ただの旅人が、日本人駐在員の宴会に参加してみた! グルガオン

インド2019
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あまりにも過酷すぎる環境で働くインドの日本人駐在員。普通の旅人では見ることのできない日本人社会はどんなものなのでしょうか?

2月7日

11時ぐらいに起きたものの、スヌーズで12時過ぎ起きる

屋上に出ると、天気曇り。うすら寒い風が吹く。ズボン下着はしっかり渇いていた。靴下が全然乾いてないが、履いてるうちに何とかなる。

インド人のほかにはマナーの悪い外人(白人)も集団でとなりの部屋に泊まってて、そういうのにあたると悲惨。

もうこの部屋にいるのがいやになり、孤独感が増しそうなのではやく日本人宿サンタナに移ろうかと思う

ところできょうは、明日で赴任を終えるAさんのお別れ会をするというので、早めにグルガオンに行く

デリーメトロの席の中でPCで日記を書いていると、隣に座ってきた制服の学生が見事に黙ってPCをのぞきこんでいる。モロにガン見である。まあ向こうは読めない日本語だからいいけど。インド人はとにかく好奇心旺盛である。

インド人のむき出し丸出しの好奇心は、昔ほどではなくなったけど。19年前のインドの田舎はもう半端なくすごかった。

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乗り始めはオフラインなので日記書き。そしてQutab Minar駅あたりから地下から高架部になるので、テザリングを使えるのでネットもできる

それにしてもメトロの中でPC作業は実にいい。閉塞感だらけの宿の部屋とはえらいちがう。レッツノートだと電池が本当に4時間以上は楽に持つので、ほんとうにいい。SSDに変えてからさらに長くなった。以前のPCだと1時間半ももたなかった。

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テザリングでネット。グル・ドロナチャリャ駅はいかにもインドっぽい駅名だ。

そしていつものMGロード駅着。グルガオン某所にバイクを預けていたので、修理に行こうと思ってたが、大雨が降ってきたので中断して戻る。

きのうと同じく、フードコートのMAKOTO UDONにて、うどん160ルピーと麦茶20ルピー、サービス税で189ルピー。

この時期としては珍しくいきなり大雨と雷鳴。それを聴きながら食す。

しかしショッピングモールに、日本人だけでないローカル向けの日本食レストランがあるのがびっくり。4年前はそういうのはなかった。

駐在のひといわく、この界わいの日本食は、最初はいまいちだったけど今ではだいぶうまくなったという。物価はたしかにそれなりにするけど、意外と高くない印象。

 

宴会会場の中華料理屋へ

夜、MGロードから、ラピッドメトロ沿いの「Sector54」というSFの都市っぽい新興都市へ行く。

AKIRAに出てきそうなSF近未来的な街並みかと思ってたら、夜だったこともあって建設途上の街並みは、確かにそれに近い雰囲気だった。

MGロードからラピッドメトロ沿いの中華屋まで、駅前にいたオートリキシャで100ルピーだった

 

今日の宴の店。インドと中国は敵対してる国同士なので、本中華の店は皆無といっていい。ネパール人が作る中華もどき料理の店はどこにでもあるが、デリーのような大都会なら、本物の中華料理店が何軒かある

本中華のため、インド人はあまりおらず、ほかのテーブルを見ると、日本人や中国系の人もいた

そこで駐在員の人々と飲み会。旅行者とは別々の世界なので、日本人駐在の話は、芸能人の話から日本人コミュニティの話まで、何気ない話でも、どれもとても興味深かった。

みんな普通に英語を話せ、日本代表としてインドに駐在しているエリートなのだ。そんな中に私のようなへっぽこ人間が、Aさんつながりということで紛れ込んでしまった

ここの料理は

玉子焼きとトマト炒め
青梗菜
鳥肉とねぎのピーナツあんかけ炒め
チンジャオロース
モモ(定番のインドネパール的ぎょうざ)
スイートサワーな野菜炒めあんかけ(変な匂いとかいってた)

花椒のしびれるような辛さがいかにも本物中華といったところか。インドなのか豚肉や牛肉はなかった。

どんな話なのか

まずは日本の芸能界の話題になり、「クロちゃんがヤバい」だの、そんなたわいもない話。
最近は日本の芸能とかはYouTubeでも見れるといってた。便利な時代だ。20年前に旅を始めて以降、年々便利になっていく。

そして日本のライブやコンサートなどの話になり、ライブ好きが高じて、ひとりでもライブにいくというある一人は、エレカシの客はば〇あが多いなど、妙な本音が出てくる。

現採(現地採用)から入ると、気が付けば出世したなあ、という人もいたり。

そして日本からインドへの飛行機の話。

日本の一流企業の駐在の人だと、当然レガシーキャリアを使うのだが

「ジャルとANAはちがう。
ジャルはおにぎりがでてくる、ハーゲンダッツも好きに出てくる
しかしそのハーゲンダッツは、後ろの席に座ることが多いので、その時は後ろまで回ってこなかった」といっていた。

