昨年、日本中が連日大騒ぎになったタイ洞窟事件。
その洞窟に何度も入った人間は、日本人だと私ぐらいしかいないので、おかげで取材が殺到。
そして今回、インドに行く前にタイに寄った最大の目的は、事件の舞台となったタムルアン洞窟の再訪です。
タイ洞窟事件の2か月前 2018年4月
まず、これまでをおさらいすると、私が最後に洞窟の中に入ったのは、2018年4月だった。
タイの洞窟事件はその2か月後の2018年6月下旬に起こったわけだが、事件前の時は、3週間ぐらいずっとタイ最北の街メーサイにいたが、メーサイから9㎞ほどにある名もなきタムルアン洞窟には来る日も来る日も何度も通っていた。
この洞窟は「怨みを持って死んだ女性の体内」といわれてるためか、この洞窟に近づく人や、入る人はほとんど少なかった。
(怨みを持った女性というのは、事件の時に初めて知った。実際タイ人は幽霊や精霊などを信じる人も少なくないので、たしかにそのあたりだけいつもひっそりと静まり返っていたので、雰囲気が違い、妙な感じはしたが)
しかし異国の人間でそんな先入観もバイアスも全くない自分にとっては、逆に180度変わって母体の中のような安らぎを感じる、癒しの洞窟だったのだ。
洞窟内を探検したり歩き回ることによって、日本では味わえない少年のような探検心と、健康管理にも役立ったため、メーサイでの外こもりライフでは切っても切れない仲だった。
タイ洞窟事件発生 2018年6月 そして取材殺到
そして6月中旬に日本に帰国して、しばらくすると突然
「タイで少年らが洞窟で行方不明」というニュースが飛び込み、
「タイの洞窟」
といえば、もしや・・・・
といやな予感を感じ取って見てたら、見覚えのある景色を発見。洞窟の入り口の手すりにマウンテンバイクが置いてあるシーンだった
手すりを見たとき、間違いない!と実感した。ちょうど2か月前まで出入りしていた、あのタムルアン洞窟だった
かの洞窟に何十回も入った人間なんて、日本人だと私ぐらいなものなので、すぐさま洞窟の記事をたびいちドットコムに挙げるや否や、
PVが爆発的に激増し、そして思いもよらぬことに、民放テレビ局各局からの出演依頼が殺到した。
それからは出演依頼の調整に追われていたが、連日ニュースはタイ洞窟事件でもちきりで、その結果自分の顔がデカデカと全国に放映されて、あるテレビ局は高級車のハイヤーで送り迎えという、まさに有名人並みのVIP待遇となり、タイ洞窟事件の間中は、まったくもって夢のような非現実な日々だった
そして、
タイ洞窟事件の波が引き、2019年の1月にふたたびタイを再訪できることになったので、あのタムルアン洞窟がどうなったのか、ぜひ行かなくては、と思ったわけです
タイ最北の街メーサイ、そして洞窟へ
チェンマイからメーサイまで、前回2018年と同じく、レンタルしたホンダのスーパーカブでやってきた。
そしてその翌日、待ちに待った洞窟を目指す。
国道から洞窟への標識には、右下に新しい看板ができているぐらいで、特に変哲はない。
しかし、様子が変だ。
いつもなら洞窟への道を通る車は非常に少ないのに、ひっきりなしに車が往来している。
そして洞窟の入り口に近づくと・・
これが、事件前の洞窟入り口なのだが、
な、なんと、
屋台や土産屋ができるほどの、
目を疑うばかりの激変ぶりだったのだ。
それまでは、入口周辺は、本当に全く何もなかったのに。
事件後に来た人はどうも思わないかもしれないが、事件前を熟知してる者として、全くの静かな山の中だったことを思うと、これは本当に衝撃的な瞬間だった
かの事件を無駄にすることなく、しっかりがめつく観光化するあたりが、いかにもタイらしいといえばそれまでだけど。
激変したタムルアン洞窟
そして洞窟への入り口を見ると、事件以前は、たまに地元の人がバイクでボツ、ボツと通るぐらいで、いつも本当に静かだったのだが・・・
その後は、
驚くぐらいの人の多さに変わっていった
洞窟前の広場
ここもかつては全く持って何もなく、静かだった洞窟前の広場。
事件の時は、レスキュー隊員たちの前線基地となっていた。
そして、今はというと・・・何ですかこれは???
