7月7日
何もかも正反対なインドにどっぷり浸り、ひさしぶりの日本と言う、逆culture shock。これも日本でありながら異国気分を味わえる貴重な経験なので、ある意味楽しみです。
4年前のインド帰りはこちらもご覧ください
バンコクから成田への帰国便のタイライオンエアは、この記事に追記しました
日本帰国 成田空港に到着。
飛行機を降りて、しばらく歩くと・・
小学生のころスーパーマリオブラザーズにはまってた身としては、思わず脊髄反射的に写真を撮ってしまう。
英語とかだと「ようこそ」だけど日本語だと「おかえり」
あの小学生の頃、30年以上たってもマリオシリーズは人気継続中だとは思ってもなかった。
そして、税関を出ると、任天堂のブースもあった
帰国スタンプについて
外国人は大混雑しているが、日本人ブースは顔認証ブースがあって、すんなり。
なお、黙ってると帰国スタンプはもらえないので、押してもらう。
2泊とか1週間ぐらいの旅行なら、たしかに帰国スタンプは押してもらう必要は無いが、住民票を抜いたりとか、私のように長期で旅してる人間は、あとで必要になった時に帰国日証明となるスタンプが無いと困るからだ。
入管のスタンスとしては、必要な人だけスタンプを押してください、とのことで、せっかく人件費削減のために顔認証してるのに、いちいちスタンプ押してたら職員の手間が増えるからだろう
税関では、インド帰りだけど、特に調べもせず、ついに日本に帰ってきた。
多目的トイレに感動する。こんないいトイレは、インドにはありえなかった。トロリーも丸ごと中に入れれるので、安心して用便ができる。そしてあらためて身支度をする。
空港バス
この時期は、晴れていればバンコクに近いぐらい暑いことが多いのだが、梅雨の時期なので雨が降っている。
外の気温21℃。バンコクでも雨期だが、違うのは、肌寒いことだ。やっとこさ猛暑地獄脱出。
行きと同じく帰りも千円バス。バスについてはここに追記します
ちょうど60分後の12時半過ぎに、東京駅近くのバス乗車所についた。
そして向かうは、東京駅八重洲地下街。
インド帰りが東京の南インドカレーを味わう
このあと、八重洲の地下街で仲間が待ってくれてるのでそこへ急ぐ。
空港ターミナルとちがって、地下街の照明はどこか暗め。震災が終わって、いまなお節電してるのだろうか
今月はずっと体調悪く、耳栓をしてるような閉塞感 歩くとびゅわーとなったりする
そして仲間と再会&はじめましての人もいる。
目的のカレー店はお昼なので行列している。こういうところが東京だよなあ。
なのでまずは喫茶店へ。インドやタイのコーヒーとちがって、コーヒーは甘くない。東京は甘くない。
そして、待ちに待ったカレー店。
南インドのカレー店とあって、なつかしのタミル語が見える。といっても今回はタミルには行かなかったが
なお、日本のインドカレー店というと、だいたい厨房もウェイターもインド人やネパール人がほとんどなのだが、ここでは注文や制作などは日本人のスタッフだった。いかにもインド旅したことあるよって感じのスタッフだった。
二品のカレーを注文。お味のほうはと言うと。なんかレトルトのような味がした
ベジカレーはレトルトのような味、ノンベジ的コクがあってマイルドでベジカレーと言う気がしない。マトンカレーのほうが塩辛い。白いのはヨーグルト。
仲間はみんなごはんのおかわりしている
インド帰りなもんで、調子に乗って手づかみでくったった。しかしインドとちがって手を洗うところが無かった。おかげでカレーのにおいが指にしばらく沁みついてしまったぞい。
歓迎会(?)も終わり、東京駅へ。
ルールがうるさい東京の地下街だった。
そんななか、異常な静けさ アナウンス。
無言の待合室にいると、うるさいインド帰りで、やっていけるのか不安になる
一番乗りでホームに乗っているので座れた
帰国後の列車の中で、いかにも今風のメイク(オルチャンメイク?)してる若い女子を見かける。長旅から帰国するたびに流行も変わっている。自分が20代の時、30代の時、そして40代のいまと。電車で見る「定観測」のトレンドの移り変わりが面白い。
https://tabi1.com/fashion-1997-to-2017
そして地元駅に到着。そういえばインド行くときは真冬で朝は氷点下だったので長ズボン・靴、Tシャツの上にワイシャツ2枚重ねしてその上にコートと言う、真冬の格好だったが、帰りはTシャツ・タンパン・サンダル履きで帰ってきた。
ついについに、帰った!コルカタはモンスーンの雨、バンコクもずっと雨期の雨、そして関東も梅雨寒の雨。
半年ぶりに日本に帰ると、しかもインドやタイから日本に帰ると、あらためて静かで清潔で秩序があるということ。まるでインド惑星から故郷に帰還した気分だ
これこそが日本の良さ。
インドはおおらかに豪快にうるさいぐらいに他者を気遣うけど、日本でも、帰りの電車とかで日本人的に気遣い合っていることがわかった。インドの反動で今後の日本での生活は不安があるけど、まあなんとかやっていけそうな気がする・・かな?