それを聴いてるうちに、LCCばかり乗ってる自分が、恥ずかしくなるのだった

その時は私は彼らの話をにこやかに聞いてたものの、ついに話を振られたので、思い切って「成田からバンコクまで片道1万円で来ました」というとさすがに驚かれたけど。

でも旅人なりの独特の経験があるのだから、誇り高くしてればいい。

そして宴もたけなわというところで、

やっとこさ最後になって、やっと主役のAさんがやってきた。残務に追われていたらしい

お代は、

中華6皿ぐらいとビール6990ルピー。さらに中国人の店主からプレゼントにイギリスのスコッチもいただいた。

6990ルピーと言うとインドの物価からするとものすごく高い!が、日本で考えればひとりあたり1165ルピー、1800円となので、日本の居酒屋を思えば安い!

しかも日本の一流大企業の駐在員Zさんが払ってくれて、「ひとりあたり500ルピーでいい」とのこと。

この場を借りて、Zさんごちそうさまでした。ありがとうございました。

帰りはウーバーを使ってシカンダールプルで乗る。

初めて乗ったけど、普通のタクシーとさほど変わりはない。日本人駐在員はウーバーを当たり前のように使いこなす。

Zさんは明日朝一でアーメダ(アーメダバード)に向かうといった。

AさんもZさんも、シビアな環境のインドで、みんな想像以上の大激務をこなしてるので、のほほんとしてるたびいちは、肩身が恐縮であった。

シカンダプル駅で一足先にウーバーを降ろしてもらうと、星空がはっきり見えた。ノイダではひょうが雪のようになったという。

こうして終電だと思われる深夜の電車に乗り込み、ニューデリーに戻ったのだった

ニューデリー駅からの帰り途中は、真っ暗で人が誰も歩いてない場所もあって、不気味だった。

帰宅後洗濯。外11.5℃。

朝 水 むんぐだる スナック菓子15g
昼 カレー ダール サブジー うどん160 麦茶20 計189
夜 中華料理500

2月8日 最後の別れ

昨夜の宴の余韻とあってか4時前に寝たので、11時20分ごろ起床 大急ぎでサンタナの部屋を見に行く。
1時過ぎ、天気もばっちり。昨夜の雨で、汚かったデリーの空気も少し良くなった。

ドミトリーしか空いてなかったが、初日は合宿のような雰囲気も悪くないかも。駐在と旅人の差を比べるのも一興。

きょうは金曜日で、ついにAさんともお別れだ。夕方まで仕事して、夜の飛行機で日本に帰るのだ。Aさんどんだけ働きものなんだろう。

 

たびいちも、ゴルゴににらまれながら「仕事」。

夕方5時ぐらいに見送ったらそのあとディーラーへ行こうと思ったが、Aさんの仕事が6時半まで長引いたので、結局ディーラーには行けず。

最後のあいさつ代わりに、Aさんはレジデンシーのスタッフ4人+運転手にそれぞれチップをわたしていた

4年前にも書いたが、当時貧乏女子大生だったAさんは、出世し、さらに4年前よりも大出世した。
Aさんは本当に仕事に追われて時間がないのがわかった。

西遊レジデンシーで、大急ぎで空港に向かうAさんを見送った。

次会うとしたら、東京かな。

ということで、無事見送りも終わって別れを告げたら、メトロで宿に帰るのだが、まだ早い時間に帰るので、帰りのメトロは大混雑。
あまりにラッシュアワーなので2本とばしたけど、結局座れず。PCを開く気にもなれず。

Aさんたちほどではないけど、我ながら本当に毎日が忙しい。たとえ単車が万全でも、あさって日曜日出発は難しいぐらい。

修理が長引きそうだが、そのぶんサンタナで記事書いて埋め合わせすればいい。4年前はデリーに2週間いたことだし。

華麗に痛い目に合う

ニューデリー駅に到着して、駅前の食堂で魚カレーを食べたら、骨が多いのだが、不覚にも骨がのどに刺さってしまった!

おまけに185ルピー請求され見事にぼったくられた。普通だったら抗議してただろうけど、いままさに魚の骨が刺さってるのでそれどころじゃない。

夕食に食べた魚は、骨がやたら多かったから、注意深く食べたのにかかわらず。取れたのかどうかはわからないが、いまでものどの左右がまだ痛む。己の体の腰抜けぶりに本当に凹む。

気温20.4/9.0

昼 チャイ10 ちょこぱい30 サムズアップ30(MRP35)

夜 フィッシュカリー185

その翌日、Aさんが帰った関東は雪が降っていた。そんな時期。

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