そこはあまりに危険なため、ガイドブックでも「旅行者が決して入ってはいけない場所」となった、ナイロビの下町とスラム。
そこで見た驚きの実態をしるします。
スラムの中の市場
まずは、2009年2月に撮影した、安宿ニューケニアロッジ(NKL)近くのスラムエリアについて。
この時は一人ではなく、宿の仲間と何人かで行った。
なぜ日本人がわざわざそんなところに行くかというと、そのスラムの中の市場には、日本にはないようなファッショナブルな古着などが激安で売ってたりする、知る人ぞ知るお宝エリアだったのだ。
特に市場の中を撮影するとなると、カメラは出せず、危険と隣り合わせのため、仲間を撮るふりをしてスラムを撮影したりなど、苦労した
スラムの商店では、やっぱりこの人が。
市内に戻ると、りっぱなモスクが建っている
スラムの市場はラオスにそっくり
ナイロビのスラムの市場を歩いていて気づいたこと。それは、アジアの市場とよく似ていること。
ケニアの首都ナイロビの市場と、ラオスの首都ビエンチャンの市場。この泥臭い雰囲気がじつに似ている。あと、中米ニカラグアの首都マナグアの市場もこんな感じだ
これがナイロビのスラム市場
ビエンチャンの市場
見ての通り、かなり似てるとおもいます
3月17日 スラムの中の学校
以前、ウガンダの学校でお世話になった、校長のカマウ氏。
カマウ氏はウガンダの学校のほかに、このナイロビのスラムにも学校を持っている。
きのうは、私がウガンダからナイロビのニューケニアロッジに戻ったその日に、あとからカマウ氏ともう一人のスタッフも到着して、再会。
そして本日、カマウ氏たちと、ナイロビスラムの学校に行く。
といっても、カマウ学校は完膚なきまでのローコストと現地主義のため、NKLからはタクシーなぞは使わず、現地の人と同じようにマタトゥ(乗り合いワゴン)に乗って、近郊のスラムの入り口まで行く。
そこからずっと歩くのだが、小川や線路を越えたりして、スラムの大通りに来た。
スラムというと、活気と雑音に満ちているようなイメージだが、ここは正反対で、車やバイクは全然通らず、日本の住宅街に準ずるぐらいの静けさだった。
スラムの売店 スラムの中のコンビニである
スラムの食事
途中、我々はスラムの掘っ立て小屋の粗末な食堂で昼食にした。
当然現地の住民しか入らない店だ。
Bhajia Ugali Mix ビーンズと野菜の煮物と、ウガリ。これで25Sh(36円)
そしてミルク入りチャイが、たったの5KSH(7円)と激安だった。
同じナイロビでも、チャイの値段が場所によってガラッと変わる。
ニューケニアロッジ近くの行きつけのカフェでは、チャイは2倍の10(14円)
そして高層ビルのオフィス街では、10倍の50もする。それでも70円だけど。
スラムで見た白人グループに唖然とする
そんなスラムの掘立小屋で、我々が現地人にまじって、現地人のように食事をしていると、目の前の道に何人かのグループが通り過ぎた。
そのうちの一人のアングロサクソン風の白人女が、なんとビデオカメラをかまえて撮影しながら歩いていた。
まるで観光地のようにスラムを大っぴらに撮影するなんて、
こいつら何を考えてるんだ!?
と思ったが、
驚くのはこれだけではなかった。
女のすぐ後ろには、ブルゾンちえみのように
銃を持った2人の警備員を従えていたのだ。
もちろん、日本人でも、同じように露骨にカメラで撮影しながら歩いてたら、悪党から狙われていただろう。
自分もスラムを撮ってたので、人のこと言えないにしても。
だからといって、後ろに警備員従えて威圧しながら歩くというのはどういうことか。警備員がいれば、何をやっても許されるのか。
このグループは「アフリカの貧しい人たちを救うために、ナイロビのスラムの実態を撮っている」と言うのかもしれない。
だけど、撮影に抗議するスラムの住民が詰め寄ってきたら、問答無用で住民を撃ちころすのか?
そんな日本では全く想像できない、あからさまに矛盾した「偽善」が非常に不快だった
このグループが業務で撮影してるのか、半ばお遊びの物見雄山で撮影しているのかはわからないが、これが業務だったら、現地の黒人カメラマンが撮影すればいいわけで、わざわざ目立つ白人女が撮影する必要も無かろう。
一瞬のシーンとはいえ、そんな上から目線の何様ぶりに、我々は見ていて理屈抜きで憤慨してしまうのであった。
そして、このアフリカのスラムで見た、上から目線の偽善と矛盾という現実は、自分の人生観に着実に影響を及ぼしたのだった。
スラムの学校に到着
カマウ氏はウガンダの学校のほかに、このナイロビのスラムにも学校を持っている。
しかしその学校にたどり着くと、ウガンダとちがって、学校も、生徒もどこか活気がなかった。
その理由は、日本人が、治安の危険な都市のスラムに建てた学校となると、やはりウガンダの田舎以上に問題やいざこざが絶えないのである。
そのひとつとして、学校内に事務所(?)の小屋があるのだが、現地の悪党・ギャングに乗っ取られて入れなかったのだ。
そんなもろもろの諸事情のため、学校からの帰りは私一人だけで帰ることになった
カマウ氏は「たびいちさんなら一人で歩いても問題なかろう」と判断したのだろう。
ということで、カメラを中に入れて、一人、スラムの大通りを歩いた。
帰りはほとんど手ぶらに近い状態だったし、きょう一日のあまりのスラムの出来事で達観した部分もあってか、その後は不思議と緊張感や恐怖心はなかった。
それどころか、歩いてるうちにスラムの住民が、仲間に思えてしまうのだ。
そのかいもあってか、沿道のスラムの人々の表情も、温和に感じた。
こうして歩き続け、無事、市内に戻ったのだった。
まとめ
こうしてスラムを歩いて撮ってきたものの、
ナイロビの下町やスラムは旅行者には決してすすめられないし、だれでも入れるようなところではない。
しかしあまりにも理不尽で常識を超えた世界を見てしまったので、その後の自分の人生で影響を及ぼすのでした。