あなたは、初めてバイクに乗った日のことを、おぼえてますか?
30年前の1995年4月29日。忘れもせぬあの日を振り返ります。
令和7年4月29日ならぬ
平成7年4月29日は
たびいちが初めてバイクを買い、乗った日。
この日からきょうのちょうど30年にいたるまでバイクライフが続くのです
初めてのバイクは何を買ったか
その年の1995年4月の高校の春休みに二輪免許中免を取った。
某県の教習所で合宿免許だった。
二輪免許取得は、三ない運動とかいう理不尽きまわりない理由で学校で禁止されてたので、
くそみたいな禁を破ってやってきた。

なのでここに来るのは自分だけだろうと思ってたら、100人ぐらいの教習生のなかになんと同じ高校の生徒(別のクラスだけど)がいたのには、おたがいびっくり
免許の次は、中古バイク選びだ。
いまでこそグーバイクのようなネットが無かったので、本屋に行ってチャンプUという中古バイクの雑誌を買っていた。紙面にはエロ本でないのに、毎号のようにセミヌードのモデルが出てくる、今思うと不適切で奔放な時代だった。
95年当時、250㏄だと、GSX250Eや、VT250Fなど80年代の名車が10万円台で手頃だったので候補にしてたが、そのうち扱いやすさや維持費、そして燃費と乗りやすさなど妙に所帯じみたことを考えるようになる。
そもそも高校生だったし。
結果的にはなぜか125㏄バイクを買ったのだった。GN125Eという原付2種だった
でも、今思うとGNを買って大正解だった。
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1995年8月 9,000km走行。静岡市にて撮影。ベンチの上でシュラフで寝た | 2004年10月 72,000km以上走行。錆びて色あせてる老体だが現役だー! |
それは125なら250に比べると初心者でも安全で、手足のように扱えるし、取り回しも軽く、場所が狭くても駐輪しやすかったし。維持費も保険もフェリー代も50㏄並みに安い。そもそもぼったくり高速道路なんて乗らないし。
いざ乗ってみると250よりもムダが無く、パワーも使い切れるし、すり抜けしやすく肩ひじ張らずに乗れたので、貧乏性な自分にとっていいことづくめだった。
大きいバイクよりも、自分に合った無理のない快適なサイズのほうがいいと、この時思い知った。こんな狭苦しい日本では自分にとってビッグバイクはパワーを持て余してムダでしかない。
そして構造のシンプルと軽さゆえに、メンテや修理がしやすく、メカを覚えるにはうってつけだった。その後の世界の旅やバイクライフに本当に役立った。
いまGN125が大人気というのが笑った。確かにアフリカでは亜流のGNが主流だった。一周遅れで人気が出たのかも
決してバイク雑誌の表紙を飾ることなどない地味な実用車ですが、発展途上国のみならずバイクに対して目の肥えた日本のユーザーにも愛され続けています。
1995年4月29日 初めての日
GNを買った店は、SBS練馬西という店。
1989年製で、走行5600㎞で程度が良く、車両価格が11.8万円で、納車や保険などすべて込みでも14万円台だったと思う。
ヘルメット持って吹上駅から、武蔵関駅で降りて、店に行き、残金を払い、納車し、はじめて公道、しかも店を出てからいきなり都内の道に出たときは
もうすごい印象に残ってた。
それは、教習所の箱庭の道から、
いきなり問答無用のジャングルに放り込まれるのと同時に、
世界がドバっと拡がった瞬間だったからだ。
人生初めての納車と言えば、自宅にバイクを送ってもらい、見慣れた家の周辺でひとまわり練習してから徐々に遠くへという人も多いと思うけど、
自分の場合、店の前がいきなり激しく車が行きかう東京の道という、ジャングルですからね
教習所のコースとちがって当然手加減が無いので、もたもたしてるとクラクションを鳴らされたり怒られたり、変に緊張して転倒したりぶつかったりするんじゃないかという、猛烈な緊張感を味わった。
それでもしばらく走ってるうちに。乗りたて初日のかけだしのひよっこな超超初心者なバージンな運転ながら、なんとかなるようなならないような125㏄のおかげでなんとかなった
これが400㏄だったらもう大変だったろう。
とりあえず環八を走り、二子玉川から川崎のR246を80km/hで走った時も「こんなに速いなんて!」と自分の手で、今までに体感したことのない速度を出せたことが、印象に残っている。
このまま湘南の海まで行ってみようかと思ったが、めんどくさくなったのか横浜の外れあたりから途中で引き返し、R17をひたすら戻って北上し、バイクで夜の吹上駅に戻り、南口の無料駐輪場に何日かしばらく置いていた。
