ついにやられた。もう日本に帰りたいと本気で思う。本当に帰りたい。
そんな事件に出くわしたテテの町と、ジンバブエ国境までの巻です。
テテに到着
交通の要所の都市・テテは異国に囲まれており、マラウイ行き、ザンビア行きの標識がある。
テテの町につながる大橋は、気分はサンフランシスコ。
橋の手前。川べりにはキャンプ場があるが、720円もとられるので、タンザニアやマラウイの感覚からすると高いのでやめにする。天気も悪そうだし。
ということで、この日泊ったのは Tete Hotel。
ほかのペンソンやモーテルは7200円と日本以上に異常に高いので、テテの街中で一番安いこのホテルにやけくそで泊まる。といっても1800円した。
17時50分ごろチェックイン、20時まで外出後、ズボンやジャケット、肌着などをみっちり洗濯。1時20分ごろ寝る。
間取りは普通の安ホテルで、扇風機もあってシーツも清潔。でも、蚊帳が無い。中庭がうるさい。当然一泊だけして出る。
夕食は、ピーナツビスケット、スナック菓子22g10円を2個、カルピスのようなヨーグルトドリンク50ml18円を2本、90mlの棒アイス36円。しょぼい。
モザンビークのコイン
1000メティカシュは新1メティカシュ(3.6円)にデノミされている。新旧両方使用可能。
テテの目抜き通り
内陸の町とは言え、ザンベジ川と湖があるので漁業もあるようだ
白人の姿も目にした。もしかしたらブラジル・ポルトガル系だろうか。
ついに事件発生!
5月11日 7時50分起床。朝食は、SANTALという500mlのミックスジュース90円。そしてソーセージパン126円。昼食は屋台のマンダジ1個3.6円を9個ほど。
タイヤを探そうと、テテの町の単車用品店のなかの狭い通路で、愛用していたデジカメが掏られたことが、しばらくして気づいた。
ジャケットの右胸ポケットにカメラを入れていたが、ストラップをポケットの外に出したままだったのだ。確かに自分もうかつだったんだけど、なんたるこった。マラウイとちがってここはモザンビークだった。
余計な仕事が増えた。保険請求すればいいだろうが、果たしてどの程度帰ってくるのか。
場合によっては得するだろうが、それでも愛用していたのでショックデカオ。予備機の防水デジカメはいまいちなのに、これから2ヶ月使わなくてはならない。
それ以前にもゴムネットがダメになり、PCのバッテリーがダメになりそうになったり、テープレコーダーや外付けHDDが壊れたり。PC画面にキズがついたり。
アフリカの旅が長くなるごとに、思った以上にどんどん物が壊れたり失ったりして、精神的にも物質的にも擦り切れていく。
日本に帰りたい
もうアフリカツーリングの毎日はもういいや。正直帰りたい。帰国したら失ったものやこわれた物の補充としていろいろ買いまくりたい。
意気揚々としていたケープタウンの出発前とはえらい違いだ。
https://tabi1.com/illumination-capetown
いまや過酷な長旅で生気を吸い取られているのだろう。
でも、帰ったら帰ったで今度は重いつらい現実が待っているだよなあ。
「打ちのめされる旅」というのが、今になって実感する
そんなたびに疲れる自分は、世界一周のころに比べれば考えられなかった。なんともなさけない。
モザンは物価も高いし、治安も悪いし、あまりに常識が違いすぎる。もうついていけない。もう何もかもがいやになってきた。もう帰りたい。帰りたい。
このスリ事件がトリガーとなって、急に精神状態がむしばまれいった。その後、普段ではやらないような奇行をしてしまうほど、精神が極度に悪化していくのだった。
警察で書類作成
保険請求のためのポリスレポートを作成すべく、近くの警察に行ったら、ここではなく山を下った街中の住宅街の警察に行くようにといわれた。警察の感じは良かった。
そこで書類を作成してもらったのだが、書類はなんと、タイプライターで打っていた。レトロ。
私はこれから首都のマプトに行く、というと、日本大使館に持っていきなさいといわれ、できたのがこの書類。
