンバブエのハラレとちがって、女たちはみな太っている上に、渋谷のヤマンバギャルのような、呪いのようなメイク。
しかし屋台ではみんな質実なおばちゃんがつくっているが、その食事は:
サラダ(キャベツとトマト少々。マラウイと同じスタイル)と、パンで36円。
炭火焼き鳥、骨だらけで1本36円
砂糖をごっそり&練乳も入れたチャイが18円(でも36円出したら、お釣りくれなかった。練乳入れてるからしょうがないか。)
スパゲティもあって、どんな風につくってるのか興味があったのでのぞいて見ると、麺が適度なかたさになってもゆでつづけ、水が少なくなって煮詰ったような感じの上にチキンブイヨンらしきものを入れた。正直おいしくなさそうにつくっている。まるで煮込みラーメンか。
こんなのびきったのはいらんと思ったけど、やはり食ってみたいので半分だけでおねがいした。なので72円払う(普通なら126円だが)
半分でも量は日本の8~9割ぐらいか。思ったよりまずくは無いが、やっぱり少々硬い方がいい。
ソースは牛のダメ肉を煮込んだものに、トマトとたまねぎを切って追加して煮込んでいる
そういえば、キリマンのキボハットで出されたスパゲティーもまずかった。人がつくるのより自分で作った方がよっぽどいい
屋台では、12歳ぐらいの少年が手伝っていたが、音楽が流れるとステップはせず器用に踊りだしている
彼の格好は黒いジャケット上下に、ポロシャツの襟を出していて、ジョン・トラボルタのようだが、だけど靴ではなくびーさんなのが笑える。
でも見かけによらずわざわざ椅子を出してくれたりして、とても気が利く少年だった。
つづく。