国内ツーリング・アーカイブ 1995~2006 長野・静岡

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きのうはバイクの日!

そこで 当サイトのPVの低いツーリング記事は、この1か所にリストラしました。 とにかく長いけど、読むうちにあなたの心も温故知新!

真冬の信濃路Ⅰ 昭和の地下鉄と、健康センターは本当に健康的なのか?

このところ毎日寒いですね。

毎日冷たい風が吹き、日向の雪は全部融けても、道の陰などにはかなり残っている、

そんな状態です

そこで、ちょうど10年前の2006年1月23日~24日まで長野に行ってましたが、

その旅をパワーアップさせて振り返ります!

このとき10年前も、今年の1月下旬同様、とても寒かった。

それではタイムマシンに乗った気分でお楽しみ下さい

以下、2006年1月23日の日記より

11時45分、埼玉の自宅を出発する。

寒気が流れてきたのか少しにわか雪になったが、すぐに快晴になってきた。

小型バイク・GN125Eで、一路、長野へ。

17号バイパスの看板には、「ドライブイン・のび太」

うどん・定食・・・・

・・・・・・うどんがのび太!

謎の建物・それがパチンコ屋。

バブルの頃は、新興宗教のようなエキセントリックな建設物がまかり通っていた時代。

良くも悪くも、金も元気も精力もパワーもあった、あの頃は。

これより群馬県

埼玉県から群馬県へ入ると、今度は謎の中国物産店が現る

高崎までくると典型的な冬型の天気なので、埼玉では快晴だったが、群馬では雲が出ている。これより北は雪が降っているのだろう。

妙な形をした妙義山。車は、ゲレンデ帰りなのか、車の雪が融け切らずくっついている。そんな車を見るのも群馬ならでは。

これより軽井沢への峠が始まる。標高300mあたりから道端に雪が見られる。

これより長野県

標高1050mの入山峠。これより長野県

群馬を出て軽井沢に入るととても寒い!標高1000m、昼間でも-4℃で、軽井沢は、空は晴れているがとにかく寒い。

長野に入ると急に雪があたりまえに残っている。長靴姿で歩いてる人を良く見かけました。

長野県内を通る車はどれも薄汚れてしまい、つららをくっつけて走っている。

少し走っただけなのにちょっと違った世界(大げさに言えば別の国?)に来た気分がして、日常の生活を送っている身としては真夏の静岡以来の久しぶりのロングツーリングに新鮮。

この70年代風のマンガの看板が、いい味出してるね

軽井沢から長野へは、少しずつ標高が下がる。

電光掲示板の気温は-0℃と表示。 マイナス0度?

セルフ給油。外国人の利用も少なくないのか、Dieselなどと英語が併記されている

夕方前に長野市内に着いた。やっぱり寒い。この冷酷な空の色。昼間でもすごく寒いし夜はもっと寒い。東京あたりとは別世界だ。

昭和のような地下鉄駅

長野電鉄・市役所前駅。

長野市街地は地下鉄風の構内なのに、きっぷ販売機とIC非対応の改札が、じつにローカル線。

東京の地下鉄になれてる人は、この駅で昭和にタイムスリップすることうけあい。都会と昭和が混ざる不思議な空間。

この旅の目的は、長野市に住む友人を訪ねにきたのだが、あいにく平日は多忙だった。

なので、その夜は友人に教えてもらった、一晩2800円の健康センターに泊まりました。

現地の人にとっても、憩いの場でもある。

いろんな温泉もあるし、大部屋のリクライニングルームでは、寝ることも出来る。外は氷点下なのにここではなぜか支給されたアロハを着て大部屋で打っています。

その大部屋にはテレビスタジオのように各チャンネルのテレビ放送が(NHKとかテレビ信州とか各局民法)が流れている。長野のローカルでローコストなCMが実にいい。アイスホッケーリーグのCMもやっている。

ちょうどその時は月曜の夜。丁度あのホリ〇〇ンが逮捕されたときだったので、特報のため6台あるテレビのうち3~4台は〇〇エモンの顔がデカデカと映っていた。

もう社長人生断たれたんだからホ〇〇モンではなく、ドザエモンだね(笑)

