なぜ私の単車には、海外のステッカーが一枚も貼ってないのか?

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これまで単車で60カ国以上旅していながら、自分のバイクには記念となるような海外のステッカーなどは一枚も貼ってありません。それはなぜか?

ステッカーは旅の勲章。しかし・・

日本一周してるバイクだと、宗谷岬だの波照間島だの佐多岬だの、ゆっくり走ろう北海道だの、熊出没注意だのとステッカーが車体中に貼ってあったりします。

さらに海外ツーリング帰りのバイクを見ると、いろんな国のステッカーが勲章のようにこれみよがしにあちこちに貼ってあったりします。

いわば「勲章バイク」です

でも、自分個人としては、ふと考えてみたらバイクにステッカーを貼ったことはあまりないので、自分でも我ながら不思議に思ったので、なぜなのか考えてみました

売却時の金額が下がる

バイクにステッカーをベタベタ貼ってあるのとそうでないのでは、売るときに価値がちがいます。

私はスーパードライなので、世界の長旅を終えたバイクをいつまでも記念としてガレージに保管しておくような趣味はありません。

なぜなら、乗らないとムダに場所もとるし、税金や保険もかかり、保管するだけでもタイヤやバッテリーなど老朽化していくからです

こわれるまで愛を持って最後まで乗りつぶすのならいいけど、日本に帰ったら熱が冷めてほとんど乗らないのならさっさと売って、次の欲しい人に活用させるべき。それが私の主義です。

「自慢」するのがいやだから

「おっさんの自慢ほど、うっとうしいものはない」と思う人も多いと思う。

自分がバイクで世界一周してきたとか、全大陸を世界中をバイクで旅してきたというと、

たいていの人はみんな驚いてくれる。

人によっては想像以上のリアクションだったりする。

自分はそういうことするぐらいしかとりえがない人間なので、人から驚かれたりすると謙遜したくはなる。

といいながら、正直言うと、じぶんでもすごいことやってきたな、と我ながら自画自賛することもある。

しかし、

自慢というのは、ジコマンゾク(自己満足)の略称だと、個人的には思ってます。

そして自分を大きく見せることになるので、ギャップが大きいと見抜かれるし、ムダに自慢するのはあとあと面倒なだけなんです。

目立つのがいやだから

といいながら、実は私は超目立ちたがり屋です。

まあ、こんなカッコして踊り叫び狂ってたわけですし。

しかし、普段は別。日常では目立ちたくないのです。
近くにお出かけするときとかは、着れればいいと、地味なかっこうしてますしね。
Ninjaのように世を忍んで生きています

そういえば、

日本で勲章バイクに乗ってるときは、「世界を走ってきたぞ」と英雄のように周囲にブイブイ言わすことができる。

では。

勲章バイクを降りて、電車に乗ってたらどうなのか?

となれば、世界を旅してきた証がない。

となれば、電車に乗ってるとなりの他人から見れば、フツーの人でおわるのです

それどころか、勲章バイクはいろいろステッカーが貼ってあるので変に目立つし、目だったがゆえに盗難のターゲットになったり、いたずらされたら、いやずら。

ステッカーが貼られたバイクで勝負するのではなく、

自分の中身で勝負したい。

自分の中身なら、いつでも取り出せるし、決して盗まれることはないからだ。

そして・・・・

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めんどくさいからです

その名のとおり、ただ、めんどくさいからです。

「低燃費少女ハイジ」のように、低燃費な生き方をしているので、人に話すのはしんどいのです

たとえば、旅先とかで現地の見知らぬおじさんが勲章バイクを見て

「たくさんステッカー貼ってあっけど、海外行ってきたの?どこ行ってきたの?」

ときかれ、自分が
「そうなんですよ~、行ってきた国は、ここと、ここと、ここと、ここと、ここと・・・・」(以下略)

一から説明するのがめんどくさいんです。

これが相手のほうもノリが良く、言葉のキャッチボールができてお互い楽しい時間がすごせればもちろんいいのだけど、

ただ、話している内容があまりに遠い世界のため、大方が此方の話しを理解できず、「へー、そうかい、わかった。」といったふうに、相手の自己満足で終わってしまい、代わりに自分には何も残らないという、不毛なやり取りのことがけっこう多かった。

旅のことを話すと、それこそ一夜では話しつくせぬぐらいの長さになるのに、友達でもない、これから今後お世話にもならないような見ず知らずの人にいちいち長々と説明するとキリがないし、マニアックな話をしても馬耳東風となってしまうと、はっきりいって時間の無駄。

かといって若い人に話すと、逆にに上から目線の自慢臭さあふれるおっさんの説教めいたトークになりかねない。

そこで

相手の面子をつぶさないようにするには、

あるいは自慢臭くさせないようにするためには、

どう言い切ればいいのか?

そんなときは、こうします。

ひとこと

「くわしくは、たびいちドットコムを見てください。
ぜひ、スマホでもたびいちワールドをお楽しみくださいね、
それでは、ごきげんよう!」

これだけです。そう言ったほうが手っ取り早いからです。

相手にとって、読みたければ読めばいいし、興味がなければ読まなくてもいい。
読んで気になったら、あとでたびいちドットコムのファンになるなり、コンタクトを取ればいい。

自分のやってきたことをひとりの相手にマウストゥマウスで説明するのは大変だが、いまや誰もがスマホをもってる時代なので、たびいちドットコムをスマホやPCで見てもらえれば、自分の言わんとしてることが一発でわかるからです

普通のひとは体験しないようなマニアックな経験を、多くの人に楽しんでもらえるよう、多大な時間をかけて記事を編集しながら書き、わかりやすく還元しているのです。

だから、たびいちドットコムをせっせと作り続けているのです。

2019年12月18日追記

勲章バイクに、自分としてはどうも違和感のようなものを感じていたんだけど

それはズバリ

「過去の栄光にすがっている」

ことなんだということに、ふと、気づいた。

旅を終えてボロボロになった単車を、下駄のように思うか。かけがえない相棒に思うか。

もちろん、それはそれで人の自由なんだけど、

自分としては、過去の愛車のメーターやナンバープレートなどといった形見は残しているものの、乗らなくなった単車はじゃまでムダでしかないので、即座にバンバン売っている。捨離断だ。

そしていまはGSRを売って、新しい愛車・V-Strom 250を迎えて、次なる旅の夢を見ているところだ。

Vストローム250を買ったことによって、新たな出会いや発見が生まれた。自分に一致したカッコいいバイクを持つと、その分だけ若返ってる気さえする。新しい風が吹いてきた。そんな気分だ。

もしずっと今までのバイクに乗り続けていたら、そんな新鮮な気持ちにはならなかったと思う。

なので、

「過去の栄光を振りかざすようなタイプには、なりたくない!」

過去の栄光にすがりついてしまうと、

そこで思考が止まってしまい、

よどんでしまうからだ

この世は諸行無常。

身を軽くして、新たな発見を見つけていきたい。

そうすれば、楽しいことがいっぱい見つかる。

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