首都カンパラから、さらに西へ。
さらにアフリカの奥に進むたびいちに、
何が待ち受けているのでしょうか。
まずはたびいちの近況を
9月になり、アフリカ旅の連載を再開するようになってからは、好調になってきました
先月までは、記事づくりのネタが普段の日常だけだと、はかどらないし、とにかく暑くてへばっていた。
でも夏が終わってしのぎやすく、アフリカの旅記事は進んで書きたい記事なので、水を得た魚のように記事づくりがはかどります。
しかし、今月になってからは関西の台風で、関空が閉鎖されるなどのあれだけの大被害を出しながら、次は北海道地震で道内全部停電という、前代未聞の事態。
思えば7月にも西日本で大洪水があったばかりだから、この国は呪われているのではないか?とすら思ってしまいます。
皮肉にも、台風によってたびいちドットコムのPVが急上昇し、どこか申し訳ない。
例えばこの記事は、関西の台風の停電でヒットして、それがひと段落したと思ったら、今度は北海道地震の大停電で一位をキープしています
そして、北海道地震からは、この記事が二番手として注目されるようになりました。きっとアルカリ電池などでスマホを稼働させられるかと模索している姿が目に浮かびます。
かたや自分は埼玉で、いままで通りにふつうに平和に生活しているので、申し訳ない。
だけど。自分の書いた記事が、結果的には緊急時に役に立っているので、
「もっともっと人のために、役立つ記事をどんどん書きまくろう!」
とさらなる決意をかためました
私の場合、このサイトで役立つことを書けばネットを通じて効果が何倍、何百倍にも増幅されるので、下手にボランティアに行くよりも、よっぽど世の役に立てられる。
すなわち自分の得意なことを生かし、情報を発信したほうがよほど適材適所だと再認識したわけです。
被害にあわれた方には申し訳ない気持ちもあれども、困ってる人の役に立ち、それでお金になるのなら、一石二鳥なので、覇気と誇りを持ってどんどん貪欲にサイト作りをがんばっていきたい。
ということで、
電気だけでなく水道もない僻地の学校に向かうの巻。
ウガンダの僻地の「日本人経営の学校」とは何か?
2009年3月8日。
実は昨日の7日は迷っていた。
それは、ウガンダの辺境にある、ひとりの日本人が運営する孤児院&学校に行くかどうか。
その学校はカンパラから西に190km、タンザニア国境に近い名も無き村にあり、電気も水道も無い生活を生徒たちと送っている。
その学校を知ったきっかけは、ナイロビのニューケニヤロッジや、ABCホテルに置いてある日本語の情報ノートを見ると、その学校・孤児院の訪問記が、これでもか!これでもか!とわんさとかかれているのだ。
当時、アフリカを旅するバックパッカーにとってボランティアがブームのようらしく、多くの日本人バックパッカーがボランティアとしてその学校を訪れている。
きのうはカンパラを出発したのだが、そのことで悩んでしまい、行先をビクトリア湖に変更して、結局カンパラのABCに戻ってしまった。
カンパラから学校までは190kmと遠いので、1日悩み考えた挙句、路上の電話屋さんから学校の校長で経営者のカマウ氏の携帯に直接電話した。
カマウ氏の応対次第では行くのやめようかとすら思ってたが、電話越しの声からは快く迎えてくれるようなので、行くことに決心した。
なぜ辺境の学校に行くのか
といっても自分には、「貧しい人々を救おう!」とか、「子供たちに教育を!」といった、ボランティア志願者によくありがちな、その手の正義的な情熱はなかった。
行く動機というのは、たんなる思い付きだった。
「アフリカの奥地に根ざして住まうカマウは、いったいどんな人間なのか?」
ただそれだけだった。
なお、カマウ氏はウガンダ人ではなく、生粋の日本人である。もちろん本名ではない。
カマウという名まえは現地ではポピュラーネームだが、日本語でも「(人に)構う」という意味も含む。彼は三里塚闘争に参加後アフリカに学校設立のため、まずはロンドンにわたり、日本大使館で現地採用をえてナイロビに入り、以後35年アフリカでくらす様になる。
こんな辺境の不便な地で、どんな人たちがボランティアし、共同生活をしているのか。そこに興味があっただけだった。
だいたい、たかが3~4日手伝いをちょこちょこやるぐらいじゃ、ボランティアどころか、ただ邪魔しに行くだけなのは目に見えている。ので、「辺境の孤児院学校視察訪問」ぐらいにしかならない。
ここまでの道中、宿に泊まるときにせよ、レストランに入る時にせよ、自分はいつもお膳立てされる「客」としての存在だった。
が、そんな旅も正直言って飽きはじめてきた。
だからたまには気分を入れ替えて、人のために汗を流して働くのもいいじゃないかという気分だった
アフリカの韓国料理 冷麺
ソーセージ串とチャパティの朝食後、首都カンパラのABCホテルを出発。その前に、昼食。
僻地の学校にいる間は粗食になるので、豪勢に高級(?)レストランへ行く。
カンパラでは日本料理店は見当たらなかったが、韓国料理店があって、それなら日本料理と近い。そのため日本の駐在員も利用する店。
それがArirang アリランという韓国朝鮮料理店だけど、門番などは中国人だった。そういえばフロントでは中国風の菓子パンなども売っていた。中韓2か国対応。
接待用なのか、座敷の個室もあった
冷麺を注文すると、韓流らしく、前菜がいろいろ出てくる。キムチ、落花生の水煮、キャベツの漬物。
冷麺。後ろにあるのはキンパプ(のりまき)。本格派。うまい。このほかにパインもついた。
これだけ豪勢だったのに、682円と、思った以上に安かった。
しかもいいレストランなのに、盛岡の冷麺よりもずっとお得だった
ウガンダの赤道
首都カンパラからタンザニア国境に近い学校に向かった
半分ロンドン(?)なゲストハウス
これがウガンダの流行なのかな
国道沿いの村では、ドラムづくりも盛んの様子。
再び赤道で、南半球へ。しかしここではGPSのしめす緯度とモニュメントでは、ずれている
そして、理科の実験だけど、水を注ぐと赤道またいで北と南では渦の向きが変わるという
しかし聞くところによると、数十メートルぐらいじゃ意味はないとの話だし、付近には誰もいなかったし、やるとやたらお金をふっかけられそうなので、このままやらずに立ち去った。
しかし!いま思うとネタになったので、お金を払ってでも気のすむまでやって検証すればよかった!後悔。
水たまりでバイクの洗車をする村人衆
細い道路なのに、なんと制限速度が100キロ。東名高速と同じなんて、そんなご冗談を!
さすがに100キロで飛ばしてる車は見かけなかったが、でも夜間はこわいだろうな。
自分は125㏄バイクなので、70キロぐらいで走ってた。日本みたいにねずみ捕りを全く気にする必要がないのがうれしい。
僻地の学校に到着
標識のあまりの判りにくさの為、途中の町で道を間違えてしまい、(後日車でやってきたJICAスタッフも間違えていた)なんと140kmも無駄に走ってしまう。
おかげで夜に到着し、真っ暗な中仲間の一人が懐中電灯持って迎えてくれた。
さあ、これからどんな日が待っているんだろう?