アフリカ・ザンビアの自動二輪の店の情報と、首都ルサカからマラウイ国境までのルートについて書きます
まずは単車の話
ルサカの旅人宿・チャチャチャの中庭には、なんとロシアからやってきたアフリカツインを発見。
あいにく持ち主がいなかったので、どうやってここまで来たのかは不明。
ただ、サイドのアルミパニアにはアルジェリアとナイジェリアのステッカーが貼られてあったので、あるものはない。なんてね
ザンビアでのバイク修理について
ルサカの都心部にあるバイク店にて、タイヤ交換などを行った時の費用は、以下の通り。
タイヤ 6160円
チューブ2個 2860円
工賃 2640円
125㏄のタイヤなのに、工賃までも日本並みにお金がかかり、インドに比べると非常に高い。
チューブは1個は組付け、1個はスペアとして持った。
ザンビアのバイクの値段は?
因みに店にはバイクが何台か売ってたので値段を聞いてみると、料金は以下の通り
ZS125 GY-A 270000円 (12300000クワチャ) オフロード
ZS125-2 187000円 オンロードタイプ
DR200 374000円 ジェベル200
KLR650 770000円
中国製のZSは新車と思われるが、DRとKLRは、新車か中古かは不明。USドル払いではなくクワッチャ払いというのが意外。
ということで、アフリカをツーリングするという行為は、南ア以外ではあまり一般的ではないようですね。
にせ札事件発生!!! ルサカは苦難のデパートだった
パンクしたまま140キロの道のりを6時間かけて走り、心身が何倍も疲れながらも、首都ルサカに戻った。
しかし、ここからがもっと悲惨になるのを、知る由もなかったのである。
不自然な行動
ルサカに戻ると、宿にチェックインし、庭のすみにテントを張り、そのあと市内中心部のバイク店に行き、すっかりボロボロになったチューブとタイヤの交換をしてもらうのだが、ザンビアクワッチャが足りないので両替する必要があった。
店から両替所に向かおうとすると、ひまだった担当の中年メカニックが「わしも同行しよう」といって付いて来た。
「ついて来なくていいです」と言ったが、たしかに現地人といる方が安全かもという考えもあった。でも今考えると、このメカニックが元凶だったかもしれない。いや、グルだったとおもう。
われわれが行った頃にはすでに両替所は閉まっていた。4時半にはだいたいの両替屋はしまるのだ。メカはそれでも探し続ける。
「もういいよ、もう帰ろう。両替は明日でええがね」と言ったのに、メカは両替屋がすべて閉まっていたので、街角に立っていた闇両替と相談していた。
闇両替・・!
もし自分が一人だったら、ぜったい利用しないだろう。
ただ、現地のメカニックもいたことだし、興味はあったので話は聞いてみた
「レートは5000。100ドルだから50万はどうだ?」
といって闇は5万クワチャ札10枚、50万を差し出してきた
もちろん、ズルしてるかもしれないのでしっかり数える
よし、50万あるから両替ね、と言ったら
「待った!あと5ドルくれ」
「なんでじゃい。5ドル払ったらうちら損する。じゃあいいよ、50万返すから。キャンセルだ。サヨナラ。」
そして、100ドル札を返してもらった。
1月14日
そしてその翌日。
昨日は両替できなかったので、開いていた両替屋に行き、昨日の100ドル札を出すと、受付のおばさんは札を100ドル札をろくに見もせずに
「それはフェイクじゃないの!」
と、いきなり偽札だと決め付けられてしまい、正直むかついた。
が!!
たしかにすかしはあるけど、紙質が微妙におかしい・・・。
自分の持っている、
東京のしかも天下の銀座6丁目の両替所で交換しておいた、
本物の新品100ドル札と見比べると・・・
・・・・・・・にせ札だった。
一気に血の気が引いた。
ニセ札事件、大勃発!
顔面蒼白なこの出来事。
そうなのだ、きのう断った闇両替のしわざなのだ。
自分が両替を断った際、というかあえて断らせた際に、闇が本物とニセモノをすりかえして返したのだ。
さすが両替のおばさん。一瞬でにせ札を見分けるなんて、その道の匠だ!プロ中のプロだ!
と感心してる場合じゃないわい!
チクショー許せん!