タイプライターのSのキーがこわれてるようで、手書きでSを追記。しかも名前がAKIRAではなくAKLIAになってるという、決定的に致命的な警察証明ながらも、果たして日本大使館に持っていくと、どんな対応を示すのかが少し楽しみでもあった。
スリに会いながらもフロントタイヤを買った後は、工賃が高そうなので、もう精神が悪化したがゆえに、やけくそでガソリンスタンドの片隅で自らタイヤ交換。余計にしんどい。
交換した古タイヤは、店に返した。
なお、この町で両替した時は、100ドルが2950メティカシュで両替できたが、タイヤを買ったときはお代の1000メティがないので、タイヤ店に50ドル払い、500メティのお釣りをもらったのだった。
地雷街道をまっしぐら!不思議な国モザンビークの道中。
スリ事件のあったテテを脱出したあとは、チャンガラ(じょんがら節ではない)の村まで進み、そこにある唯一の宿に泊まった。
1080円という値段の割りに、国道を挟んだディスコからの音やスタッフの話し声がうるさい。タンザニアレベル。蚊帳あり。扇風機もあるが、寒いので使わず。
ホットシャワーの代わりに中庭で沸かした熱い水(Agua Quente)をくれる。
夕食はチキンライス・玉ねぎとトマトで252円。満足。
宿の部屋の中で、PC接続でMPプレイヤーを編集しようとしたら、リサイクラーだか訳のわからんファイルが出るようになってきて、それで録音しようにも001しかできなくなり、しょうがないからいったんフォーマットしたら、PCに写したデータが何と残っていなかったので、本当に焦った。まあ大体の音声データはあったので助かったが。
きょう一日、もう何もかもうんざりだ。
マラウイのリロングェで「旅に疲れた」とぼやいたら「やめれば?」と、日本人女子バックパッカーのチェリーから言われたのをおもいだす。
孤独な旅がつづく。もう夜の1:56、夜更かしした。もう寝よう。
走行154㎞
5月12日
8:22起床。標高170m。気温27度。
朝食はマンダジと、ゆで玉子18円を2こ。
昨夜泊ったチャンガラの宿。
9:25出発。
先々の村では、赤いGN250を2台ぐらい見かけた。私は以前までGN125に乗っていたのでなつかしい。
モザンの田舎少女。といってもこれまでの国とは服装や雰囲気が少し違う。部活後の中学生みたい。
同じくモザンビークの部活シリーズ。放送部の面々。突然の日本人に特ダネ級の模様。
町の屋台で昼食。二日連続のフルーツジュース・SANTAL。500ml90円。このパック入りジュースは、どんな小さな集落でも売ってるので、我がモザンの食事の定番になっていく。
焼き鳥36円を2本。パン18円。
町の中。目の前で授乳する姿。しかし大昔の日本もこうだった。
モザンビークの線路。日本だとすぐ不謹慎だと騒がれるだろうが、ここでは当たり前に横切る集落の住民。集落の手前には「注意:制限10km/h」と書かれている。
モザンの国道は穴が開いていたり、舗装工事中だったりするが、幹線道路のためおおむね問題なし。道を外れると地雷が埋まっている。宿代が高いからと言って、きままに野宿もできない。
モザンビークの宿泊代は高い!なので
ジンバブエ国境に近いマニカManicaの町にやってきたが、
この町にはてきとうな宿が見当たらず、(一番安くて500、つまり1800円!)
トラック停泊所に頼み込んでテントを張らせてもらった
19:40、ここをキャンプ地とする。思えばテントで野宿するのは何か月ぶりだろうか。
となりの椅子には警備員が座るのだが、咳き込む音とかいろいろうるさくて、中々寝られなかった。だけど無料で安全に泊めさせてもらってるので、そこはひたすら耐えるしかない。
走行364Km
5月13日
6:33起床。標高590m。19.6度。
モザンビークスタイルのトイレ。割ときれいに保っているので写真を撮った。本当なら有料トイレなので36円払わないといけないのだが、高いのか誰も払っていない様子。
アフリカン式公衆電話。汎用バッテリー式なので、自分もこういうの作ってみたくなった。
さあ、いよいよ経済崩壊の国・無秩序の国、ジンバブエだ!
気合を入れて乗り込むぞ!