ノートPC持ってきたが、やっぱりここでは無線LAN使えず。

ということでテレビ見ながらノートPCで思いついた文章かきかき&ゲームピコピコである。

後ろの方では流行の GBミクロをピコピコやっている男もいた。

大部屋なので他人の鼻息とかが耳障りなので、2時半ごろ眠りに着いた。家で寝るほうがはるかに快適だけど、野宿するよりはマシだし、たまにはいいかな。

自分が20歳ぐらいの時は宿泊費を切り詰めて意地になっていたので、こういう寒さの中でもアホみたいに野宿とかしていたけど、今では健康センター、いやどうせ一泊だけなんだから奮発してビジネスホテルに泊まってもいいかな、という考えになってきました。

自分の考えも大分変わってきたのかな、と思う今日この頃。

健康センターは本当に健康的なのか?

氷点下の中で長野まで来たので、凍えた体に、浴場の温泉はもう格別だ。

「あったまるううぅ」

しかし、温泉を堪能していると、

なぜか女の声が聞こえた。

男湯のはずなのに、なぜか女の声が聞こえた。

すると間髪をいれず、

なんと女が入ってくるではないか!

こっちはフ〇チンだというのに!

しかも彼女はフィリピン人風かブラジル人風の、太った外国人のおばさんだった。

浴場の奥に韓国風アカスリコーナーがあるのだが、彼女がアカスリ嬢らしい。

外人女性が男湯でマッサージサービス??

ここは健康センターなのに。

しかも韓国風なのになぜかラテン風の女性だし・・

国も性別もでたらめ!

さすがにここは健康センターだから、いわゆる「スペシャルマッサージ」はないだろうけど

(と信じたい。笑)

それにしても、なぜ女(しかも外国人)が男湯でマッサージなんてやるだろう。

きっと誰もおっさんの汚い垢なんか取りたくないから、

人手がないから外人女性を雇った、という感じだろうか。

それにしても、外国人である彼女は、

入浴客の魔羅やゴールドボールが揺れるのを見て

カルチャーショックをうけなかったのだろうか?

それでも当の彼女は、日本の慣習の運命だとあきらめてるのか、

けぶる湯気の中、普通に準備していたが・・・

健康センターは表面上の健康的な響きとは裏腹に、

客や経営者側のドロドロした思惑がうごめくディープなスポットだと思う。

つづく

そして、10年経って、振り返ってみた。

まず気になるのは、群馬の中国物産店。

あれから中国も変わったわけだが、10年経って対中問題が極めて悪化してる中

ただでさえやつれた店構えだったのに、いまあの店はどうなってるのだろうか。

そして健康センターのテレビで見た、ドザエモンがつかまったニュース。

10年経ち、いまなおふてぶてしくネット界に君臨中である。

そういえば当時、ある高校生がどさくさ紛れにドザエモンのフグリを触った話が

話題になってたけど、彼はいまどうなったのだろうか?

相手が女性だったらまぎれもなくチカン・わいせつ罪になるけど、

勇気を出して大物の「金」を掴んだのだから、ちゃんと金持ちになってほしいものだ(笑)

真冬の信濃路Ⅱ「県庁の図星と軽井沢の女子高生」

ちょうど10年前の2006年1月24日。あなたは何をしていましたか?

ちょうどそのとき、長野に行ってましたが、その旅を振り返ります!

それではタイムマシンに乗った気分でお楽しみ下さい

以下、2006年1月24日の日記より

長野市の健康ランドと言う宿泊施設で迎えた翌朝。

これが、若き日のたびいちでございます。

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出発するときは常夏アロハーマンから極寒防寒重装備ライダーに戻る。

厚着なので動きがとりずらい。ガンダムの気持ちが判るような気がした。

外に出ると、雲に覆われて粉雪がうっすら降っていた。気温は、-5℃。

気温が低いのでさらさらの粉雪。神秘的。だからここまで走った甲斐があったのだろう

ちょうど半年前に静岡の海岸に行ったときはもう夏MAX!!だったけど、

雪国長野で迎える今回は冬MAX!!