もうはらが立って仕方がなかった
たかが100ドル、1万円足らず。人生で見ればはした金かもしれないが、もうくやしくて仕方がない、怒りが収まらない。
短期の旅行者だったらくやしくて泣き寝入りするところだろうが、こうなったら警察に行ってやる。
犯人が捕まるかはともかく、くやしさをぶつけるにはそれしか方法がなかった。
偽100ドル札で警察へ出頭
夕方警察に行くと、受付にいた女は「ふーんそれがにせ札なのね、アハハ」と、渋谷のギャルのように笑いやがった。
ばっきゃろお!これが日本だったら
「本日午前、ニセ100ドル札が発見されました。警察は偽札をわたした男たちの行方を追っています」
と6時のニュースのトップ記事になってるんだぞ!
と心が叫びたがってるんだけども、怒り心頭でにせ札を破り捨てたいと思いつつも、にせ札は重要な証拠物件なので、2Fの奥の部屋に行った
担当の若い刑事は、私服なのでそこら辺の若い兄ちゃんとなんらかわりない。
そのにいちゃんが報告書を書き上げる。
でも刑事は、「ここには電話がなく、自分の携帯から架けなければならないので、電話代が欲しい」とまで言い出す始末。
「警察には電話はないのか!携帯代ぐらい経費で落とせないのか!アホンダラァー!」と思いつつも、しかたなく電話代として2000クワチャわたす。
でもその日は結局、「今は車がないから。また明日の朝来てや」
このやる気のなさ。
もう我慢の限界じゃ・・
ルサカでは本当についていない。
しかし宿泊先のチャチャチャBPのキャンプでは、
そんな打ちのめされた男を、決して慰めたり癒してはくれなかった。
それは、夜中に土砂降り。
雨季なので蚊も猛烈に多い。テントの中も雨漏りして、おちおち寝ていられない・・
なにもかもが最悪。あまりに最悪。
ルサカでは本当についていない。大転倒、パンク、ずぶ濡れと蚊まみれのキャンプ生活、そしてこのにせ札。
絶え間なく襲い掛かる苦難と、死ぬほどのくやしさのあまり、思わず目から汗が出てしまった。
1月15日
6時50分起床。昨夜は3時半ごろになって雨も穏やかになったので、やっと寝袋をしいて寝ることができたが、寝不足。
その朝、宿から歩いて、8時40分警察へ。闇両替の現場に警察と一緒に現場検証したが、この時間は闇両替なんているわけもなく、手がかりはない。9時15分検証終わり。
被害の現場はこの写真ではないが、イメージとして・・
そのあと二輪店に行くと、見事にタイヤも新品になっていた。うれしい。
しかし、1㎞ほどして、すぐにまたパンクした!一体どうなってるんだ、呪われているとしか言いようがない。さいわい1㎞程度なので、もういちど店へ戻り、再度修理してもらう。
夕方16時半より、もう一度警察の現場検証に行かされたが、この時間にいるであろう闇両替はおらず、手がかりもくそもない。
とはいえそもそも被害は現金だけだし、よくよく考えたらスキのあった自分にも非があるし、時間だけかかるので、この件はあきらめるほかなかった。
とにかく思うのは、
スランプの塊のような呪われたルサカを早く抜け出したい。
土砂降りのテント生活に懲りたため、チャチャチャBP近くの、別のBPに引越し。ドミの中はまだ20時なのに電気消して寝てる人がいた。なので自分もおとなしく22時に寝たのだった。
13,14,15日の食事
13日の朝食 魚とチキン・ンシマ、ビスケット 253円
夕食 りんごとジンジャーエールをミックスしたようなジュース 500ml 25円
りんご22円 チョコサンドビスケット44円 カレーラーメン
走行153㎞
14日の朝食 街中の食堂で、ンシマとGame Meat(ハンティングで獲った、レイチョウ?の肉)220円
夕食 甘食型スコーン6個132円 スナック菓子11円 牛乳500ml(少しいたんでるのか微妙にヨーグルト味。はげしいゲリはしなかったものの、ほんとについてない!!)
