3/12 パンガン島からフェリーで本土・スラーターニー駅の移動

東南アジア旅2025
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島めぐりも終わり、パンガン島からいよいよ本土へ戻る。

島々を結ぶ船は、旅客のみを載せるボートタイプだったが、このパンガンから本土行きは、車やトラックも載せるフェリーである

日本のフェリーじゃ考えられないが、トラックが出てくる中で人も出ようとする。

前のほうにエアコン室(左下)もあったが、無料のようだ。
しかしエアコン室はなぜかタイ・ミャンマー人しかいない
西洋組は真ん中のファンルーム(右下)や、後方のデッキにすわってる。ファンルームの後方には売店もある。

時刻表(左上)。サムイから港までフェリーのみだと250バーツ、スラーターニーの街中まで390、スラーターニー駅まで450、空港まで570。午前発の便は空港まで行ける。

今回の本土行きは、揺れも少なくて割と快適だ。20キロぐらいで航行。

そのためフェリー内でデジカメとGoProのバックアップを取る
パンガン島では忙しかったので地味な作業するヒマがなかった。

ずっとバッグに眠っていた博多一風堂のカップ麺があるので、ファンルーム後方にある給湯器のお湯を拝借

お湯はぬるくなってたが、このところずっと日本料理とは無縁だったので、意味を感じないぐらいすごくうまい。洋上で食べるとめちゃくちゃ旨味を感じた

もう陸上接近。PC閉じる バッテリーのこり73%
本土が見えて来た
こうしてみると、なんだか「タイの海賊王」になった気分かも

サムイ島の後は一泊だけパンガン島に戻り、昼にパンガンを出て夕方本土のスラーターニーに戻ってきた。疲れた。

本土・ドンサク港に到着。鈍作?

 

港から70キロ以上先のスラーターニーの街へ行く

フェリーを出て、港にはバンコク行きであろう観光バスと、ハイエースバンの2台があったが、トムボーイな現地女子スタッフにジョイントチケットを見せると、ハイエースのほうに乗れと言う

乗客は自分以外だいたい若い西洋人バックパッカーで、ゴルゴ松本に似た運転手だがまあすごい

シートベルトせず新東名の速度でぶっ飛ばし、さらにとなりの中国人客とスマホをやり取りしながら運転するという超人的多芸的な運転テクニックを発揮

日本人からすればクレーム必至のコンプラ無視上等の命知らずの冷や汗ものだろうけど、運転にものすごい自信があるのだろう

かたや日本は意地悪なぐらいにがんじがらめで過保護でとろくて走りにくくてストレスフルなので、このちがいはなんなのだろうと考えた。
ゴルゴの超能力運転が正常なのか異常なのか、日本が正常なのか異常なのか。

でも、いまの日本のように異常に安全を重視しすぎて、冒険を遠ざけ、老人優先主義の過保護社会になると、もし敵国が理不尽に攻めてきたらどうするんか?本来人間が持つサバイバル的な生き抜く本能を退化させ、諸外国の発展から置いてきぼりにされ、陰湿な息苦しい国になってきてるのでは。

人間、アドベンチャーは必要だ。コロナ後、物価も高く治安の悪い海外にわざわざ行く人なんて当然減っているが、逆に日本にいると退化すると勝手に思ってる。豪快にダイナミックに生きたい。

1時間後の18時過ぎ、スラーターニーの街中、Cityに到着。オフィス前で降ろされる。オフィスにはサムイ諸島行きのフェリーの代理店があり、すぐ近くにタラートカセット1(バスターミナル)がある

14年ぶりに来たスラーターニーなので、街を散策してからバスで駅にいきたかったのだが14年も経つと何があるかもわからず、もう暗くなったのですぐに駅に行くことにした

このスラーターニーの街から、スラーターニー駅まで14㎞と異様に遠い。

街から駅は路線バスがあって20バーツで乗れるのだが、どうやら朝から夕方までのようだ。

タラートカセット1には
ソンテウが客引きするのだが、駅まで400だの200だのとぼったくり。しかもインドのようにしつこくて超うざい。こういう街はきらいだ。
14年前来た時はレンタルバイクで来たが、やはりこの町の印象がよくなかった。