そのあと長野県庁に行った。

有名なガラス張りの知事室が見たかったからだ。

その名の通り本当にガラス越しに知事室の中が見える。

夕べもここに来たが、知事室前のホールでは新聞とかも読めるし、一応無線LANが使えるので、

知事室の隣でノートPCを開いてメール打ったりネットやMixiのチェックをした。

それも知事席からわずか数メートルのそばでね。

雪が降る外とは対照的に暖かく、自分的にはかなり居心地がいい。

今朝、知事室では円卓を囲んで会議が開かれていた。

新党日本の党首でもあり、怪著「ペログリ日記」の著者でもある知事(旧)をあっけなく発見。

会議がひと段落すると、知事(中央に座ってる人)や、他の人たちは持ち寄った昼食を食べ始めた。

そして、しっかり胸にやっ〇ーのマスコットをくっつけてるところにかわいげ?があっていい。

・・その一部始終を、まるで動物園のように眺めたのであった。

そんな知事を見ながら〇〇エモンの記事がデカデカと載った新聞を読むと、

元ライブドア社長と目の前の長野県知事の両者は、紙一重という気もしなくもないが・・

よく見ると、知事室の会議用の円卓は、

子ども図書館からもらってきたような机と椅子と言う、かわいらしさ

公僕である知事がムチを振るってインディージョンズのパクリをやっている痛いポスター

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だけど社会科見物気分でとても満足した県庁を後にし、長野駅前を歩く。

正午あたりからまた急速に晴れてきた。

長野市内は日本海側と太平洋側の天候の境目らしいので

目まぐるしく天気が変わりますね。

駅前は雪が結構つもっているが、8年前長野五輪のときに来たときは暖冬だったので、

駅前にはほとんど雪なんて無かった。

そんな今年の雪の中でも、カブやスクーターに乗ってる人が多いのにはビックリ。

カブのタイヤにチェーンを巻きつけて走ってるのも見かけたし、

缶コーヒーのみながら余裕な顔してカブで走っているのもいた。

こっちは転倒するまいと必死こいて走っていたのに・・負けた。

18号や市街地の大通りなどはロードヒーティングや融雪剤のため走行はそんなに問題なかったです。

午後1時ごろ、長野を出発。長野市内から南へ30kmの上田まで来ると道端の雪がうんと少なくなる。この辺までくれば日本海側の雪雲も届かなくなるのだろう。これより先は空はくっきり晴れている。

路面凍結もある道路なので、この看板はシャレにならない!

夕暮れ前の軽井沢。体が震えていやになるぐらい寒い。

寒い。心の底から寒い。

だけど寒いからこそ、心の底から美しい。

道は凍ってすべるので、小学生は徒歩でもヘルメットかぶって登下校。常に危険と隣りあわせ。

そして軽井沢駅前には氷の彫刻があった。このときの気温、-3℃。昼間でも氷点下。

なので本当に寒い!

そんな極寒なのに、

軽井沢の女子高生は、

なんと

ミニスカート!

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「寒さよりも、かわいさが命!」

といわんばかり。

たしかにミニスカートを公然とはけるのは、この3年間しかない。

だから人生の限られた期間を謳歌するかのように、

マイナス10度以下でもミニスカートをはくのだ。

よく、「日本の女性は世界中でモテル」と言われているが、(実際、もてる。)

そのど根性ともいえるガールパワーこそが、世界からモテる源だった。

因みに、インドの女子高生(看護科)はこんな感じ。


峠を下り安中に戻ると、寒さも緩むと同時に、全く雪を見かけなくなる。

元の世界に戻ったわけだ。

そして長野から6時間かかって、夜7時半ごろ帰宅。

長野からすれば関東地方はやっぱ南国でした。

そして、10年経って、振り返ってみた。

現在では、知事は変わっているので、知事室も変わったようだ。

この頃から無線LAN(今ではWiFiと呼ばれている)が使われていたが

10年経った2016年の今でも、通信環境は当時とそんなに変わってはいないことに気づく。

さらに10年前の1996年から2006年は全然違う。

96年の頃は、まだインターネットすらほとんどなかった時代だ。

そして、10年前ならぬ、1年前は南国の島にいたよ

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【お宝!】17才のたびいちの旅日記「真夏の価格破壊旅 1995」

名作復活シリーズ

青臭さ万点! 青の野宿人の

ツーリングレポート

「青の野宿人」と言うのは、たびいち・アフロあきらの旧称です。

この夏の緊急企画!!

