125㏄小型二輪で行くアフリカの旅。ナイロビをあとにして、その日のうちにアフリカの奥座敷・ウガンダにやってきました
ウガンダ入国
19時50分、ケニアとウガンダの国境に到着し、手続き。ケニア出国特に問題なし。
ウガンダ入国は
人:ビザ代50ドル。すんなり入国。
車:とくに手続きなし。保険に入る必要があるが、保険なしで捕まったら罰金のこと。
20時35分終わる。
ウガンダ初の食事
そして20時45分に国境近くの食堂でやっと夕食。
スープチキンにマトケ 6000Ush(330円)
左のマトケは料理用バナナをすりつぶしたもので、ウガンダの主食だが、甘くないサツマイモのような味で、甘くない栗きんとんのような食感だった。
見ての通り量がでかいので、さすがの自分でも半分しか食えなかった。もったいないので残りは持ち帰り、明日食べる。
食後の21時20分、国境近くの宿 Malaba Elaca Lodge 6000(330円)にとまる
しかしここでついに南京虫にやられた!!左足に醜い痕が出て、痒さのあまりずっと掻いていた
その後痕は残り続け、やっと何年か経って消えた。そこがアフリカの落とし穴であり、恐ろしいところである
ウガンダ人は大人しかった
8時20分起床。29度。
朝食はチャイ200、玉子焼き300×2 きのうのマトケ。
昨夜ケニアからウガンダに入国したのだが、単車では入れなかったら別にいいや、ぐらいの気持ちだったが、ウガンダにはすんなり入国できた。
ウガンダ側の国境の町の安宿で、ついに南京虫かダニの洗礼を受けてしまった
しかも、朝タイヤを見たらパンクしていた。
近くの修理屋にもってくと、いちいち後輪を外さず、ママチャリのパンクを治すかのように修理していた
その手があったか!修理代1万シリ、5ドルと高い。しかも何日かして結局空気が漏れていくのだった・・・
9時40分に宿を出るも、パンク修理などのため国境を出発したのが11時過ぎになってしまった
日本的名前と脱力系な名前
ウガンダの地名はおもしろい。
ウガンダには「歩切」「神社」「蒲原」あとは「まさか」と日本と似た地名が多い。
ウガンダ人の名前も「トードー(東堂)」など、日本人に似た名まえも多いそうだ。それをいえばスワヒリ圏のミクミとかマサイも日本語だわね。
ウガンダの歴史も
17世紀中頃、ウガンダ西部に位置するブニョロ王国が最盛期を迎えたが、19世紀に入るとやや勢力が衰えを見せ、1830年代には南部地方がトロ王国として独立した。19世紀になるとブガンダ王国がブニョロに代わってこの地域の覇権を握り、ブニョロと抗争を繰り返した。
「とろ」と「ぶにょろ」の抗争!!と書くと、もはやすっとぼけてていいですね。
だれか、ネコをつがいで飼う人がいたら、あるいはネコにこどもができたら、ぜひそれぞれ「トロ」と「ブニョロ」と名付けましょう。
トロロの岩
そんな脱力系な地名のひとつ・トロロの町に入った
ウガンダのトロロの町と言えば、もちろんとろろ昆布が有名ではなく、セメントが有名である。町にはセメント工場がある、企業城下町。
小野田セメントのように地名が冠されているトロロセメント。
そしてシンボルの、セメント工場のとなりのトロロ岩
トロロの銀行では両替もできるが、地方なのでレート悪い
首都カンパラへの道
ウガンダは英語の国なので、看板も判りやすい。
ウガンダのバイクはインド製のバジャジが多い。
やはりウガンダはほかの国とちがい、乾燥したケニアやタンザニアでは見かけなかった森の中の道になる。
アフリカというとジャングルやサバンナというイメージだが、ここは標高も1200mのため一年中最高の気候。さわやかな森もある。だからウガンダ人はおっとりしてるのかも。
ケニアからウガンダに入ると、景色とかインフラとかはケニアとほとんど同じ
しかし、人々は素朴で、大都市ナイロビから来たせいもあって、ウガンダはおとなしく地味に見える
思えばきのうの食事は3食バナナ。そんなバナナ日和だったので、今日の昼食は途中の国道沿いのガソリンスタンド併設のレストランにする。
給仕はウガンダ女性だが、インド系が経営してるらしい
チキンとポテト、コーラで300円ほど。うまい。気分は上々!
コーラは、ストローの紙袋を残したまま。えいせい的。
さらに途中の町では、ホテルオークラ発見!いや、野菜のオクラかもしれん。
こうして19時過ぎに首都のカンパラに着いたのだった
今日は272kmしか走っていないのに疲れてしまった。
因みに高速バスだと、19時にナイロビを発、翌朝10時にカンパラ着だそうで、国境を超えるのは朝3時だという。
夕食は焼肉串500×2本。マトケ。
首都のカンパラでは、ABCホテルという日本人がよく泊まる宿に泊まったのだった