2009年に書いた過去のブログ記事を、この1か所にまとめました
世紀の珍発見!?元宮崎県知事・東国原氏の「兄弟」を、アフリカで発見!
アフリカの奥地の国マラウイで、「そのまんま東」こと、東国原英夫氏の“兄弟”を発見しました!
まずはマラウイとは、どんな国なのでしょうか
マラウイ共和国(マラウイきょうわこく)、通称マラウイは、アフリカ大陸南東部に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。旧称はイギリス保護領ニヤサランド(Nyasaland、ニアサは湖の意)。首都はリロングウェ、最大の都市はブランタイヤである。アフリカ大地溝帯に位置する内陸国である。マラウイ湖の西岸にあり、東西の幅は90-161km、南北の長さは900kmと南北に細長い形をした国。国土はほとんど高原上にあり、マラウイ湖が大きな面積を占める。北・北西をタンザニア、東・南・南西をモザンビーク、西をザンビアの国境と接している。チェワ族が主流。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%A4
日本にはほとんどなじみの無い国です。日本からもアクセスが容易ではなく、未知に満ちた部分も少なくありません。
そしてそのまんま東といえば、元知事であるのはもちろん、たけし軍団の副将としても有名であり、「風雲たけし城」でお目にかかった人も多いと思います
その後、東国原知事として、宮崎県のPRに貢献。
知事を満了したいまなお、このような「進化」を遂げて、もはや伝説のシンボルになっています
しかも知事を辞めた後は、
自らの特性を活かし、そのまんまKのプロデュースも行っていたそうです。
といっても、そのまんまKの由来は、「そのまんま 毛」なのか?謎です。
しかもこれは毛生え薬なのか、養毛剤なのか、ハゲを予防するものなのか、効果のほどはさらにミステリーですが。
マラウイの首都・リロングウェ
高層ビルはもちろん、高いビルすらも無く、
首都というよりも、田舎の大き目の町、というイメージ。
“兄弟”は、スーパーで勤務していた
そして、リロングェ市中心部にある、
コンビニのようなスーパーに入ると、
どこかで見た覚えのある人が・・・?
そう、このひとこそ「兄弟」なのです!
それでは
ごらんください!
いかがでしょうか!?
つぶらな瞳が、
さらに”兄弟”の人柄を物語ってますね!
世紀の珍発見!今度はジャイアンの兄弟を、アフリカ・ボツワナで発見!!
マラウイで発見した、輝かしい東国原氏の“兄弟”につづき、
https://tabi1.com/africa-higashikokubaru
ボツワナでは、
ドラえもんに出てくるファットマンであるジャイアンの”兄弟”を発見!
まずはボツワナとは、どんな国なのでしょうか
ボツワナ共和国(ボツワナきょうわこく)、通称ボツワナは、南部アフリカの内陸に位置する共和制国家で、イギリス連邦加盟国である。南を南アフリカ共和国、西と北をナミビア、東をジンバブエ、北をザンビアに囲まれた内陸国である[2]。
首都はハボローネで、南アフリカ共和国を構成する一民族でもあるツワナ系の人々が多く住む。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%84%E3%83%AF%E3%83%8A
野生動物が多くすむ観光資源と、
ダイアモンドをはじめとした資源があるボツワナは、
アフリカ大陸の中でも、
南アフリカ共和国に準ずるぐらいの比較的豊かな国です
首都ハボロネは、
最もアフリカらしくない首都
といわれ、人口23万人と小さな都市ではあるが、
新しい建物が並ぶ官庁街は、
日本の地方の県庁所在地のような趣でした。
たしかにアフリカらしくない。
比較的豊かなボツワナに、ビンボーな店!?
“兄弟”は、またもやスーパーだった
そして、ハボロネ市近郊にある、
国道沿いの看板を見ると、
どこかで見た覚えのある人が・・・?
そう、この男こそ
じゃいあんの
「兄弟」
なのです!
