道北編2日目。最北端から夢とロマンを馳せます
7/14 Day138 70/33
天気:くもりのちキリ
8時起床。稚内の丘の上にある森林公園キャンプ場で迎える朝。ここにとまるのは1996年、98年、そして今年の3度目の来訪である
テントの中も21℃湿度70%と快適なので優雅に朝を迎え、ここでしか味わえない最北の空気をかみしめ、ヨーロッパ人のようにのんびり出発することに。
24年経つと北海道のキャンプ場もいろいろ変わるものだ。美深のキャンプ場は見事に老人天国に変貌したが、この稚内のキャンプ場はいまもツーリングライダーが大半で24年前と客層も設備も変わらなかった。然別野営場同様、昔と変わらぬキャンプ場だった。
飾りっ気のない本来の古き良き時代のままの正統的キャンプ場なので、バイクなどのソロキャンが多く、バイクの出入りの音がするものの、静かに過ごしていてかなり好感。無料だし。
今朝の朝食は豚丼やきそば。109円ととても安かったので買ってみたが、買って驚き。安手のやきそばとはおもえないぐらい想像を超えためちゃくちゃな旨味がある。正真正銘の豚丼の味。食材王国北海道が培ったセコマの製品は本当に味を知り尽くしてると思う。本州から来るとセコマは神に感じる。
「なぜここにテレビ局の中継車があるの?」と思ってたら、
改造されたキャンピングカーだった。
キャンプ場を後にしたのがもう13時。のんびりし過ぎと言われそうだが、それだけリラックスできたのだ。ヨーロッパ人のようにholidayは優雅に。
今回稚内で行きたかったのが、利尻礼文行きのターミナルビルとなりの、国際線ターミナルビル(稚内港国際旅客ターミナル)。
ここから樺太の大泊(サハリン・コルサコフ)の定期航路があったのだが、それが運行されなくなったいまはどうなってるのか。
そこに来ると、運航停止以来、建物の外観はきれいなままなのに、打ち捨てられたように雑草が生えている。多くのバイクや車が集まる利尻礼文航路のターミナルとは対照的だ
丘の上に今朝泊ったキャンプ場がある。キティバリアも錆び付く隣国との現実。
窓から国際ターミナルビルの中を撮った。じつは私の何人かの友人も、この中に入ってサハリン行きの手続きをしたのだ。
ああ、ここからサハリン、ユーラシア、アフリカに行きたい。
稚内を去る前にモダで給油。モダってる。看板には「安いモダ」と描かれてる。旭川から384km 15.81L、¥2637 リッター¥167 実燃費は24.3 燃費計24.7と悪いが、道北は日本離れしてるから仕方がない。
「あの人」がいない最北のMac
稚内からついに宗谷岬へ。
宗谷岬が見えたときは「やったーついについたぞーー!佐多岬から来たんだ!」と心が熱くなった!
オドメータが根室の納沙布岬では21720㎞に、そして宗谷岬では22791㎞になった。
南から北まで、鹿児島佐多岬から6608㎞、47日かけて到達したのだ!と。
ところが・・・、
いざ岬のモニュメントの前の有り余るほどのバイクの大群を見た瞬間、
本能的に一瞬で興ざめして現実に冷めてしまい、正直な感想として佐多岬ほどの感動はなかった。
そもそも宗谷岬に来たのは実はすでに3度目ということもあるし。
(写真は、自分のではなく他人のVストローム250。青色はかっこいい)
超生意気な本音になるけど、この時期の宗谷岬に行くのは誰でもできるので、ここではしゃぐのはふと小市民的な感じがしてしまったのだ。
たびいちの夢は、このVストローム250でユーラシアを経由し、
2000年に世界一周した時のイスタンブールやベルリンやパリに戻り、
さらなる野望として、2008年に行った南アフリカの喜望峰とアグラス岬にも戻ることなので、
宗谷岬はただの通過点でしかない。
さっきの稚内国際フェリーターミナルを見て強く思ったのは・・
「宗谷岬は旅の終わりではない。その海の果てに続く、旅の始まりでもある。」