18時半、ソンテウの客引きが本当にしつこいので、
利害のないであろうバスターミナル内の食堂の若い夫婦に尋ねてみると、もう路線バスは終わったという

となるとチェンマイのようなタクシー型の流しのソンテウを拾うしかない。ここのソンテウは軽トラサイズとは言え、1人で乗ると割高になる

14キロを歩くと4時間かかるけど、途中でほかのバスや、同方向へ向かうソンテウにあいのりするか、あるいはヒッチすればどうにかなるだろう。
流しのソンテウやバイタクだったら、あそこまでひどくはぼったくられないはずだ。

そう思いながら駅に向けて歩き、何百メートルか進んだバス停で一休みしていると
早速ソンテウがやってきた

「サタニー・ロッファイ(駅)まで」というと、200だ、150だと言い張る
「ペーッシッバー ダイマイ?(80バーツでできないか)」と言ったら断られて去ったものの
そのソンテウが少し離れた場所で泊まってる。これはきっと相手も考えてる証拠だ

そこで私がもう一度ソンテウに行くと
「100ならどうか」と提案してきたので

(よし、100なら許容範囲だ!)

ということであっさり交渉成立。

タイもガソリン代が日本並みに高くなったのを知ってるので、14㎞先となれば軽トラのソンテウだと費用的に結構な割合になるので、距離的に100なら妥当。あまりに値切るのは鬼である。自分も自営で配達員をやるようになったのでその点は理解できる。

そんあこんなであっけなくwinwinで駅までくることができた
でも夜は安い路線バスが運航してなかったのが失敗。

これを読んでるみなさんは

島からスラーターニー駅やスラーターニー空港に行く場合のジョイントチケットは、スラーターニーCityで降りず、ダイレクトに駅や空港に行くことを強く勧める。

私の場合14年ぶりのスラーターニーの街に立ち寄りたかったのでたまたま途中下車したが、ぼったくりマンまみれのすれっからしなスラーターニーは、用が無ければ寄る価値のない街なので。

しかし駅のある近郊の町プンピンは擦れてないのでお勧め。
プンピンはお手ごろな宿もあるし庶民物価は本当に安い

スラーターニー駅近くの屋台のビーフヌードル60バーツだが、串揚げはなんと5バーツ
近くの病院の看護婦が串揚げを買いに来てた

14年前に泊まった駅東口近くのクイーンホテルは、当時一泊230バーツ(621円)と安かったが、内装も改築されて見栄えが良くなった分、いまや安い部屋でも500バーツ(2300円)で、空いてるのは700しかないのでパス。14年で4倍近い高騰。

2011年と2025年のQueen Hotel

そこで歩道橋で線路をこえた駅西にある「Nadpob Mansion ナドポブマンション」はバスルーム冷蔵庫WiFiテレビ付き390と安いのでそこに泊まる

しかし390バーツ(1794円)で安いと思ってしまうあたり、島物価に麻痺してきた証拠だ。
そもそも昔は200バーツ以下で泊まっていたので。

若い頃のタイは数十円で食事ができ、安宿も1泊300~500円ぐらいの夢のような時代だった。そのため日本からの若いバックパッカーがわんさといたし、自分も存分に外こもりをしてたが

その後の円安バーツ高と、タイ経済発展の物価高のWパンチゆえにタイも安くなくなり、あまりの宿泊費の高騰に泣かされっぱなしだ。バンコクを出てからは日本人バックパッカーはめっきり見かけなかった。代わりに駅前の食堂では、ゴルフ帰り風の60才ぐらいの2人の日本人おじさんがビールを空けていた。

若い世代は、金銭的なハードルゆえに熱意がないと本当に旅ができなくなっている。昔はいまの若人がうらやむぐらいに恵まれてた時代だったんだなと再認識。

島から戻って駅に着いたので、帰りの寝台列車を早速予約をした。これも一労働だった

なのできょうは朝から深夜まで、怒涛の展開でギッシリ充実した一日だった。1時13分寝る

朝 かしパン Coffee
昼 いちご牛乳半額6.75ビタミンゼリー割高15 一風堂赤30
夜 ヌードルスープビーフ60 串揚げ5×6
宿 PhunPhin Nadpob Mansion #222 390
走行 46km

 

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