日本に帰って、体重計測ると、出発前に比べて体重6㎏か7㎏は痩せた!出発前の真冬はブーデーだったから、我ながら顔つきもいい!インドダイエット成功!でも日本で冬になるとリバウンドするだろうから、なんとしてでも体重管理せんと。20時
そういえば、インドは西暦、タイは仏暦なので、自分にとって日本に帰国した7月7日こそが「令和の始まった日」と言う気がする
朝 ツナサンド 水
昼 コーヒー 南インド風カレー
夜
7月8日 帰国2日目
日本の家で目覚めたのに、まだ海外にいるような、非現実的な朝。目やにとセキで体調悪く、やつれてる。日本帰国直後は半分外人状態。
鼻づまりがひどいせいか、耳栓してるような状態だった
夕方6時。今日は体調不良で、ずっと寝ていた。何も追われない一日。おかげでだいぶ症状も改善してきた。というのもきのうまではずっとインド・タイ・日本と毎日何かに追われる、忙しく目まぐるしい日々だったので、体の時間についていけず体調壊すのも無理もないね
7月9日 帰国3日目
体調不良のピークは過ぎたとはいえ、まだまだセキなどが残る。
やっと荷物の整理や片づけなどをする。ずっとじめじめした梅雨寒だけど、インドの殺人級暑さを思えば、活動しやすい気温なので、逆にラッキーだ。
帰国してびっくりしたこと。それはうちのGSR250 は半年放置したのに、バッテリーつなげてセルボタン押したら一発でエンジンがかかった!そんなすごいいいバイクGSR250 だった
7月10日 帰国4日目
あいかわらず体調不良。さっき令和ではなく「冷和」と言うツイートを見かけた たしかに左に二をくっつけりゃ「凍京」になるし。
インドから戻ると、日本社会はどこか冷たい気がする。同じくインドから帰国した旅仲間も「東京はなんだか寂しい。みんな深刻な顔してる人多い」と言ってた
暑苦しいぐらいのホットなインド帰りからすれば、冷和は当たってると思う。その破天荒なインドと、日本の冷めたギャップを今後どうポジティブに生かすかが課題だと思う。なぜなら「冷和」は、英語にすると「Cool Japan」ではないか(笑)
7月11日 帰国5日目
極熱地獄インドから戻ると、冷夏とはいえ自分にとって恵みの冷夏かもしれない
すずしいおかげで、体に負担もかからず、記事作りが進む君。日本戻っていまだにせんぷーきを回してないぐらいだ。とりあえずは冷夏、Bravo。
インド帰りの日本の運転の適応について
帰国後GSR250を運転。
交通マナーの大崩壊したインドでは、私も散々めちゃくちゃな運転をしてきた
が、日本でその運転をすると、免許書何枚あっても足りないし、マナー的に間違いなく人間性を疑われて絶対マズいので、ガラッと変えて教習所並の品行方正ジェントルな運転をしてみた。
その結果、日本は静かでルールもマナーもあるので、意外にもあっという間に日本式運転に戻れて、懸念してた気分もすーっとした。
そういえば先日見つけたのが、GSR250に乗った女子が、インスタ映えする神社を行くの巻。
GSRでのご近所巡りでかもしだす、水どう風の独特のゆるさが、インド帰りの自分にとって逆に新鮮。
https://www.youtube.com/channel/UCvWFh7HrVa5eUS3MEUHOSkw
帰国後の変化と、今後の人生について考えたこと
パリ症候群ならぬ、タイ症候群である
20年以上タイに行き来し、タイマッサージの資格もとったほどだが、いろいろつらいことにあってタイの移住欲はもう消失した!
それとは引き換えに、我が祖国・日本に目が向くようになってきたのだ。
ブッダガヤの日本寺院にいるうちに、日本に帰ったら、寺社仏閣めぐりもいいな、なんて思うようになってきたのだ。
ついこないだまでは、日本のツーリングなんてまったく興味もなく、目もくれなかったのに。
インドの道も、田舎に行くとこんな感じだった。
真面目すぎる日本人。インド人やらフランス人や他の外国人のように、いい加減くらいでないと。なんとかなる、テキトー感覚を身につけないと、世界のどこでも生きづらいものだ。
「健康優良不良中年」であるたびいちは、日本のまじめすぎる部分に息苦しさを感じていた。
なにまじめくさってんだよ、もっとテキトーに生きろよと。
基本はまじめだけど、その反面、いい加減に我が道で生きているわけだが、そういう人間は日本ではダメ人間として忌み嫌われる。
だったら海外に活路を見出そうと、タイ移住を模索した。
しかし年とともに、タイやインドで打ちのめされるうちに、日本のいい面の環境が心地よくなってきているのだと思う
たとえば日本でも地域にもよるけど、静かに生活できるというのは、本当に素晴らしい!!
