世界一客が少ない世界遺産?グレートジンバブエ遺跡を見学してみた

東南アフリカ諸国
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グレートジンバブエ遺跡は、ジンバブエの国名の基となった、ジンバブエが誇る世界遺産の遺跡です。いわば埼玉県のさきたま古墳群と同じです。

ということで、写真もいっぱいなので、お楽しみください

グレートジンバブエを目指すも・・

5月18日、首都ハラレを出発するも、のっけから大トラブル。

この国は道路標識がいいかげんなので、なんとえらい方向に走ってしまった。道なりに走ったのに関わらず、迷いに迷って、結局ハイウェイに戻ったのが午後。200kmも余計にロスしてしまった

おそらくこの国の経済が壊滅したさいに、やけくそになって道路標識なんかも勝手にすっこ抜いて盗んで家屋の修理の足しにしたんだろうか。

しかも国道を外れると、標識とかもほとんどないので、まるで迷路。自分がどこ走っているのか全くわからないから恐ろしい。

街道沿いの、土産と彫刻の店

しかも「ハイウェイに戻る道だ!」と思って喜んだら行き止まりになってたり、ひどいダートになってたりとか。

その分、ハイウェイに戻ると日本と違って信号も渋滞もほとんどないのでペースが速く進め、80~90キロぐらいで飛ばしてるので、気がついたら200kmのロスって感じでした。さすが大陸。

 

天の川

9時半ごろハラーレを出発し、遺跡に近いマシンゴの町に18:19到着。結局509kmも走ってしまった。

なんとか到着するも、あざ笑うかのように街は全部停電。真っ暗闇でどうしようもない。トラブルだらけのジンバブエ、そしてアフリカは本当に疲れる。

しかし悪いことばかりだけでなく、街灯も全く無い暗闇のおかげで、星空がプラネタリウムのようにものすごくはっきり見えて、天の川まで見えたのが、唯一の救いだった

ローソクの光をたよりに、BackPacker’s Restという、一泊5ドルのドミトリーに泊まる。バイクは裏の入り口から入れる。

経済崩壊して白人追放したジンバブエなので、ドミトリーにはもはや白人バックパッカーはおらず、あとになって黒人が同室になった。

夕食は、近くのレストランでサザビーフ2ドル。町は停電ながら、最低限の照明がついていた。

マシンゴの朝

5月19日 6:25起床。標高975m。17.8度。終日停電だと、キャンプのように早寝早起きになる

マシンゴは、南アに近いせいか、昨夜と同じレストランに行くと、これまでのような米ドルでなく南ア・ラント表記。ここでサザチキンの朝食。3ドル。(メニューには30ラントと書いてあるが、米ドルで払うと3ドルだった)

 

ジンバブエ遺跡到着

翌朝、グレートジンバブエに着くと、人の気配が全く無い。これが本当に世界遺産なのだろうか

この遺跡に寄ってしまうと、400kmも余計に大回りしなくてはならないし、

石がつみ重なってるだけの場所なので、アジアやエジプトの遺跡を見慣れた人があまり期待していくと肩すかしを食う恐れも。。

とガイドブックに書いてあったので、わざわざ行くほどのものでもないと、最初は行く予定はなかったものの、

実際入り口に来ると、人気がない。

これでもジンバブエの国名の由来となった、ジンバブエいちの世界遺産なのか!

日本だったらどんな観光地でも、とりわけ世界遺産レベルなら観光客でひしめいてるはずなのに。

経済も大分回復したとはいえ、恐ろしい、悪い、と言うイメージが出来てしまい旅行者がジンバブエを避けるようになりましたし。

入場料の大金15US$を払い、バイクの荷物は不用心なので、事務所に預けてもらった。キャンプは5ドル、ドミトリーの宿泊は7ドルと書いてあったが、実際はどうなのかは不明。

日本の縄文遺跡と同じである

城砦遺跡

次は、砦から見えた、円筒の城砦遺跡に行ってみることに。

砦を降りて、円筒城砦への道。なんとも不思議な風景だ

ジンバブエを支配せよ!

当初歩いたときは、本当に石がつみ重なっただけの遺跡にしか思わず

「思ったとおり、たいした事無いなー」

と思ったが、しかし・・

そのたいしたことがないおかげで、見わたしてみれば、この遺跡内には、私のほかにまったく誰もいない。

余計な観光客がいないおかげで心ゆくまで遺跡の世界を堪能できる。

そのため、なんだか自分がグレートジンバブエを支配している気になり、

しかも石がつみ重ねられただけの風景は、よくよく考えれば古代中世の世界に似ているので、まるでRPGの勇者になったみたいだ。

 

遺跡を見学と言うよりも、遺跡の中で寝転がったりしていにしえの世界に浸ってリラックスするようなところかもしれない。

濃厚でうるさくてくどいアフリカ社会にいたどっぷりひたってたので、グレートジンバブエ遺跡で心が洗われた。

退屈な遺跡が転じて、思いもよらぬいい場所となった。

 

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タイムリミットが近い!夜でも走れ!

お昼過ぎからは観光客の団体もやってきたので、

ここらで遺跡をおいとましたあとは、急いでムタレに戻る。

明日にはジンバブエビザが切れるので、モザンビークに戻らなくてはならないのだ。

植木鉢を載せる人々はめずらしい。

夕方、村で軽食。ミルクチョコ7切れ70セント。スナック菓子。

アフリカではタブーのナイトランをする。時間がないのでひたすら夜道を走り続ける。治安の悪いジンバブエ、何されるかわかったもんじゃないが、意外に気にならなかった。

それは経済のどん底から立ち直り、思ったよりも危ない雰囲気がしないからだろう。

21時前にムタレに戻った。前回と同じ宿に泊まる。その後は、開いていたレストランでサザビーフ1ドル。

 

地方都市なので、ほかの客も雰囲気がほのぼのとしてよい。危険な感じがしない。

23:45寝る。ねむい。疲れた。気温20℃

走行401㎞

値段の無い切手

5月20日、6:50起床。朝食として、こんどはでかいチョコケーキ1ドルを買う。大きいが相変わらず味も大味。

そして、日本へ絵葉書を書いて郵便局へ送る。めちゃくちゃな経済環境なので、いったいどんな郵便事情なのかと思いきや、郵便局のねえちゃんもテキトーで、最初は切手2枚しか張らなかった。(切手には額面が書いてない)

で、後で出直して確認したら4枚必要だとわかり、もう少しで届かないとこだったですよ。

初め行ったときは切手2枚でUS1.50ドルでしたが、確認後切手4枚でUS1ドルでした。てきとーです。

ま、こんな風に届くか届かないかの瀬戸際の方が、スリルがあって、日本に届いたときの感動もひとしおなんですがね。

 

のんびりチェックアウトして、未練がましく街中を回ってからムタレからすぐの国境で出国。ドレッドの係員は今日もいた。

こうしてジェントルな摩訶不思議な国・ジンバブエを出国し、ラテンの摩訶不思議な国・モザンビークに再入国したのでした。

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