ちょうど22年前の1995年の高校時代に書いた、我が旅の原点とも言える「野宿ツーリング日記」を公表します!

当時17歳。もうオートバイに乗りたくて仕方がなかったあの日。

その理由は、私のような運動神経ダメダメ人間でも、オートバイに乗ればカッコいいし、そしてどこまでも遠くへ行ける!

だから受験勉強そっちのけで、バイク雑誌をオニのように読みまくり、1995年4月、17歳の時に勝手に自動二輪中型限定免許(現・普通二輪免許)を取って乗り回すまでになった。

二輪中免を取得と同時になぜか中古のスズキGN125Eを購入。

理由は、中免とったとはいえまだ若造で、運転もヘタで、金が全然なかった。

アメリカンスタイルなのに何故かアジアンテイストあふれる渋いスタイルと、燃費抜群、維持費も50cc並という経済性に惹かれたのだ。(高校生なのにえらい所帯じみてた)

日曜日になると、朝4時に出発して、日光や湘南方面を日帰りツーリングしていたほどの精力ぶり。あの頃は乗ること自体が未知への旅に燃えていた。

しかし当時は学校の目を逃れて単車生活を謳歌していたので、もちろんおおっぴらには乗れないし、友だちともバイクの話すらできなかった。

そして高校最後の夏休み。

自分にとっては処女航海とも言えるツーリングに挑戦した・・・・!

※雑誌・月刊モーターサイクリストに掲載された文章をそのまま書き起こしました。

だから若気のいたりと思われる文章もありますが、気にしないでね♪  

だけど、雑誌に掲載された時は写真もモノクロだったけど、ついにカラー写真で完全復活!

さらに充実したので是非御覧ください 

1995年8月 9,000km走行。静岡市にて撮影。ベンチの上でシュラフで寝た 2002年2月 72,000km走行。錆びて色あせてる老体だが現役だー!

        


 懐かしい街を訪ねて 真夏の価格破壊旅

月刊モーターサイクリスト 1996年3月号 掲載

スズキGN125E(’89年式)

 青の野宿人 18歳  

      

価格破壊車ボルティーをさらに縮小したような愛車GNで、一泊とはいえ野宿旅をするのは初めてだ。行く先に静岡方面を選んだ理由は、見どころも多いだろうし、昔、親の転勤で、清水市日立町で暮らした事があったから。懐かしさと不安と希望を抱きつつ、発動機に生命を吹き込む——。

日立町を目指して

<1995年8月9日>

朝6時30分出発。本当は、これより2時間早く出るつもりだった。だが日帰りではないし、まあいいだろう。

R407を進み、途中、東松山図書館前で荷物を積みなおす。GNのリヤシ-ト後ろのキャリヤには、トランクをつけている。これが便利で、日帰りくらいなら、これだけで充分だ

R407を走っているうちに、「あそこ」と書かれたホテルの看板を発見。思わず単車を止め、写真を撮ってしまう。まったく、彼女がいないからこんなことができるのか?

入間からR16へ。相変わらずトラックが多い。トラックに囲まれながら、アリみたいに走る。

東京都に入りしばらく進むと横田基地が見える。渋滞していたので、基地を眺めつつスリ抜ける。中はアメリカそのものという感じだったが、「YAKITORI」と書かれた露店を認めて「日本伝統の味が、米軍を占領した。万歳」とヌカ喜び!?

8時30分頃八王子に着きようやくR 20に入る。そして大垂水峠へ。

ここは休日には、125cc以下のバイクは通行禁止。平日なので通れたが、なぜ125cc以下は通行禁止なのか。

ローリング族が峠にタイヤの跡を残している。跡を見ただけで4輪とわかる。しかしなぜか2輪が通行禁止になっている。

しかも原付2種は、攻めるようなバイクは少ない。実用的なバイクが多い2種でさえ通行禁止になるのは、実に愚かで納得がいかぬ。

そう思いながら、相模湖を見つつ水筒の茶を飲む(夏に冷茶は最高だが、中身が空になると、水筒はただの荷物になってしまうのである)。

   
鳴沢氷穴の最深部。地獄穴は、ふさがっている感じだった

狙撃手のアジト発見!?