それでは
ごらんあれ!
いかがでしょうか!?
これが基の看板ですが
スーパーの看板ですが、
シンプルな図柄の中でも、なぜかカートの中のぶどうだけが、やけに細かく書かれてるのもポイント高いです
以上、「ジャイアンの兄弟」 in・アフリカでした!
オンボロ軽トラはMTだった
先週末、えらい古い、青いポンコツ軽トラに乗った。しかもマニュアル車!(ダイハツ・ハイゼット)
1998年(前世紀だ!)に1トントラックをなんとか運転して以来、11年ぶりのマニュアル車です。
いくら車も買えない貧乏人とはいえ、レンタカーなどで乗った車はすべてオートマですよ。
なにより、ゲーセンでドライブゲームをする時でさえ、いつもオートマを選んでいたほどだー(笑)
軽トラには相方と二人で乗ったのだが、目的地まで半分ほど着いたとき、ついに相方と運転を変わる事になった。
11年ぶりの操作で、ものすごい緊張したが、広い駐車場があったのでまずはクラッチの練習。
そして公道へ。何とか走れる。でも発信時アクセルをふかしぎみになる。しかしだんだん慣れてくると、言葉では言い表せないぐらい楽しい。オートマティックに比べれば「本当に車を操っている」という楽しさ。
たしかに、ATよりも緊張するし、クラッチを多用する左足は疲れる。エンストもする。
でも、面白い!
そしてMTはシフトミスをする。4速から5速にシフトアップしようと思ったら3速にはいってしまい、当然車体はエンブレが聞いて前のめり、エンジンは唸ってしまう
でも、面白い!
考えてみれば自分が普段乗っている単車なんて、筋金入りの正真正銘・偽りなしのMTなのだ
半クラやシフトタイミングやクラッチミートの感覚は二輪も四輪もまったく同じ。
思った以上にすぐによりを戻せ、20kmほど走るとスムーズにギアチェンジができるし、減速して最加速する時も、ベターなギアを選ぶ必要があり、その分頭を使うので脳のトレーニングにいい。
しかし、MTの欠点としてこんな事もあった。
運転していた相方が先に車を降り、後で助手席に残っていた自分も降りた途端、なんと軽トラが勝手にバックした。
彼はギアをニュートラルにしてサイドブレーキを掛け忘れていたのだ。
AT車なら、Pレンジに入れておけばサイドブレーキを忘れても勝手に動かない(というか、Pに入れないと鍵が抜けない)
そういうニッポン的過保護親切設計に慣れてしまうと、荒削りだった昔の車は、凶器にだってなる。
とっさに私は運転席に戻り、サイドブレーキを掛けてストップさせたが、もし助手席に乗っていた人が免許無い人だったら、パニックになっていただろう。
毎日長距離を運転するのならATのほうが断然楽だが、
たまに運転する分ならATよりもMTのほうが面白そうだ。
以前、うちの友人がMTの軽トラを新車で買ったとき、
「なんで玉数も少なく、しかも面倒なギア操作をしなければならないMTをわざわざ買うんだろう」と不思議に思っていた
だが、MTを運転して以来、友人がMTの軽トラを買った理由と言うのがよくわかった。
26年ぶりの再会!
先日、26年間行方不明だった曲(懐メロ)と、再会することができました
自分が小さい頃、家族でドライブに行ったとき、乗っていたダイハツの軽ワゴン車のカセットデッキからよく流れた曲で、夏の海岸をドライブしているときに相応しい、さわやかですごくいい曲だった。
それ以降、ことあるごとにこのメロディーがよく思い浮かんできた。
なのに、その歌は誰が歌っているのか全く判らなかった。
メロディーの流れから「抱きしめて 離さないでしょう」ぐらいはかろうじて推測できたが。
それでもわからないまま時は流れて、20代になってインターネットの検索ができるようになってからはいろいろ調べてみたけど「抱きしめて 離さない」ぐらいじゃ手がかりはなく、インターネットで検索してもさっぱり。
しかしさらに何年か経ったこの先日、このサイトで
http://www.uta-net.com/user/index_search/search1.html
もういちど丹念に探しまくった結果、
アーティスト名は「ハイ・ファイ・セット」
曲名は「素直になりたい」(1984.1.21)という事がついに判明!