それが30年前の4月29日だったのである。
それからは週末になると早朝から起きて江ノ島に行ったり、群馬や日光などあちこち日帰りツーリングした
都内に行くときもGNで行っていた。ガソリンも安かったので。
秋葉原や原宿とかにもよく行ってたし、道玄坂とかでも簡単にバイクが停められた時代だった
その後もツーリング欲がとどまることを知らず、気がつけばこれで47都道府県走破してしまい、用途は単なる通勤から、北の果ての宗谷岬に行ったり、そして石垣島へ行って具志堅用高の父に会いに行ったりした。
一応アメリカンバイクなのだが、いまやどう見てもアジアンバイクで、東南アジアの田んぼのド真ん中を走っているほうが似合いそうなのも自分に合ってるのだった。
電子書籍はこちら 1998年に行った「初代日本一周」
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もうひとつの収穫が、同じGN125に乗る同志「貧乏自由人」氏との出会いだった
雑誌とネットで知り合ってからは意気投合。ともに沖縄や韓国に行ったりした。
もしGNに乗ってなければ、貧乏自由人と知りあうことは無かったろう
はじめてのバイク・別れの日
そんなGN125には、10年でも20年でも乗り続けたかったが、
手放したのが2008年9月だった。
その頃には13年も乗って10万キロ以上走り、車体中がすべてボッロボロになり、棺おけに両足をつっこんだ状態。あちこち不具合も出てきてこれ以上乗り続けるのは限界だ。GN125からNG125になってしまった。
もうすでに別のバイクも買った。
かといって初めてのバイクで、バイクの楽しさどころか人生の楽しさを教えてくれた青春のパートナーのGN125を、部品取りとして1万8000円位で出品するのも気が引けるし、廃品回収でスクラップにされるのはもっといやだ。
そこで、GN魂を引き継いでもらおうと、同志・貧乏自由人にタダで譲ったのだった
NG125な状態でなんとか貧乏自由人の家にたどりつき、その後個人売買で買ったジェベル200を二人して引き取りに行ったのだった。さよならGN。ようこそジェベル200。
形見としてもぎとったメーターは9万キロだが実際は11万Kmぐらい走った(奥は世界一周したジェベル125)
私の肩書の一つに「貧乏自由人」とあるが、
「二代目・貧乏自由人」になる。
まるで三代目 j soul brothersみたいでいいよね。
これまでの30年、これからの30年
1995年4月29日で17才
2025年4月29日で47才
2055年4月29日で77才。
そのときの30年後には喜寿になっている
その頃には健康寿命を過ぎてるとはいえ、ほどほどにバイクには乗っていると思う。
たびいちドットコムは生きている限り続けている。自分の歴史だし、ピークは過ぎたとはいえまだまだ収益も小学生のこづかいの半分レベルになってるので。これまで24年間つづってきたし、これからの30年も自分のペースで続けるのは楽勝なので、続けない理由が無い。
今年は冬にタイ・マレーシア行きのビッグホリデーをやってしまったので、今年はもう旅はしない。お金のために125㏄バイクで地道に働かなくちゃね。低収入な生活だけど、好きなバイクで自由に働けるのは天職だ。
代わりに、それまで興味なかった大阪万博が、気になってきた
それは四半世紀前にドイツ・ハノーバー万博に行ったことあるので行ってみたいが・・・
でも大阪まで行くのが大変だし、1日2日ぐらいじゃ見きれずキリないし
さいたま博みたく地元なら定期パス買うのにな

行くにはお金もエネルギーもめちゃくちゃいるので
万博はまあ行けたら行くってレベル。
来年2026年はどうするか。インド3周目とラダックに行こうか悩む
そしてはやく、2027~28年位にはVストくんをひっぱりだしてユーラシア行きたい。
1998年の日本一周したときはGN125だった そして
2024年の日本一周のVストローム250 二台並んで感無量
その頃には50代になってるが、大規模なアドベンチャーをするなら、
身体能力が残る50代のうちにやってしまうのが勝負だ。
50代後半から60ぐらいに、またもう一度南米行きたい。
あと、日本の物価も想像以上のインフレになって、円の価値がどんどん下がってるんじゃないかと思う。10年20年後には価値がどんどん下がり、海外旅がますますやりにくくなるだろう
60代になったらゆるく海外に行きたい
70代になったら人生を振り返り、
80代になったら「次の世界」への旅立ちを待ちたい。