9時50分ごろ大月に到着。ここからはR139で富士吉田を通り富士市に向かう。

富士吉田に着いたのは10時30分。富士山は毎年7月25日に登山競争が行われる。ここは裏富士の玄関口にあたる、山梨県で第二の都市である。

そんな街で、私は狙撃手(スナイパー)のアジトを見つけた!が、アジトのくせに、市街地の道路沿いにある!?

その建物の名は「ゴルゴ13」・・・ならぬ「ゴルゴ」。つまり実を言うと、古本屋の名前だったのだ。

これがR139沿いの”スナイパーのアジト”だ!? もちろん「ゴルゴ13」も売っています

「ゴルゴ」に入り、暇つぶしのための本を買おうと思ったが、店内には誰もいない。どうやら、店主は狙撃に出かけたようだ(大ウソ)

富士吉田を出て、精進湖方面へどんどん進む。

途中、鳴沢氷穴というのがあったので単車を止めた。入場料は190円。期待しながら中に入る。

たくさんの客がいて少しずつしか進めないが、とても涼しい。最深部に入るとますます冷え、氷柱がそびえ立っている。温度計を見ると2度Cしかない。1年中、気温は一定だという。5分くらいいたが、身も凍えるような寒さではなかった。

30度C近い差のある外へ出ると、真夏の光を浴び、ジワジワと暑くなる。この温度差だからこそ、私は大満足。

氷穴を見た後は、樹海の中を走る。やがて小さめの湖が見えてきた。精進湖だ。

さらに走り、静岡県に入って間もなく、富士宮道路へ。

料金所前にPAのような施設がある。そこの食堂で ”あさぎりうどん” というものを注文した。朝霧高原にちなんだものだろうが、他の天プラうどんなどに比べれば、220円と安い。

出来上がったのを見たら、思ったとうり、うどんのほかにはネギしか入っていない。味は250円の「山田うどん」(注・埼玉にあるうどんのチェーン店)よりも数段劣る。

私は「山田うどん」の回し者ではないが、ぜひ、寄ってみてはいかがかな。

若い女性とオニごっこ

富士宮道路は、高原を通っていて、まるで北海道のようだ。牧草地帯なのでクソだめの中を走る感じもあるが、通行料は50円ですんだ(2輪は210円。ちなみに私は原付2種友の会 №124である)

