洗練されたサントンと、ヨハネスブルグの宿 イスラム博士の出会い

南アフリカ諸国・冬編
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もっともアフリカらしくない場所。ヨハネスブルグから北へ10キロに位置する新興ビジネス街・サントンです。そして懐かしのピンボールマシンのある宿。

 

新都心・サントンへの道

荒廃したヨハネスブルグの都心から、

世界一治安悪いヨハネスブルグを大撮影!本当に危険なのか
決して真似しないように!この世界一危険な都市は、リアル北斗の拳で有名で、なんでもバスターミナルを出た瞬間襲われたり、通りを歩いただけでリレー方式で何度もボコボコにされるなど、悲劇はあとを絶たないという。 ただ、撮影した翌年2010年の...

北へ進むにつれて雰囲気も少しづつ変わり、

都心から10㎞行くと、新都心サントンに到着。ここまでくると、ヨハネス都心のようなみすぼらしさはなく、表参道や御堂筋のような新しい街のよそおいとなる

こうしてみると、もはや全くアフリカとは思えない。秋のロシアやヨーロッパのような素敵な雰囲気。

ジンバブエ同様、ヨハネスブルグも都心から白人が逃げ出したため、都心にはほとんどいなかった白人やカラードの姿を多く目にする。

サントンのショッピングモール・ネルソンマンデラスクエアは

https://nelsonmandelasquare.co.za/

非常に近代的で、かつ広い。プレトリアのメンリンパークよりもさらに高級感があふれている。

かつてはサントンスクエアだったショッピングモールも、2004年からネルソンマンデラスクエアに名前が変わり、巨大なる偉人がお出迎え。

アパルトヘイトの終わった南アでは、耐え忍ぶひとりの囚人から、偉大なるマンデラ大明神様になった。

プレトリアのメンリンパークでも見かけた、寿司や牡蠣などが食べれるシーフードレストラン。といってもここは海のあるダーバンから直線距離で506㎞、ケープタウンから1270㎞離れた内陸なのにかかわらず。鮮度が気になる。

このショッピングモールは、イスラーム向けの祈りの部屋もある

https://tabi1.com/prayer-room-nmsquare

 

世界的な企業やヨハンスブルグ証券取引所までも、都心からサントンやその近辺に移転(というか逃亡)している。

これから行くシンガポール航空の事務所もしかり。

低層型の建物。いまでこそハウトレインという安全な列車があるが、このときは自分の車かバイクか、タクシーを使うしかなかった。

ここに来た目的は、チケットの帰国日の変更。ここで対応したのは、なぜかサングラスをかけたダンデイな白人男性だった

シンガポール航空のパンフレットには、関根勤が出演?

寒い冬の雨。この風景、私がかつて住んでたオーストラリアのシドニーにそっくりである。

サントンのシンガポール航空近くのスーパーで買った弁当。これぞソウルフード。これで200円と安いのが救い。

ヨハネスブルグの宿

Johannesburg Gemini BP ドミ80 ツイン130(2009年当時)

https://www.geminibackpackers.co.za/

周辺の環境。サントンのようにこぎれいでもなく、ヨハネス都心のように恐ろしいわけではないが、自分がいたときは時はとても寒く、しかも連日ずっと冷たい雨が降っていたので最悪の天気だった。

そのせいか他の宿泊客(ほぼ白人の若者)の表情も非常に暗く、かといってヨハネスは治安が悪いので外を歩くこともままならないため、これまでにないおそろしく陰惨な雰囲気だった。

暖を取るために暖炉に薪をくべるのだが、暖まらない割りにすぐに室内が煙まみれになってしまい、それもとてもいやだった。石油ストーブとかの方がよっぽど効率的に思えるのだが・・

ミラクルなる出会い

そんな環境なので、「日本に帰りたい・・早く旅終えたい・・・」と完全に気が滅入ってたとき、一人の日本人がやってきた

その人は、

な、な、な、な、な、な、な、なんと!

まさかのしんじ氏だった

しんじくんとはお互い何のアポも取ってないのにかかわらず、ナイロビで会い、ウガンダで会い、そしてマラウイで別れて以来の、まさかまさかの偶然の再会に「奇跡だ!」と抱き合ってよろこび合った。

それまでの私は、山奥の墓場のような孤独な日々だったが、しんじくんが来たおかげで、だいぶ明るくなったのだ。

 

レトロなマシン

この宿の別館には、なぜかレトロなマシンが多くあって、気に入ってしまった。

レトロピンボールとしんじ氏

低迷時にショッピングモールでイスラム博士に出会った結果

あなたは、落ち込んだり、気分がサゲサゲですか?