しかしハイファイセットなんてグループ、ここで初めて知りました。いわんや今の若い人は多分知らないと思う。
だから再び日の目を見ることなく、今まで26年間わからなかったんだろうなあ
もしこの世にネットがなかったら、この懐メロに再会することはまず無かったでしょう
1984年の子供は、25年何ヶ月か経ち三十路になり、当時の両親と同年代になってしまった(大笑)
なので、今度は自分が家庭を持った気分になって、「素直になりたい」を聴きながらドライヴしてみたいね~。
では、お楽しみください。
ついにETC、げっと!
といっても、手に入れたのはETC「カード」だけです
しかも、車もありません!
もちろん自分の単車にもETCレシーバーはまだありません。
でもね、ETCカードを作ったからといったって、この32歳のボンビーマンは、車は買いません!
そして今後も車を買うことは、まずないでしょう!
じゃあなぜ作ったんだよ、というと、3割は見栄です!(笑)
でもあとの7割、いや10割は役立つからです!
というのも、いまやほとんどのレンタカーにはETCがついているので、自分のカードを持っていれば高速1000円の世界を享受できるわけ。
作ったきっかけは、ETCカードの年会費は[無料]なので。
もし年会費に300円でもかかったら、ETCカードにはまず加入しなかったでしょう。
実際、レンタカーを借りることなんてあまりないし、さらにETCを使う機会はさらにないだろうし。
だけど備えあれば憂いなし。
車の運転は好きだけどマイカーは要らない、レンタカー志向のあふろでした~
‘00
そういえば、今年で00年代が終わるんだったっけ。今日気付きました
ってことは、あさってからは10年代なのね!
年月が過ぎるのは本当に早い。まだ00年代の半ば過ぎか後半ぐらいにもかんじるぐらいなのに。
ううむ、自分にとっては60年代とか90年代と言う表現がなじんでるので
10年代、ってのはどうもピンと来ないわい。10代みたいで。
とくに、「’00年代」なんて、実はいままでどう呼んでいいのかわからなかったんですわ!
ゼロゼロ年代とか、あるいは二千年代とか?
新聞では「ゼロ年代」と呼ぶようで、00年代の最後の最後になってやっと読み方が確定しました!(笑)
でもゼロ年代だと、「’0年代」になってしまい、なんかおかしくないだろうか。
思えば昔は(前世紀のころね)80年代とか90年代と、10年一区切りにされたけど、00年代に関しては21世紀の最初、さらには二千年代(2000~2999)の最初という意味合いが強かったせいで、10年区切りの印象が乏しかったのかもしれない。そう思いませんか?
さて、私にとっての00年代は、激動と栄光の10年でした(と自画自賛!?)
年齢的にも22~32歳なので、まさにこの10年こそ肉体的、精神的にもに自分の絶頂期だったわけです。
00年代の略歴として
00 世界一周
01 世界一周
02 日本
03 9月よりオーストラリア
04 9月までオーストラリア、12月からアジア
05 4月までアジア
06 日本(1週間だけ韓国)
07 日本
08 12月よりアフリカ
09 7月までアフリカ
この10年のうち、なんと3年4ヶ月も海外にいたことになるのよね!
自分が90年代の時は、「00年代は絶頂期になるぞ」と考えていたので
いまこうして振り返ると、やりたいこともできて満足の10年だったと思います
あと、この10年はインターネットの10年だったですね。
STK 1もそうだけど、
だからこうしてネット上で書いてるわけでありまして。
それではさらば00。