県境から25kmぐらいで、ようやく富士宮市の市街地についた。富士宮市は広かった。

次は富士市だ。新幹線の新富士駅の下を通って、R1に出る。

この道は車線が多く、流れが速い。信号も少なくて、高速道路にも似ている。せっかくなので、こちらもガンガン行くぞ。

今まで、山や高原を走ってきた。今度は海を見ながら走る。じつにバラエティーに富んでいる。当然ペースも速くなり80~90km/hぐらい。実に快感だ。気持ちええ。

と、そのとき右の車線から、さらに速いクルマが追いかけてきた。白黒のクルマかと思いきや、水色の丸みを帯びたクルマでほっとした。乗っていたのは若い女性だった。

そのクルマが私のそばを通りぬけるのを見て、「女には負けん」とばかり追従する。パワー全開じゃ。

しかし実用車のGNは、せいぜい100km/hしか出ない。彼女のクルマはあまりに速く、すぐ視界から消えていった。

「さすがスゴいぞ、静岡の女は」と思いつつ、駿河湾が望める興津のドライブインの駐車場で水筒の中身を飲む。現在、午後2時。清水はもうすぐだ。

懐かしき土地を回る

R1から、港通りのR149へと進路を変える。

途中で単車を止め、清水港を見る。すごい規模だ。外国船が出入りしている。遠くに三保が見える。

この港からの輸出額 №1の製品は、なんと2輪自動車である。近年、ずっと1位らしい。改めてすごさを感じる。

2時50分(某芸人の名前とはちゃうで)やっとのことで無事、清水市日立町に到着。どこで野営するか考えた。懐かしき土地なので、いろいろ回ってみる。

10年ぐらい前とあまり変わっていないようだ。市街地の方へ行くと、ビデオ屋やコンビニが出来ている。ただ、単車で移動したせいか、街全体が小さく感じてしまった。

途中、図書館に寄る。さすがにこの街らしく、”次郎長コーナー”というのがあった。

その後、あの有名な「ヤオハン」(ウチの近くにはないが)の最上階にある「寿がきや」でラーメンを食う。約10年の間に80円も値段が上がっていた。だが、港を見下ろしながら食うのはじつに格別だった。

清水から静岡市へ向かう。JR静岡駅近くまできたところで、細い道に入ってしまった。この先は通行禁止。それに気づき、即エンジンを止めて歩道へ移動する。なんと、ポリスマンが先で見張っていたのだ。

私の前を走っていたスクーターの男子高校生は哀れにも通行してしまい、笛で呼び止められて、”御用”。

私は安堵の息を漏らした。このときは本当に冷や汗をかいていた。

公園での初めての野宿

初めてのキャンプでいきなり野宿というのはつらいので、貸しテントのある梅ヶ島のキャンプ場で泊まろうかと思ったが、山奥にある静岡市梅ヶ島までは45km。これは遠すぎる。

静岡市は、駅前だと池袋に似た都会だが、奥まで行くと3000m級の山(赤石山脈)がある、バカデカい市なのである。

キャンプ場はあきらめ、清水港へ行こうといったんは決めた。だが高波もありそうだし、暗そうで怖い。結局、静岡市の中心にある常盤公園で寝ることにした。

噴水が、奇妙な鉄琴音と光に合わせてショーを演じている。時刻は8時をとうに過ぎている。サラリーマン、家族連れ、カップルが多数、そしてベンチで横になっている自由人の方達。夜だが、えらいにぎやかだ。

適当なベンチを見つけ、その前に単車を止めて、寝袋に入る。

暑い。もうちょっと薄い寝袋にすればよかった。大体、まだ寝る時刻ではないので、金がないけど、夜の街へ繰り出すことにした。

しばらくして、また公園に戻って寝ようとする。家の中だと、夜中でも30度を越えるぐらいの超熱帯夜(家中の熱がこもってしまうから)だが、外はだいぶ涼しい。

しかし間違った寝袋のために暑苦しく、そしてかゆくなってきた。そんな時はウナコーワ。体中に塗る。

午後11時30分ごろ、叫び声が聞こえた。外国人の家族連れが遊んでいるのだ。「ウルサイナ、ボケ」と思ったが、彼らの場合だと、”時差ボケ”なのだろう!?

公園の水道で脚や腕を洗うと、とてもさっぱりした。

それにしても、カップルがイチャついている。2時間くらい前からずっとだ。彼らは堂々と乳房をまさぐったりしている。

約2名の除きの人とともに、私も堂々と拝ましてもらってるうち、寝てしまった。

本日の走行・・・309km。

三保の松原には、この衰弱した”羽衣の松”のほかにも、砂防林としてたくさんの松が植えられていた

悲惨な海水浴場

<8月10日>

朝7時30分に目覚める。日差しがきつい。だが、初めての野宿にしてはよく眠れたと思う。

両替町のコンビニで朝食の後、「ベッド」に戻り片付ける。今日は三保の松原と、風呂代わりに海水浴場へ行くぞ。

8時30分出発。R1からR149で三保に向かう。朝の港を走るのはすばらしい。まだ早い時刻なので、先に松原に行く。

天女が羽衣を掛けたという松は衰弱し切っていて、何本かの支柱によって支えられている。海を背景に、この松は寿命を「待つ」のか、と考えた。

あと、フランス人能楽師の碑というのを見る。戦前、三保を舞台にした能をヨーロッパ各地で演じたが、彼女は結局、あこがれの三保の地を踏まぬまま、パリで息を引き取った、と書いてあった。