インドやタイのうるささは、時として拷問に等しい。
それでもインドはほかの外国に比べると好きなほうだ。だけど夏は異常に暑苦しく、死ぬほどうるさく汚いインドは絶対住みたくない(笑)
かといってタイも全然住みたいと思わなくなった。タイ移住が大変なのもあるけど、パタヤのやぶ医者のせいで、半年たってもいまだに手術痕がヒリヒリしたりかゆみが残るし。いろんな意味で幻滅した。海外はいろいろとめんどくさいのだ。
となれば結局は祖国日本で骨をうずめるわけで。
まあ近年日本もすんげえいやなムードになってきとるけど、かといって若いころに思い描いていた海外移住という野心もなくなった。
メジャーなトラベルブロガーを目指すとなると、修羅の路だ。
ハイテクなネット社会になった現在は、目に見えない締め付けが増しており、失敗すると社会から袋叩きにされる。
そこを生き抜くためにも、強くてふてぶてしいぐらいの強盛大国ならぬ強盛中年を目ざしたい。
強盛中年と書くと、バイア〇ラとかすっぽんエキスで精力むんむんにみなぎってるように見えるわいな。
一眼レフと投票券をもって祭に行った
きのうは一眼レフと投票券をもって、町に行ってきました
期日前投票と熊谷うちわ祭りに行ってきました
ということで、
今日も役に立たない日常生活のつぶやき記事になります。
インド旅の記事作りは、とても手間と時間がかかるので作成中の記事が溜まっている。でもがんばらんといかんです。すいません。
期日前投票の会場は熊谷駅ビルティアラ21の4F。
じつはこのティアラ21、以前インド報告会したときと全く同じ4Fの同じ部屋だったのだが、今回はとなりの部屋だった。
意外にどこの党に入れるかが悩んでしまった。悩んである間に、かすかに祭囃子が聞こえるのがいい。
投票後は、駅前に集結する山車を見る。いつ見ても圧巻だが、当然人が多いので写真は撮りづらかった
インドのようなめちゃくちゃな国から帰って、うちわ祭りをみてると、日本に戻ってきたんだなと改めて実感する
思えば長旅は、夏に合わせて帰ってきている。2001年、10年、13年、15年、18年、そして19年と。
そしてインド帰りだからこそ、日本の秩序がありがたく感じるようになった
タイとインドに懲りたその先
それは今回の旅のタイとインドで、いろいろ懲りてしまったのだ
パタヤのやぶ医者の手術によって、抜糸から5か月たった今でも、かゆさなどの違和感がある。あまり治ってない気がするのだ。心から大後悔。すっかりタイがいやになってしまったのだ。
そしてインドでもいろいろ大変な目に遭った。
一眼レフを持ちながらインド一周したからと言って、プロの写真家になれるわけじゃない。
となると、今まで世界にしか目が向いてなかった自分が、
今度は日本に目が向くようになったのだ。
それは、案外と日本は生活しやすいし、旅もしやすい。言葉も通じる。以心伝心。日本円で支払える。当然と言えば当然だけど、その代わり物価が高いので、日本だと野宿などの貧乏旅になってしまうが。
だからといって、ムリに半年もインドにさまよう必要もない。狭い日本がゆえに、旅がイヤになったらすぐに埼玉に戻れるし。
当分の間は、何か月・何年も旅するようなグレートジャーニーはいったんおあずけにして、ブロガーとして続けつつも、それだけじゃとてもくっていけないので、普通に仕事しながら休みの日はキャンプツーリングなど、小さなスモールトリップをしたい
Vstrom250で世界の旅をしてる人がいて、現在スウェーデンやノルウェーを北上中。とてもうらやましいが、まずはコツコツお金をためないといかん。
帰りの道を自転車こいで走りながら思ったのは、概ねそんなことだった。
インド旅・まだ終わりじゃないよ
ということで、2019インド編は終わった
・・ように見えますが、まだまだ終わっちゃいませんよ。
なぜなら旅の前半戦のデリーからブッダガヤまでが抜けているので、引き続きそれも書かないといけない。残りのブッダガヤからラストまでは、写真を入れていきます。
たびいちドットコムのインドワールド、まだまだじっくりお楽しみに。