そんな時にこそ、不思議な出会いのお話。

 

プレトリアでは、天気が良く、アフリカの旅に向けて意気揚々だった半年前と打って変わって、

半年ぶりに戻った時は雨の続く冬の惨めな天気で、とにかく寒く、気分が滅入ってしまい、死ぬほど憂うつである。

もうアフリカの旅に疲れ、ストレスがたまり、精魂尽き果て、

「日本に帰りたい。早く旅終えたい。こんな危険で物騒な国いやだ。」

と愚痴ばかりこぼしていた。

そんなある日のこと。

祈りの部屋

ヨハネスブルグから北へ10キロに位置する新興ビジネス街・サントンのショッピングモール・ネルソンマンデラスクエアは

https://nelsonmandelasquare.co.za/

非常に近代的で、かつ広い。プレトリアのメンリンパークよりもさらに高級感があふれている。

その中に、「Prayer room祈りの部屋」というのがあるので行ってみてのぞいてみた。

手足を洗うところと、カーペットの引いてある祈りの部屋がある。

手足を清める洗い場と、祈りの部屋。ここまでも洗練されている

邪魔するといけないので出たところ、メガネかけた男がイスラム的挨拶した(異教徒と区別する為か)
「君はムスリムかね?」

といわれたので、あまり変な答えをしたらまずいとおもい

「違います。日本からきました。プレイヤーズルームに興味があったのでのぞいてみました」
と正直に答えた。緊張する。

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すると

かれが後から出てきたおじさんにいきさつを話した。するとおじさんは

「ほう、この部屋に興味があったのか、じゃあ、コーヒーを飲もう。」

いきなり身の内話とかを話すのは正直乗り気ではなかったが、でも断ると逆におじさんの心情を悪くしそうだし、せっかくなのでお供するに事にした

おじさんとピザ屋に入った。

「私の名前はドクターなんとか、英語でプリシャスジュェル(尊い宝石)と言う意味だ」

思ったとおり、

彼はイスラムの素晴らしさを説き始めた。

君もムスリムにならないかね

イスラム教はとてもシンプルだ

ただひとつの神を信じればいいのだ。

アラーの神を。

 

我々はすべてのものを神に感謝する。

五体不満足だったら難しいでしょう。

こうしてピザを食べている。コーラを飲んでいる。

そういうすべてのことに感謝する。

生きている事に。

 

世界の15億人はイスラム教徒だ

我々は毎日5回の祈りを欠かせない。朝4時だ

朝4時は日の出の合図でもある
(ケニアとかでアザーンが流れて、どうりで目が覚める)

私はコーランの1から1000ページすべてを覚えている。(だからドクターなのだろうが)

 

キリスト教のバイブルは世界の国によって言語とかで変わってしまうが、

コーランはどこの世界でも共通なのだ

 

ブッダはチェンジ、チェンジで諸行無常だが、

イスラムは永久に不変である

 

わが祖先は150年前インド・グジャラート州からアフリカにやってきた

 

ほう、

君もケニアまで旅してきたのか。

 

私も以前マラウイまでサファリに行ってきたけど、

そのときに服とかお金をあげてきた。

彼らは貧しいから(すなわちイスラムの喜捨のことだね)

と、そんな話になった。

朝4時から始まる礼拝、豚肉ダメ、酒ダメ。ラマダーンの断食。

外野の人間からすれば、イスラム教はなんて大変でめんどうな宗教だろうかと思う。

この21世紀に理にかなっているとは言いがたい所もある。

しかし、

そういう厳しく古代の昔から続く不変の戒律があるからこそ、敬虔で本当にイスラムの教えを守っている彼は、幸せそうな顔をしている。

そして充実した顔をしている。大変な戒律を乗り越えた共通の仲間、いや兄弟意識があるのだ

(でも日本のサラリーマンもイスラムなみの束縛があるかもしれないが)

きっと敬虔なムスリムの彼は、貧乏人にもわたしのような人間にも施しをして、ムスリムの素晴らしさを説いて、そうして徳を積んで、そうすれば周囲からいい評価をされ、いい収入、仕事がもらえる。

それに比べて

それに比べて自分はなんだ。

なにをしてもどこへ言っても自由な身分、にかかわらずこのところ不満ばかり漏らしているじゃないか。憂鬱な顔、孤独な日々。

よくよく考えてみると、自分のことばかり考えてしまっている。われながら自己中心的なやつだ。

でも、彼のように八方美人にはなれないだろうなあ。

まとめ

このムスリムの博士に会ったことで、孤独だった自分の心が少し変わってきた。

ムスリムの博士と面といろいろ話したことで、なんかヒントをもらったような気がした。

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