現在は海外旅行は容易になったが、その前に日本の各地を旅行して、日本のいろんな文化などを知ってほしい。まだ、すばらしいものは日本にたくさん残っているはずだと思う。

三保の先っちょのあたりに、真崎の海水浴場がある。客もけっこういた。

ここで泳ごうとするが、焼き付いた砂が熱い。「アチョチョ」と叫びながら海に入ると、今度は岩に付着したフジツボのせいで、その上を歩くとクソ痛い。よけようとしてバランスを失い、体中が切り傷だらけになった。

しかし、これからがもっと悲惨なのだ。

もう一回泳ごうと、今度は沖のほうへ出た。かなりの深さになり、足を底に着こうとしたその瞬間、激痛が走った。断末魔の叫びを上げながら、狂ったように岸へ泳ぐ。

足の裏には、トゲが3本も刺さっていた。しかも、一本も抜く事が出来ない。5円玉をあてがっても取れず、30分ほど格闘したが、ムダだった。結局、招かざる「土産」を持ち帰る事になった。

日立町に戻り、子供のころよく遊んだ鉄舟寺の裏山に行く。この山道を登ると日本平に着くのだが、忌まわしきトゲと疲労のため、すぐにあきらめる。

歩くと痛いけど、単車に乗っているときには支障はない。帰路を急ごう。

価格破壊の旅成功

12時30分ごろ清水を出発。昨日通ったR1を、平均80km/hで進む。箱根のあたりを回って帰ろうかとも思ったが、天気も悪くなりそうなので、往路と同じ道で帰ることにした。(このほうが近く、自然も楽しめる。)

富士宮市を走行中、「100円ラーメン」の看板を認め、すぐに引き返した。

中華料理「龍園」というR139沿いの店で、中国の音楽が流れる中、頭ツルツルのおっさん(香港映画の悪役みたいだ)が厨房で、中国語で会話している。これぞ本物だ!

ラーメンのほうは、塩味を主とした本場の味。木曜だから100円になっていたのだろう。午後1時30分ごろですいてたし、最高の昼食だった。

この後、ルパン三世のエッソで、初めてハイオクを入れた。5L入れれば、十分家に着く。

ところが、GNにハイオクを入れたら詰まったような走りになった。やっぱり実用車には高級ガソリンは似合わないのだよ!?

ノドが乾き、ジュースを買おうと思ったが、郵便局に入り、冷水器の水をたらふく飲んで、すぐに局を出る。旅の恥はかき捨てだ。

富士の樹海を走っているうち、だいぶ眠くなってきた。このままではスーパーマンみたいに空を飛ぶ。身の危険を感じ、河口湖町の「ヤオハン」の硬いベンチで寝る。よほど眠かったのか、すぐに眠れた。

30分後に目覚める。午後4時になっていた。後はどんどん先へ進みます。

しかし東京都に入ると雨が降り出し、高尾あたりで強くなった。

降ったりやんだりして、横田基地当たりでまた強くなったのでコンビニで休み、7時10分ごろ再出発。

午後9時、自宅に到着。価格破壊の旅は成功した。

本日の走行・・・288km。

後記(誓いのスピーチ)

これからは、野宿、倹約、単独で日本一周、世界を放浪したい次第であります。

データ

全走行距離 597km    燃費 43km/L 全費用 2064円

( 内訳 ガソリン代 615円、 食費 1155円 有料道路代 100円 氷穴入場料 190円 )


そして、感想(2005年当時)

・・・・・・以上、当時の高校のときに書いたレポートを一字一句、忠実に完全に書き起こしたわけであります

価格破壊・・1995年の流行語でもあります。まだ今からだとつい最近の事なのか、懐かしいのかわからない、微妙なノスタルジーでございます。

ただし、あの頃は誰ひとり携帯持ってる高校生がいなかったのですよ。

もちろんインターネットなんてほとんどナイチンゲールな時代。

(その代わり現在から見るとめちゃくちゃお粗末な「ポケベル」が流行っていた・・・・・・・ ^^;)

数十年かかった情報技術の進化が、最近では数年で済んでいるので、高校時代を振り返ると自分ではまだ高校時代のままの若さだー!と思っても、結果的にはまるで年寄りになった気分で、恐ろしいほどです。