2000年ミレニアムの世界一周以来の大冒険になるので、いまや閉ざされたロシアや、難関のアフリカ中部など、壁だらけの困難が待ちかまえているが、あんときの暑苦しい若い力と情熱を復活させ、再びビッグになりたい。あの最高の旅をもう一度。
こんな狭い日本でくすぶってはいけない。コロナで冷めきった冒険心を呼び覚まし、45歳になっても夢とロマンをデッカク追わないといけない。
それにしても宗谷岬は海風が吹いて気温14度と、真夏とは思えないぐらい寒い!この時間だと関東とは20度以上気温が違うだろう。
そういえば昔ここの土産店のスピーカーから「宗谷岬」がずっと流れてたが、今回は流れてなかった。店内でも流れてなかった。いくら宗谷岬の歌でも大音量で流すのはいまのスマートな現代にそぐわずおなかいっぱいだからか。その点、大間岬に響いたダサド演歌はもはや宇宙的インパクトが突き抜けていた。
宗谷岬からはオホーツク側を南下する。にゃんこに注意しつつ走行していると、ビッグバイクが後ろから追い越して行った。しばらくそのビッグバイクを先兵にしてかっとばさせてもらったが、南アフリカなスピードだった。やはり道北は大陸だ!ああ、にゃんこ気にしなくて済むユーラシアを走りたい。
とある店の26年間の定点観測と変移
まずは、1998年の猿払村標識
2022年の猿払村標識
そして26年前の1996年に撮った写真。どこの村か忘れたけど化粧品兼玩具店と言うのが印象的だったので。ストリートファイターゼロ2なんてかいてある
そしてこれが1998年に再訪したとき。ポケットピカチュウ大量入荷¥2500とか、ボンバーマンとかあるくんですとかFIFAとか売っている。左の写真のグループはMAXだろうか?
(注:調べたところ、この店は浜頓別の街中の275号沿いの店であることが判明。ストリートビューで見たら扉やタイルの形が一致してた。)
そして、2022年・・
右側には24年経ってもポケモンや遊戯王のカードゲームのポスターと変わっておらず、感動する。ただニンテンドーSwitchやPSなどのコンソール型のゲームソフトの張り紙やポスターなどは店の前では見かけなかった。
代わりに、左の化粧品のモデルはだいぶ令和風に変わったかも
そんな浜頓別では、バイクでゆっくり街中を走ってると、地元の高校生があいさつしてくれて素朴だ。浜頓別交流館兼道の駅はまとんべつという建物で休憩。
列車がない代わりにバスターミナルと物産店や売店とコミュニテイセンターと道の駅が複合的に合わさったさしずめ「浜頓別の駅ビル」といったところ。学校帰りの高校生が集まる。外は霧雨でとても寒い。
浜頓別高校のポスターには「家から通える高校」と書いてある。北海道のリモートエリアでは、ほかの町の高校で下宿生活する生徒もいるのだろう。
そういえば鳥取に住む知り合いの人が「孫は北海道の高校に通っている」と言ってたが、近隣のみならず全国から留学生のように下宿者が集まってるのかもしれない。
川柳コーナーがあって、いくつかの川柳の中でも真ん中にデカデカと掲示されていたのが
「盆踊り 二夜で終わる 過疎の街」
と自虐的なのが素敵すぎた
18:12浜頓別出発。一気に旭川へ帰るのだが、ヨーロッパ人のようにノーストレスで走りたいので、信号も交通量もある怪しい主要国道はなるべく回避。美幌>名寄の自動車道は20時から夜間工事で、あと少しで時間間に合わず閉鎖で入れず。とはいえ代わりのR275でも信号も車もないから同じぐらいのペースで走れたけど。
全く何もなく真っ暗すぎる夜道をただひとり疾走してると、70年代のゲームマシンのドライブゲームのように、自分が動かずセンターラインや周りの反射材などが走ってるように錯覚する。
21時55分、旭川に戻った。こうして道北編も終わったけど、1泊だけであわただしかったので、次はゆとりをもって道北を旅したい。
朝 豚丼やきそば109 Coffee たこやき亭スナック 黒棒 チョコフレーク
昼 お菓子などの残り
夜
宿 旭川の家
走行 337km