走行20㎞
15日の朝 スコーン
昼 昨日と同じ、ンシマとゲームミート 220円 チョコアイス77円
走行75㎞
1月16日
7:45起床。洗ったジャケットとズボンが全く乾いていない。
心まで湿る。早く呪われたルサカを出たい。でも従業員がアイロンを貸してくれたのがせめてもの救いだった
この日は、ルサカ郊外に「日本山妙法寺」と言う日本の寺があるので、そこに寄る。
妙法寺は、ザンビアのみならず中米ニカラグアなど、世界の僻地にもある日本寺で、旅人の間では有名である
しかし、この時期は雨季のため、連日の雨で妙法寺に通じるダートの道は、巨大な沼のような水溜りになって行く手を阻まれており、通行不可能。
む、無念。
あとからやってきた軽トラの男が、通れないんなら運んでやってもいいぜと言われたものの、もちろんタダではなく、男は泥の地面に「K60,000」と書いていた。
そんな金(1320円)なんぞ払えないし、払いたくもないので、ことわる。引き返してルサカに戻った。
せっかくなので、ルサカの国際空港になんとなく寄って見た。
これまた昔の007に出てくるような、レトロな外観。
国際線とはいえ、大陸を超えるような遠距離の便はなく、近隣諸国のフライト程度。
昼 フライドチキンとンシマ 256円
夜 残りのから揚げ 2個 110円 スコーン11円
走行 232㎞
ジンクスを爆発させよ!600キロ一気走り
1月17日
7:20起床。今日はいよいよ、何一ついいことなかったこの町(ちょっとカジノに勝ったぐらいか)ルサカを去り、600km先の東の国境の町チパタまで一気に走る。
ルサカでの呪われたジンクスを爆発し、燃焼させるかのように、きょうはガンガン走ったる!
ルサカからチパタへの行程は以下の通り
08:20 0km 出発
09:15 46km チョンゲ村
11:20 186km
12:00 233km 村で昼食
14:12 335km ニンバ町。給油。
15:35 405km ペタウケ
16:35 462km シンダ(死んだ?おもろい地名やのう)
17:16 500km
18:47 589km チパタ到着
ザンビアの地名は、チョマとかチョンゲとかペタウケとか、とにかく脱力系・癒し系で素敵なのだ。
あ、でも「シンダ」は癒し系じゃないな。日本人には縁起が良くないね。
ルサカを出発するも、近郊の路傍の看板が面白い。
左の人かわいいので、つい撮った
ネーミングは「芸者」?
ンシマの看板。思えば家庭用品の看板のキャッチワークは天使とか「愛」とか、そして「母」が多い。アフリカ進出の際のマーケティングの参考になるかも?
それにしても大食いじゃのう。実際アフリカ人はよう食べる。
ルサカを出ると、
片側一車線の、わりと快適な道路が続く。典型的な田舎の村。
食堂で出された水は濁ってた・・・
ある小さな村についた。ちょうど正午なので、昼食にする。
ともあれこの村はラオスの田舎の村を思い出した。
ビーンズとンシマだけの質素な定食(110円)
ザンビアでは定番メニューの肉はなく、ここではビーンズしかなかった。でも向かいの屋台ではソーセージとチップスを売っていた。
なお左下にあるのは、ルサカで買ったから揚げ(2個110円)の残り。これで昼食らしくなった。
出された飲み水は濁ってた。でも飲んじまう。
不潔な水だが、病原菌に対する強靭な体を作らなくてはならない。ニセ札に負けない強い男になるんじゃい!
引き続き、国境へと進む
日本でも、戦後の闇市はこんなんだったろうか。
ザンビアの田舎で、青春。
「シンダ」にようこそ。
シンダ イズ ノット デッド!!!
こうしてチパタに到着し、何軒かの宿をあたって、ようやく一番安い宿に19:50チェックイン。
夕食はポテト33円 から揚げ88円(屋台で買った) 焼きもろこし22円。ボロボロに破けたズボン(上)いつかは処分することになる。
PC作業(デジカメデータの編集など)が残っていたので、蚊帳の中でやるうちに・・・
22:30には眠くなったので仕方なく寝る。
走行604km
朝 から揚げのこり いちごビスケット
昼 ンシマ ビーンズ
夜 ポテト33円 から揚げ88円(屋台で買った) 焼きもろこし22円
1月18日
7:40起床 室温26℃ 標高1010m ふとパソコンを見ると、画面にゴミがくっ付いているが、ただのゴミかと思っていたら、なんと傷だと知り、シヨツクを受ける。いくら閉じたままでも、激しい振動で内側にも傷がつくなんて。
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なので気分が重い。10時出発。
もうザンビアは最後なのでチパタの市場に入って、
とにかくいろんな人と話してみた。
英語が話せるってのはいい。話題は主に「小浜さん」になる。黒人が世界一の大国の頂点になるのだから、現地はそれでもちきり。お互いシンプルな会話をして気持ちもほぐれる。
最後に「Have a nice journey」と言ってくれる人もいて、おかげで朝のうちはもやもやしていたのだが、ザンビアを出国する事にはスッキリし、心おきなく次の国マラウイに向かったのだった