今でこそあきらは、「小型バイク世界一周の男」ということですが、まあ、昔はこんな事もやっていたんですのう~。

そして!2017年8月現在の感想

価格破壊・・当時ダイエーが39円でコーラを売り、ボルティーという国産250ccバイクをたったの298000円で売っていた、1995年の流行語でもあります。しかし2017年現在だと、立派なノスタルジー。携帯どころかスマホやタブレットの時代ですしね。

それでもガソリン代も安かったし、龍園では100円でラーメンがくえた。景気に余裕のない2017年では、いくらプロモーションでもいまや100円でラーメンはありえない。

私も40になろうとしているので、若き日の旅を振り返ってみると、あのころは気づかなかったけど、とにかく元気がありまくってたなと思う。

なぜなら、いまや日帰りツーリングのためにもはや朝4時に出発なんてバイタリティはもうありません。

これから逆に22年後になると、61歳なので、もっとダメダメのヨボヨボになってることでしょう(笑)

22年ということは、もはや一世代分、時が過ぎたわけですが、当時の自分にとって、2017年の夏に自分が何をやってるのかなんて、思いもよらなかったです。

ということで、

これからもたびいちドットコムでは

「過去と現在を行き来」します!

これまでの過去の経験が、あなたの肥やしになるように。

ちゃんちゃん

Lat. 36゚08’N 「長野・群馬・初冬の御荷鉾林道オフロードツーリング」

Lat. 36゚08’N

写真も絶景。アフリカへの第一歩となる、さわやか林道ツーリング。 

そういえばドリ〇ムの曲に「Lat.43N」というのがあって、なんて理数チックなタイトルだろうと思っていたものだ 
ちょうど12年前の2004年12月11ー13日。これから寒くなる季節、ジェベル250XCがあるのでオフロードを求めて御荷鉾林道(みかぼ)を走りました
長野県臼田から田口峠、みかぼ林道、長瀞、R140,荒川の土手を経由して、自宅に帰った。
まさに36度08分線を横に走るルートでした

このルートだと山を越えるので直線距離の割にかなり時間がかかりますが、交通量が全く無いので、車の後ろを走りつづけるようなストレスを感じなくていいですわい
一気に走って4時間38分 167kmかかりました

田口峠からの眺め

山のてっぺんの稜線の上を走るみかぼスーパー林道。

ガードレールのあるところが最上部分で両方向から下界を見わたせる

その稜線上から富岡市街を眺める

標高が上がり、ダートから舗装路になり50km/hぐらいでワインディングしていたその時、一瞬後輪滑ったな、と思った瞬間
視点が変わり、ジェベルもろとも横に滑っていく自分がいました
原因は薄く凍ったアイスバーン。その名の通りバーンとこけました

だけど見た目は気付かないほどの路面の微妙な凍り方だから本当におそろしい。
舗装路のほうがかえって危険だった。

こけた時はMotoGPのロードレーサーのようにコース上を滑るようにこけ方なのでニープロテクターやジャケットがちょっとボロボロになりましたが、衝突することなくスライディングだったので打撲とかは無く、今は痛みも治りつつあります
オーストラリアの5万キロですら、かすり傷一つ負っていないのに。くやC!

アフロあきら、痛恨のコケ!

 N36.07.32.5 E138.46.22.4 標高1264m GPSより 塩ノ沢峠の手前

この地点で転倒したのですが、道路が白く削れた跡が深く残っています
暇な時訪れてみてください(笑)ああここでアフロはこけたのか、なんて現場検証しながら


 

現在、御荷鉾林道は長野側よりダートは6km、10kmの計16kmしかありません
98年みかぼ通った時はずっとダートだったのに。
2004年は暖冬なので標高1100mぐらいでも水たまりは凍っていなくてマディーでした

1400mを越えて日陰は霜で覆われる


このルートでおすすめ

は、みかぼ林道西の終点からさらに行って群馬長野県境にある最奥の南牧村の集落、馬坂。
長野側から山道をぬけると突如現れる幻のような集落です。
「まさか」とおもうぐらい古めかしさが桃源郷のように残っています。


まるで「日本」という国を訪れているような海外ツーリング気分だよ

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