そして苦笑いしたのが、
洞窟の入り口から、洞窟前広場までの乗馬サービス。どんだけ観光地すれば気が済むのかね。
洞窟の入口
洞窟に再訪する前は、洞窟の中に少しぐらいは入れるのかと思ってたら、
入口は見事に閉鎖されていた・・・・
なんてことだ・・・
もう今後、一生、再びあの洞窟の中に入ることはできないのか
たしかに来客が全員洞窟に入ろうものなら殺到して荒らされ、年間何百人も遭難するようになると、もはや収拾がつかないだろう。
広場も芝生だったのが、すっかり枯れてひっきりなしに砂埃が舞うようになったし。
記念館と英雄像
さらに上に上ると、以前は誰もいない&何もないただの広場だったのが、あっというまに記念館と、大きな英雄像が作られていた。
少年ら全員が救助された反面、一人のダイバーが殉職した。ハッピーエンドに至らず、彼らの行いによる代償は重い。
英雄の下にいるのは、豚ではなくイノシシ。それは、今年の干支だからというのではもちろんなく、少年らの所属していたサッカークラブの名称が、現地の言葉でイノシシになるため。
記念館の中はこうなっている。トイレはまだ作り立ての匂いがした。
屋台村に戻ると
入り口前の露店で売ってるドリンク剤(カラバオ)10バーツ、ムーピン(焼きとん)などは10バーツと、観光価格ではない良心的な価格だったのがせめてもの救い。
見事に、観光バリバリなTシャツ
見ていて自分的には心からガックリ。もうこんなところ行ってもしょうがないよ・・・
洞窟への交通は、ワゴン車やソンテウ(乗合トラック)などがピストン運送をするようになった。
以前は、洞窟に公共交通だけで行くのはほぼ無理だった。私のようにレンタルバイクで行くか、タクシーなどをチャーターするか、バスやソンテウを乗り継いでその後は何キロも歩いていくほかなかった。
駐輪場には、隣国ミャンマーナンバーのバイクや車も見かけた。屋台で働く人が寝泊りするためなのか、何個かのテントも張ってあった。
サッカーユニフォームにマウンテンバイク。
となれば、まさかあの少年たちか!?と思ったらそうでもなさそう。
波及効果
そんなわけですっかり変わり果てたタムルアン洞窟。
その洞窟から2キロぐらい南にある、大きな池のある公園に行く。
それまでは、地元の人が花見のように酒飲んで泳いだりしてるような、ただの汚い池の公園だったが、
今回来るとよそからの観光客も増え、急にお行儀がよくなっていた。
洞窟事件の波及効果で来客者が増えて、そして整備されている。
ここに来ている子供も、坊さんまでもスマホを持ち歩く、スマートな時代になった。
この池の公園にも小さな洞窟があったんだけど、今回行こうとしたら立ち入り禁止のところが増えて、どこにあるかもわからかった。
はっきり言って、本当に、つまらない。
まとめ:さらば、僕の輝いていた思い出。
インドシナを沈没しながら放浪していた、いわゆる外こもり時代。
初めてタムルアン洞窟に来たのは2005年だが、ビザラン(タイビザ更新)で最北の町メーサイにずっと泊ってた(沈没してた)時は、毎日のように洞窟に行っていた。
もしあの事件が無ければ、メーサイにいるときは今年も、そしてこれからも、これまで通りに毎日のように洞窟の中にぶらっと入っていただろう。すっかり習慣になっていた。
しかしあの事件をもって、地元の人すら寄り付かないような全くの無名の洞窟が、タイどころか日本など地球規模で知れわたった。
その結果、なにもなかった洞窟から、いまや見物人が殺到する騒がしい大観光地と激変し、「自分だけの秘密基地」でもあった洞窟に入れなくなってしまった以上、残念だけど、もうここには用はなくなった。
おそらくここに来客している人々のほとんどは、事件以前は洞窟の存在すら知らなかったろうが、事件以前の洞窟を知ってる自分としては、あまりの想像を絶する激変ぶりにどうしていいのかわからず、騒がしい入口を見てると、夢を見てるような気になった。
たしかに、たびいちはこの洞窟事件を機にテレビ各局に出演して、にわか有名人になり、ギャラももらえたりで、ほんのささやかながらに稼がせてもらった。
しかし、その代わり一生涯、安らぎのあるこの洞窟に入れなくなった代償は大きすぎる。
癒された大好きなタムルアン洞窟に別れを告げるのは、本当に哀しすぎる。
だけど、それが現実だ。
さらば。思い出のタムルアン洞窟。2月14日 07:00