最後のファンゾーンと大勝利と。ラグビーの一週間

日常生活
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アメリカ対アルゼンチン、変な人もいっぱいいて面白かったです。

パブリックビューイングのファンゾーンもついに最後の日。そしてスコットランド戦。

10月9日 アメリカ対アルゼンチン

この日はスタジアムにてアメリカ対アルゼンチン戦が行われる。

ファンゾーンのあたりから熊谷ラグビースタジアム行きのシャトルバスが出てるため、アメリカ対アルゼンチンの試合が始まる前と終わった後に、米人と亜人がどっと押し寄せてくるのだった

アメリカ アルゼンチン 余裕の友好

いかにもアメリカ人100%

単語・丹後・端午の節句!

結果的にはアメリカはアルゼンチンに負けたのだが、

夕方に戻ってきたアメリカ人は、試合に負けてシュンとするどころか、輪にかけたようなはっちゃけぶりを見てると、試合結果なんてなんのそのって感じ。

さすがはアメリカ人らしく、トップガンのコスプレ

エルビスプレスリー コスプレ

スモーですよ

負けても大胆なアメリカ人。しかし

この後、警察がやってきて服を着よと言われてたのが笑えた。

こうして、

濃厚なファンゾーンの日々も幕を閉じたのだった

10月10日 ファンゾーン 撤去

そして翌日。会場は跡形もなく片付けられていく。祭りも終わった。兵どもが夢の後。

 

10月13日 熊谷ラグビースタジアムでパブリックビューイング

台風の過ぎ去った日曜日。

地元熊谷でのラグビー開催も終わり、ファンゾーンも撤去され、街からラグビーのムードも畳まれて、「後の祭り」のように、ラグビー疲れのような症状になった。

そのほかにも個人的にいろいろあって、とにかく無気力な状態だった。

しらけて冷めきった状態なので、スコットランドとの試合も、正直、勝とうが負けようが、もうどっちでもいいやと投げやりに思ってた。

しょせんはシロートのにわかファンなんだ。
でもそれでいいと。

でもこの日曜日は熊谷ラグビースタジアムでパブリックビューイングが行われる。
めったにないチャンスだ。

仲間がいればいいけど、ひとりでずっと見続けるのもしんどいし疲れる。どうも行く気が起きない。
でもラグビースタジアムの中がいったいどんなとこなのか見ておきたい。

ということで、

結局最後の15分に会場入りした。

会場のスタッフは、ファンゾーンの時とちがって、黒いポロシャツに「LOVE埼玉」と書かれていて、運営の管轄がちがう。これも「翔んで埼玉」効果だろうか

会場には二つの大型スクリーンが映し出されているが、

グラウンドの上には何もない&誰もいない状態という不思議な状態。

遠くにスクリーンがあるので、ファンゾーンの時よりも少し見ずらい。

スタジアムでのパブリックビューイングは、
たとえるなら、

浴槽にお湯が入ってない浴場で、シャワーだけを浴びてるような感覚なのよね。

最後の15分は、もう勝気なムードだったが、難敵のスコットランドが追い上げてくるのでまったく油断ならない状態だった。

そして逃げ切り、日本の勝利が決まった。

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V4&トーナメント進出の瞬間

スタジアムは、今までの人生の中で聞いたこともないぐらいの怒濤と絶叫になり、

自分も「うああああああああああああ」と絶叫、もう霊が移ったかぐらいに何が何だかわからないぐらい心から叫びまくった。

その拍子に、近くにいたおじさんとHUGしあう。

正直、試合前は、日本はスコットにメッタメタに処刑されるのでは?

と思わせるぐらいに強いスコット。そんな勝てないと思ってた相手に勝てたし、4連勝という快挙。

それだけ会場のよろこびの爆発力が想像以上にすごくて、最高の瞬間だった

これが勝った瞬間の写真。

やはり、家でテレビとかで見るのと、みんなで見るのとではわけが違う。

家にいても、「ああ勝ったな」ぐらいしか思わないだろう。近所を考えると叫ぶことすらできないし。

でもここなら心の底からおもいっきり叫んで、大爆発させることができる。ストレス発散になる。

日本は4連勝のV4となった。V4というと、V型4気筒エンジンみたいだけど、4気筒エンジンのような強さで有償を目指してほしいです。

 

無料で見れるのはすばらしいことだ

素晴らしいと思ったのが、熊谷ラグビースタジアムのパブリックビューイングが、無料で見れたということ。
しかも熊谷駅へのシャトルバスまでも無料。
このサービスは世界的に見たらすごいことだと思う。

まとまらないまとめ

9月と今月の台風で、日本のあちこちで災害が発生し、痛めつけられている。

堤防が決壊したりしてるインフラの現状を見ると、日本は、もうお金に余裕のある国ではなくなったと思う

でもインドに比べれば静かで清潔だし、諸外国に比べれば安全だ。

勝利に包まれたスタジアムを後にしたとき、「日本に生まれてよかったな」と思った夜でした